重なる月

志生帆 海

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14章

それぞれの想い 8

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 翠兄さんを見送り、午後の手術準備のため白衣を脱ぎ青いスクラブに着替えようとした時、緊急の連絡が入った。

「張矢先生、今日のオペ、中止です」
「なんだって?」
「患者さんが急な発熱で」
「そうか。それならば仕方が無いな」
「どうします? オペ中は診察も入れていないので、予定が3時間ほど空きますね」

 3時間。それは滅多にない空き時間だ。
 普段は昼食をゆっくり取る時間もないのに。

 そんな思いがけない時間を手に入れた瞬間、真っ先に浮かんだのは愛しい恋人の顔だった。

 いつも月影寺で私の帰りを待っている君を驚かせたい。
    
「すまない。3時間、私に休暇をもらえないだろうか」
「わぁ~ 珍しいですね。もちろん私達は張矢先生の味方ですよ。何しろ女神様のようなお兄様とワイルドなお兄様。雑誌モデルのような絶世の美女が妹さんなんて……もう目の保養過ぎて溜まりませんでした! 先生のフリータイムは、私達看護師が一丸となって死守します‼ だからまた連れて来て下さいね♡」

 よく分からないが、この場から早く去った方が得策だと思った。

「では3時間後に戻る」
「あ、先生、白衣のままですよ~」

 院内の長い廊下を急ぎ足で歩き、ひらりと車に乗った。

 白衣を着たまま外出をしたのには訳がある。

 私のこの姿を、洋に見せたいから。  

  出逢った頃を思い出す。私は勤務医で洋は会社員だった。それから洋が初めてこの職場を訪ねてくれた日のことも。格好いいと言ってくれたな。

 昨日は女装姿に面食らって、ゆっくり洋の反応を見られなかったのだ。




 月影寺、私の家。

 駐車場に車を停車し、洋の待つ離れに戻った。

 ところが部屋の中にはいなかった。そうか! 失念していたな。今日は翻訳の先生に呼ばれていると言っていたな。

 そろそろ戻ってくるかもしれない。だから洋が先日してくれたように山門で待とうと、もう一度山門に降りた。だが一向に帰ってくる気配がないのでスマホを確認すると連絡が入っていた。

「丈、お疲れさま。今日は翻訳の先生から素敵なご縁をいただいたんだ。帰ったら聞いてくれ。俺は北鎌倉に15時に着くので、離れで仕事の続きをしている。丈も頑張れ!」

 なんと……もうとっくに月影寺に着いている時間じゃないか。離れにいなかったということは、どこにいる?

 もう一度勢いよく山門の階段を上ると、袈裟姿の翠兄さんが立っていた。
ん? いつもと少しだけ着付け方が違うな。父さんを思い出す。あぁそうか、母が着付けたのかと勘付いた。

 兄さんはとても落ち着いた表情で、流兄さんを探していると。そして私は洋を探している。ということは二人は一緒にいるとの結論に至り茶室に向かった。

 途中、薙に会った。薙は私の白衣をお化けだと思って腰を抜かしたので、可笑しかった。

 なんだ薙……お前でも……そんな風に子供らしく騒くのか。

 そうだった、薙はまだ15歳なのだと改めて実感した。

 そして茶室前に立つと、洋の楽しそうな声が聞こえてきたので安堵した。翠兄さんの顔をちらりと伺うと、私と同じ顔をしていた。

 その時ふと思った。私が「翠兄さん、流兄さん」と呼ぶと、きまって洋は憧れに近い表情を浮かべていた。もしかして洋もそう呼んでみたいのか。洋は兄が欲しかったのか。

 そう聞いてやればいいものの、聞けなかった。

 洋の心は洋のものだ。

 この件に関しては私が橋渡しするよりも、自然とそう呼べる日が近くやってくる気がしたから。

「翠兄さん、少し待って下さい。このまま……もう少しだけ二人きりに」

 翠兄さんも静かに頷いて待ってくれた。

 やがて待ちに待った声が聞こえた。

『ははっ! に……兄さんってば、やめてくれよ』


 洋、良かったな。ようやく言えたな。

 さぁ、君にはもう一人兄がいるぞ。

 翠兄さんの背中をそっと押せば、全てを理解した聡い顔で、茶室に向かってくれた。

 
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