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14章
それぞれの想い 5
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ひとり竹林を抜け、茶室に向かった。
今は少しだけ、翠と離れよう。
翠の喜怒哀楽の感情に、最近の俺は同調し過ぎてしまう。どうやら翠と身体を繋げてから、翠に強いシンパシーを感じるようになった。
シンパシーとは、ギリシャ語の『共に苦しむ』が語源だ。同情や哀れみを連想させる言葉で、翠が悲しい時や苦しい時、辛い時など、ネガティブな状況であればあるほど満ちてくるのだから厄介だ。
ふぅ……だが、今日のは痛い、痛すぎる!
幼い俺が傍若無人に母の愛を独占してしまったのは事実だし、翠に我が儘を言いまくっていたのも事実だ。だから、翠が母を静かに思慕する気持ちが、俺には痛かった。
すまなかった……幼い翠にもしも会えるのなら、謝りたいよ。母の手を独り占めしないで、どうして少しは翠に譲れなかったのか。それに幼い頃から、翠を困らせて暴れてばかりだったのも謝りたいよ。
「ふぅ、頭を冷やすか」
一足先に完成した茶室でクールダウンしようと近づくと、中から楽しそうな声がした。ん? 先客か。
耳を澄ませば、洋くんと薙が楽しそうに話しているのが分かった。
ははん、学校帰りに寄り道か。
すさんでいた心が凪いでいくのは何故だろう。翠の息子と、丈の恋人の語らいは、月影寺を華やかにしてくれる。俺も今はこの色に染まりたい。そんな思いで、勢いよく扉をガラッと開いた。
「おい、俺も混ぜてくれよ!」
「で、出たあぁぁぁぁぁ!」
薙と洋くんが手を取り合って震えているのが可笑しくて、頭を振り乱して幽霊の真似をして脅かしてしまった。
「わ、わぁぁぁー!」
「ははっ、ちょっとベタな肝試し?」
鳴り響いたのは洋くんの悲鳴と、薙の笑い声だった。
洋くんは驚いて裸足で庭にまで飛び出してしまう始末だった(丈にバレたらまずいな、コロサレル……)
「くくっ、洋くん、クールビューティーが台無しだぞ」
「も、もう知りません! 流さんなんて」
「ごめんな。あんまりにも怯えるもんだから……可愛くて、つい揶揄った」
「う……本気で怖かったんですからね!」
「えぇ! 洋さん、アレを本気で幽霊だと? もう可愛いなぁ~」
薙に慰められながら、綺麗な顔を真っ赤にして、ツンツン怒っているのが可愛かった。
「まぁまぁ……お詫びにお抹茶を点てるよ」
「お抹茶を? すごく飲みたかったので、それは嬉しいです」
途端にニコッと笑うのだから、実に面白い。
「薙も飲んでいくだろう?」
「オレはいいよ。苦いの苦手! 先に戻るぜ、一応これでも受験生」
「あ、そうだ。母さんから聞いたよ。俺の母校を目指すんだって?」
「あ、うん。流さん……よかったら今度、学校見学に付き合ってよ」
「もちろんいいぜ。母校の先生にも会いたいしな」
「やった! じゃ、ごゆっくり~ 洋さん、ごちそうさま!」
茶室には、洋くんと二人きりになった。
洋くんにお抹茶を点てると、綺麗な所作で受け取ってもらえたので安心した。
代わりに風変わりな海苔のスティック菓子をもらった。一口食べると、パリパリした食感とわざび大豆の味が粋だった。
「旨いな。これ翠の分もあるか」
「もちろんです。これをどうぞ。お二人の酒の肴にいいのでは? 翠さん、日本酒好きですし」
「あぁ、そうするよ」
まだ外は明るいのに茶室の中は薄暗い。かといって空気が澱んでいるわけでなく、まるで研ぎ澄まされた月夜のような厳かな雰囲気になっていた。
洋くんは、やはり月の精のようだ。
「今日は一人でなんて、珍しいですね。翠さんから離れていいんですか」
「今は意図的に離れている。母さんと過ごしているからな」
「翠さんがお母さんと? 珍しいですね」
「あぁ、甘えているんだ。ずっと……翠は母に甘えられなかったから」
「……」
しまった。洋くんには、もういないのに。
「流さん、大丈夫ですよ。そんなこと……それに今の僕には祖母が出来ました。母にはもう会えませんが、祖母には会いに行けます。僕をとても可愛がってくれるんですよ。昨日のデート楽しかったです」
よほど楽しい時間を過ごせたらしく、洋くんは眩しい程嬉しそうだった。
「良かったよ。君にそんな人が出来て」
「はい……傍にいてくれるだけで、こんなに有り難いなんて……こんな存在があるなんて知りませんでした」
月が静かに降りてくる。
俺の心を包んでくれる。
白くひんやりとした月光が、先ほどまでの荒ぶった心を癒やしてくれる。
「洋くんは不思議な人だな。まるで月のような人だ」
そう告げると、洋くんはハッと息を呑み、彼方を見つめた。
「……月は……いつも俺と一緒でした」
「そうか……洋くん、君はもう月影寺の立派な住人だ。両親も俺たちも月影寺の四男だと思っているんだ。遠慮するなよ」
「はい……では、甘えちゃいますね。翠さんにべったりでも怒りません?」
「んっ?」
珍しく茶目っ気のある返事をする洋くんに、彼もまた変わって行こうとしていることを悟る。
最愛の人と巡り会った者だけが辿る道だ。
更に深く強く愛を絡め合うために、それぞれが変化していく。
お互いがお互いの場所に、根付くために。
俺と翠も……そうありたい。
今は少しだけ、翠と離れよう。
翠の喜怒哀楽の感情に、最近の俺は同調し過ぎてしまう。どうやら翠と身体を繋げてから、翠に強いシンパシーを感じるようになった。
シンパシーとは、ギリシャ語の『共に苦しむ』が語源だ。同情や哀れみを連想させる言葉で、翠が悲しい時や苦しい時、辛い時など、ネガティブな状況であればあるほど満ちてくるのだから厄介だ。
ふぅ……だが、今日のは痛い、痛すぎる!
幼い俺が傍若無人に母の愛を独占してしまったのは事実だし、翠に我が儘を言いまくっていたのも事実だ。だから、翠が母を静かに思慕する気持ちが、俺には痛かった。
すまなかった……幼い翠にもしも会えるのなら、謝りたいよ。母の手を独り占めしないで、どうして少しは翠に譲れなかったのか。それに幼い頃から、翠を困らせて暴れてばかりだったのも謝りたいよ。
「ふぅ、頭を冷やすか」
一足先に完成した茶室でクールダウンしようと近づくと、中から楽しそうな声がした。ん? 先客か。
耳を澄ませば、洋くんと薙が楽しそうに話しているのが分かった。
ははん、学校帰りに寄り道か。
すさんでいた心が凪いでいくのは何故だろう。翠の息子と、丈の恋人の語らいは、月影寺を華やかにしてくれる。俺も今はこの色に染まりたい。そんな思いで、勢いよく扉をガラッと開いた。
「おい、俺も混ぜてくれよ!」
「で、出たあぁぁぁぁぁ!」
薙と洋くんが手を取り合って震えているのが可笑しくて、頭を振り乱して幽霊の真似をして脅かしてしまった。
「わ、わぁぁぁー!」
「ははっ、ちょっとベタな肝試し?」
鳴り響いたのは洋くんの悲鳴と、薙の笑い声だった。
洋くんは驚いて裸足で庭にまで飛び出してしまう始末だった(丈にバレたらまずいな、コロサレル……)
「くくっ、洋くん、クールビューティーが台無しだぞ」
「も、もう知りません! 流さんなんて」
「ごめんな。あんまりにも怯えるもんだから……可愛くて、つい揶揄った」
「う……本気で怖かったんですからね!」
「えぇ! 洋さん、アレを本気で幽霊だと? もう可愛いなぁ~」
薙に慰められながら、綺麗な顔を真っ赤にして、ツンツン怒っているのが可愛かった。
「まぁまぁ……お詫びにお抹茶を点てるよ」
「お抹茶を? すごく飲みたかったので、それは嬉しいです」
途端にニコッと笑うのだから、実に面白い。
「薙も飲んでいくだろう?」
「オレはいいよ。苦いの苦手! 先に戻るぜ、一応これでも受験生」
「あ、そうだ。母さんから聞いたよ。俺の母校を目指すんだって?」
「あ、うん。流さん……よかったら今度、学校見学に付き合ってよ」
「もちろんいいぜ。母校の先生にも会いたいしな」
「やった! じゃ、ごゆっくり~ 洋さん、ごちそうさま!」
茶室には、洋くんと二人きりになった。
洋くんにお抹茶を点てると、綺麗な所作で受け取ってもらえたので安心した。
代わりに風変わりな海苔のスティック菓子をもらった。一口食べると、パリパリした食感とわざび大豆の味が粋だった。
「旨いな。これ翠の分もあるか」
「もちろんです。これをどうぞ。お二人の酒の肴にいいのでは? 翠さん、日本酒好きですし」
「あぁ、そうするよ」
まだ外は明るいのに茶室の中は薄暗い。かといって空気が澱んでいるわけでなく、まるで研ぎ澄まされた月夜のような厳かな雰囲気になっていた。
洋くんは、やはり月の精のようだ。
「今日は一人でなんて、珍しいですね。翠さんから離れていいんですか」
「今は意図的に離れている。母さんと過ごしているからな」
「翠さんがお母さんと? 珍しいですね」
「あぁ、甘えているんだ。ずっと……翠は母に甘えられなかったから」
「……」
しまった。洋くんには、もういないのに。
「流さん、大丈夫ですよ。そんなこと……それに今の僕には祖母が出来ました。母にはもう会えませんが、祖母には会いに行けます。僕をとても可愛がってくれるんですよ。昨日のデート楽しかったです」
よほど楽しい時間を過ごせたらしく、洋くんは眩しい程嬉しそうだった。
「良かったよ。君にそんな人が出来て」
「はい……傍にいてくれるだけで、こんなに有り難いなんて……こんな存在があるなんて知りませんでした」
月が静かに降りてくる。
俺の心を包んでくれる。
白くひんやりとした月光が、先ほどまでの荒ぶった心を癒やしてくれる。
「洋くんは不思議な人だな。まるで月のような人だ」
そう告げると、洋くんはハッと息を呑み、彼方を見つめた。
「……月は……いつも俺と一緒でした」
「そうか……洋くん、君はもう月影寺の立派な住人だ。両親も俺たちも月影寺の四男だと思っているんだ。遠慮するなよ」
「はい……では、甘えちゃいますね。翠さんにべったりでも怒りません?」
「んっ?」
珍しく茶目っ気のある返事をする洋くんに、彼もまた変わって行こうとしていることを悟る。
最愛の人と巡り会った者だけが辿る道だ。
更に深く強く愛を絡め合うために、それぞれが変化していく。
お互いがお互いの場所に、根付くために。
俺と翠も……そうありたい。
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