重なる月

志生帆 海

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14章

追憶の由比ヶ浜 45

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 一時間ほど経っただろうか、もう夜は深まっていた。

 やがて……駐車場の扉が静かに開き、丈が現れた。

 ドキッ――

 あれ? 俺、胸がドキドキしている……何でだ?

 数え切れないほど身体を重ね、全てを明け渡した相手なのに、まるで初恋の相手を前にしたような高揚感だ。

 いや、丈は初恋の相手だ。

 遠い昔から、いつだって丈は俺の初恋。

 成就させたくて、重なり合いたくて……ずっと探し求めていた相手だ。

 車から降りて、丈を呼んだ。

 改めて丈を呼ぶのが、妙に照れ臭くて、思わず「先生」を付けてしまった。ここは病院だから、その方が違和感ないだろう。

「丈……先生」

 すると俺たちの間に、一陣の風が吹く。

 春風が俺の髪を乱し、心も掻き乱す。

「お帰り、丈!」
「洋……どうして?」

 丈は俺の迎えを予期していなかったようで、目を見開いて立ち尽くしていた。

「丈、今日は俺の車で帰ろう」
「あぁ、驚いたよ。とっくに家に戻ったのかと……」

 丈が助手席に座るのは珍しい。

 丈の手がハンドルを握る俺の手に重なった。

「馬鹿だな。洋……こんなに冷えて。春の夜は、まだ寒いのに」
「会いたくて……ただ会いたかったから」
「ありがとう」

 俺たちには、それ以上の言葉はいらない。
 
「帰ろう、俺たちの家へ」
「ふっ、参ったな」
「なんで笑う?」
「それは私の台詞だった」
「じゃあ、丈も言ってくれ」
「……洋、早く帰りたい」

 早く抱きしめたい。抱きしめられたい。

 丈の熱い想いが伝わってきて、過敏に反応しそうになった。

「これ以上はまずい。あとでな」

 車は夜道を走る、俺たちの家に向けて――

 ****

「あぁ、美味しかった」
「良かったよ。丈がお弁当を買ってきてくれて」
「ふっ、でもさ、この弁当じゃ足りないんだよなぁ~」
「えっ、やっぱり? どうしよう?  売店は閉まっているし……」

 翠が腕を組んで真剣に悩む様子が、微笑ましかった。

「……兄さん。俺……腹、減った」

 わざと腹を擦りながら訴えると、翠が困り果てた顔をする。

 可愛い兄さんだな。
 そうだ、その調子だ! もっと、色んな顔を見せてくれよ。

「仕方が無いね。流、おいで」
「ワン!」
「えっ……わん?」
「じゃあ、ニャア!」
「にゃあ? ははっ、そんな図体の大きな猫も犬も困るよ。流のままおいで」
「ははっ、何をくれるんだ? 兄さん」

 翠は鞄から小さな缶を取り出した。

「これ、母さんが持たせてくれたんだ」
「お? 和三盆か。桜の花びらのカタチで綺麗だな」
「うん、おやつにしよう」

 小さな和三盆を握らされたので、苦笑してしまった。

 口に放り込めば、淡雪のように溶けてしまう。

「兄さん、足りない」
「じゃあ……もう一つ」
「はは、そうじゃない。こっちがいい」

 翠の顎を掴んで、唇をぴったり重ねた。

 ほのかに立ち込める和三盆の桜の香りに、酔いしれたくなった。

「あ……、んっ、んっ」

 翠も目を閉じて、受け入れてくれる。

「やっぱり美味しいな、ここ」
「流……」

 翠が俺の肩に、手を回してくる。

 だから、そのままベッドに押し倒す。

「流……」
「なんだ?」
「顔をもっとよく見せてくれ」
「あぁ」

 翠は目を大きく見開き……俺をじっと見つめている。

「流は格好いいな」
「何だよ? 突然……」
「僕にはない精悍な顔立ちに憧れるよ。大好きなんだ……」

 素直な翠、可愛い翠が、今日はいる。

「今日は甘えん坊だな」
「袈裟を着ていないからかな。ここには流と僕だけだから……その……」

 翠は頬を染める。

 あぁ成程、分かったぞ。甘えたがっているのだな。

 ずっと長男として弟たちを引っ張り、住職として寺を統率してきた翠だって、人間だ。

 疲れるし、荷を下ろしたい時もある。愛しい人に身を委ねたい時もある。

「一緒に眠ろう。そして一緒に明日を迎えよう」

 煩悩をどこまで封印出来るのか、全く自信が無いが、ここが病院だということは肝に銘じておかないとな。前のように両隣が不在なわけではない。

 だから静かに眠るのだ。

「流と一緒に朝日を見たい。この部屋からは、よく見えそうだ」
「分かった、だからもう眠りたいんだな」
「うん、消灯時間だからね」
「分かった。看護師さんも来るし、俺はそこの簡易ベッドに行くぞ」
「ん……流……」
「どうした?」
「この傷が綺麗に治ったら、一緒に海に行かないか」
「いいな。そうしよう」
「じゃあ……頑張るよ」
「おやすみ、翠……」

 葉山や宮崎でも、こっそり火傷痕を気にしていた翠。

 翠が望むことなら、何でも叶えてやる。

 それが俺の生き甲斐だから。

 翠は満足気に胸に手を当てて、静かな眠りについた。

 この静寂を守りたい。
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