重なる月

志生帆 海

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14章

追憶の由比ヶ浜 27

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「あの……俺、まだ不慣れで、運転に集中してしまうので、どうか景色でも見て、ゆっくりしていて下さい」
「ありがとう。じゃあ少し懐かしい景色を堪能させてね」
「はい、もちろんです」

 助手席に座り車窓を眺めながら、ここに至るまでの経緯を思い返してみた。

 ****

「洋からまだ連絡がないわね、忙しいのかしら」

 夕の忘れ形見、孫の洋との再会は衝撃的だった。

 あの日、思い切って高い垣根を跳び越えたら、見える風景ががらりと変わったわ。

 今の私は、孫の洋に会いたくて溜まらないおばあちゃんよ。

 あれから私はそんな悶々とした日々を、年甲斐もなく過ごしている。主人も……海里先生も柊一さんも皆いなくなってしまったのだから、私ももう後はお迎えが来るのを待つだけの人生だと思っていたのに。

「白江さん、元気がないですね。どうしたのですか」
「雪也さん、実はね、次に洋に会えるのが待ち遠しくて」
「なるほど、早く彼に会いたいのですね」
「そうなの。でも……身勝手よね。あの子が何度も訪れてくれた時は、頑なに突っぱねてしまったのに……だから今更よね」

 雪也さんにもどかしい想いを伝えると、笑われてしまった。

「なんだ、そんなことで悩んでいたのですか。白江さんらしくいけばいいじゃないですか。お若い頃の白江さんは行動力抜群で、春子にも負けていませんでしたよ」
「あら、そうだった?」
「そうだ、ちょうど今日、春馬と秋が由比ヶ浜に遊びに行くそうなので、北鎌倉に寄ってもらったらどうです?」
「まぁ! 素敵! いいのかしら」
「もちろんです。僕もまた白江さんのそんな生き生きとした顔を見られて嬉しいです」

 そんな理由で、私は洋が住んでいる北鎌倉に向かったの。つい車のラジオから流れる聞き慣れないポップスに合わせて、鼻歌まで歌ってしまったわ。

「ふふふ~ん♪ ふん♫」
「白江さん、ご機嫌ですね」
「春馬くん、私ね……なんだか若い頃に戻った気分なの。今の春馬くんと同じ年代に」
「そうなんですね。父がよく話していましたよ。白江さんのお若い頃は母と同じで活発だったと」
「そうよね……すっかり凝り固まって忘れてしまっていたわ」

 車に乗って遠出するのも、会いたい人に会いに行くのも、全部置いてきてしまった。

「なんだか、長期間保管していた忘れ物を取りに行くみたい」
「いいですね。間に合うのなら取りにいかないと」
「ふふ、あなたはお父さんとお母さんのいいとこ取りね」
「そうでしょうか」

 雪也さんと春子ちゃんの一人息子は、端正な顔を緩ませて快活に笑った。

 その笑顔の向こうに、血も繋がらないはずなのに、何故か若かりし海里先生の顔が見えるのが、いつも不思議。春馬くんが海里先生と柊一さんの元に、赤ちゃんの時からよく預けられて可愛がられたせいかしら、実の息子のようにも見えるわ。

 あとは桂人くんと春子ちゃんの美形兄弟の血筋もあるのかしら。華やかな美青年に育ったわね。奥さんとのことは残念だったけれども、一粒種の秋の存在があなたを癒やしてくれているのよね、きっと。

「着きましたよ、ここが月影寺のようです。で、どうします? オレ、待っていましょうか」
「そうねぇ、そうだわ。由比ヶ浜で帰りに私を拾って下さる?」
「いいですよ。洋くんと水入らずで過ごすのですね」
「うふふ、そうなの」
「ごゆっくり」

 そんなわけで、私は洋が丈さんと暮らしている月影寺の山門を、希望に溢れる眼差しで見上げた。

 なんて奥ゆかしい古寺なのかしら、素敵だわ。

 すると山門の上から作務衣姿の精悍な男性がヒョイヒョイと身軽に下りて来た。

 山男のような逞しい身体に不釣り合いな可憐で清楚なアレンジメントを持っているのがまた、いい味を出しているわ。どなたかしら?

「あ、あの――」
「はい? 檀家さんですか」
「いえ、私は洋の祖母です」

 そう告げると、その男性は「あぁ」と納得したように頷いた。

「洋くんと丈から話は聞いています。俺は丈のすぐ上の兄の流です」
「まぁ、立派なお方なのね」
「あ、もしかして洋くんに会いに来てくれたのですか。今日はちょうど一人で留守番なので喜びますよ」
「まぁ……そうなの? 良かったわ。この門を上がればいいの?」
「そうですが、急なのでご年配の方には少し厳しいかも」
「大丈夫よ。まだまだいけるわ」
「いえ、お手伝いしますよ」 

  さりげなく手を添えてくれる粋な様子に、また上機嫌になってしまう。

 春子ちゃんの言うとおりだわ。

 思い切って動けば、凝り固まっていた世界が動くのね。

 今、私は私の世界を動かしている最中よ。

 そう思うとワクワクしてきた。
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