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14章
追憶の由比ヶ浜 22
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翠の入院手続きは、全部丈に任せた。
いよいよ明日から2泊3日の検査入院だ。いい機会だから隈なく身体をチェックしてもらおうと、丈が張り切って手配してくれた。また火傷痕の治療方法について、形成外科医と相談もするそうだ。
めまいも視力低下もストレスによる一時的なものだったのか、あれから数日、翠は住職として、つつがなく淡々と過ごしている。
澄み切った楚々とした風情の美しい翠。 俺はそんな翠の姿を、つい目で追ってしまう。
翠もまた俺からの視線に敏感になっているようだ。
小森くんや第三者がいる時は澄まして素知らぬふりをしているが、誰もいない時は俺をじっと見つめてくれる。
視線が絡み合うと、身体まで絡み合っているような甘い心地になれる。
「流、何ぼけっとしてんの? 元気にしていた?」
突然背中をバンバンと思いっきり叩かれた。振り向くと、母さんと父さんがニコニコ笑顔で立っていた。特段変わった様子もない、和やかなふたりの表情に安堵する。
「イテテ、母さん馬鹿力だな。よかった! 来てくれたんだな」
「当たり前でしょう。頼ってもらって嬉しいわ。で、翠はどこなの?」
「本堂にいますよ」
少しだけ母の顔色が曇る。
「ねぇ、大丈夫なの? もしかしてまた視力が……」
「実は……翠は強がって黙っていたようだが時折また目が霞んでいたようで、これを機会に一度隈なく検査を受けて欲しいと思ったんだ」
「そうだったのね。あのね、今だから言うけれども、翠は注射が嫌いなのよ。弟たちの手前、頑張っていたけれども」
なんだ、良かった。流石、三兄弟の母だな。ちゃんと気付いてくれていたのか。それだけでも、自分のことのように嬉しくなるよ。
「知っていたのか」
「あら? 流も気付いていたの? まぁ、ふふっ、ついにあの子が白状したの?」
「俺が翠に吐き出させたんだ」
つい母親の前でも『翠』と連呼してしまったが、まずかったか。
「あら、いいわね、その呼び方。あなたたちはたった二歳差なんだし、流は翠の片腕になって欲しいわ。そのためにも翠と流と呼び合える距離もいいわね。翠はね……皆の『兄』として頑張りすぎでしょう?」
「母さん~ なんだよ、今日は理解あるな。大好きだぜ!」
嬉しくなって母さんをガバッとハグすると、驚かれた。
「りゅ、流、あんたの馬鹿力で母さん、折れるかと思ったわよ」
「ははは、悪い! だが母さんも馬鹿力だったぞ、 手形が背中についているかもな」
「まぁ、安定の口の悪さね。それにしても……翠は……とても嫌な目に遭ったでしょう。あれから密かに心配していたのよ。でもあなたがいるから安心していたわ。翠のことはもう任せていいのよね?」
「あぁ、俺が老後まで面倒みるから安心しろって」
「心強いことを言うのね、あなたの老後が心配よ」
「流は逞しいな」
俺と母さんの話を聞いていた父さんも暖かな眼差しを向けてくれる。また白髪が増え目尻の皺も深くなったが元気そうで、肌は年寄りもずっと若くつやつやしている。
張矢家に婿養子に入りサラリーマンから住職に転職した父だが、今はもうすっかり仏の顔で、慈悲深い人になった。
「私も翠の件は、流に任せているよ。お前たちは本当に仲が良い兄弟だから安心だ」
両親に翠との深い関係は明かせない。これは翠も同意の上だ。
それでも……両親が俺を信頼し、翠のことを任せてくれるのが嬉しい。
「丈と洋くんも元気にやっているか」
「あの二人も変わりないですよ。洋くんも会いたがっているので、ぜひ」
「それはいいね。是非話し相手になってもらおう」
「いいですね」
洋くんもすっかり家族の一員だ。丈と洋くんの関係を両親が受け入れてくれて本当に良かった。月影寺に二人がスムーズに加わったことにより、流れと風向きが大きく変わったのだ。
俺と翠の関係も一気に駆け上り、またあの事件のトラウマで苦しむ翠の心を解放してくれたのは洋くんだ。そして丈は目に見える傷を治療してくれる。俺達の前世には存在しなかった、あの二人が存在する意味が見えてくる。
****
「いい風が吹いているな。以前よりここは風通しがよくなったようだ」
読経に集中していると蝋燭の炎がふっと揺らいで、父の声が本堂に響いた。
「父さん!」
師匠でもある父の存在は、住職という重責を任されている僕の心の拠り所だ。
「翠や、頑張っているな。淀みない良い声で読経するようになったな。何か迷いが消えたのか」
「……僕は少し変わりました」
「ほう? 肩の荷を下ろしたか」
「父さんには、分かるのですか」
「それは顔を見れば分かる。流は、お前のために尽くしているようだな」
尽くすって……深い意味はない父の言葉に照れ臭くなってしまう。頬を染めないように、腹に力を込めた。
「え、えぇ……頼りになる弟ですので、少し……いや、もっと任せようと思いました」
「それがいい。お前は兄の顔、住職の顔……父親の顔と多忙過ぎるから疲れが溜まるのだ。ゆっくり全身を隈なくチェックしてもらってきなさい。寺のことは私に任せて」
「はい、ありがとうございます」
心強い一言に、いよいよ明日から検査入院なのだと実感した。
「翠、ゆっくりでいい。ゆっくり立て直せばいい」
焦るな、逸るな。
父の言葉は柔らかい。
そう言ってくれているのだ。
僕も今度はその言葉に従ってみよう。
いよいよ明日から2泊3日の検査入院だ。いい機会だから隈なく身体をチェックしてもらおうと、丈が張り切って手配してくれた。また火傷痕の治療方法について、形成外科医と相談もするそうだ。
めまいも視力低下もストレスによる一時的なものだったのか、あれから数日、翠は住職として、つつがなく淡々と過ごしている。
澄み切った楚々とした風情の美しい翠。 俺はそんな翠の姿を、つい目で追ってしまう。
翠もまた俺からの視線に敏感になっているようだ。
小森くんや第三者がいる時は澄まして素知らぬふりをしているが、誰もいない時は俺をじっと見つめてくれる。
視線が絡み合うと、身体まで絡み合っているような甘い心地になれる。
「流、何ぼけっとしてんの? 元気にしていた?」
突然背中をバンバンと思いっきり叩かれた。振り向くと、母さんと父さんがニコニコ笑顔で立っていた。特段変わった様子もない、和やかなふたりの表情に安堵する。
「イテテ、母さん馬鹿力だな。よかった! 来てくれたんだな」
「当たり前でしょう。頼ってもらって嬉しいわ。で、翠はどこなの?」
「本堂にいますよ」
少しだけ母の顔色が曇る。
「ねぇ、大丈夫なの? もしかしてまた視力が……」
「実は……翠は強がって黙っていたようだが時折また目が霞んでいたようで、これを機会に一度隈なく検査を受けて欲しいと思ったんだ」
「そうだったのね。あのね、今だから言うけれども、翠は注射が嫌いなのよ。弟たちの手前、頑張っていたけれども」
なんだ、良かった。流石、三兄弟の母だな。ちゃんと気付いてくれていたのか。それだけでも、自分のことのように嬉しくなるよ。
「知っていたのか」
「あら? 流も気付いていたの? まぁ、ふふっ、ついにあの子が白状したの?」
「俺が翠に吐き出させたんだ」
つい母親の前でも『翠』と連呼してしまったが、まずかったか。
「あら、いいわね、その呼び方。あなたたちはたった二歳差なんだし、流は翠の片腕になって欲しいわ。そのためにも翠と流と呼び合える距離もいいわね。翠はね……皆の『兄』として頑張りすぎでしょう?」
「母さん~ なんだよ、今日は理解あるな。大好きだぜ!」
嬉しくなって母さんをガバッとハグすると、驚かれた。
「りゅ、流、あんたの馬鹿力で母さん、折れるかと思ったわよ」
「ははは、悪い! だが母さんも馬鹿力だったぞ、 手形が背中についているかもな」
「まぁ、安定の口の悪さね。それにしても……翠は……とても嫌な目に遭ったでしょう。あれから密かに心配していたのよ。でもあなたがいるから安心していたわ。翠のことはもう任せていいのよね?」
「あぁ、俺が老後まで面倒みるから安心しろって」
「心強いことを言うのね、あなたの老後が心配よ」
「流は逞しいな」
俺と母さんの話を聞いていた父さんも暖かな眼差しを向けてくれる。また白髪が増え目尻の皺も深くなったが元気そうで、肌は年寄りもずっと若くつやつやしている。
張矢家に婿養子に入りサラリーマンから住職に転職した父だが、今はもうすっかり仏の顔で、慈悲深い人になった。
「私も翠の件は、流に任せているよ。お前たちは本当に仲が良い兄弟だから安心だ」
両親に翠との深い関係は明かせない。これは翠も同意の上だ。
それでも……両親が俺を信頼し、翠のことを任せてくれるのが嬉しい。
「丈と洋くんも元気にやっているか」
「あの二人も変わりないですよ。洋くんも会いたがっているので、ぜひ」
「それはいいね。是非話し相手になってもらおう」
「いいですね」
洋くんもすっかり家族の一員だ。丈と洋くんの関係を両親が受け入れてくれて本当に良かった。月影寺に二人がスムーズに加わったことにより、流れと風向きが大きく変わったのだ。
俺と翠の関係も一気に駆け上り、またあの事件のトラウマで苦しむ翠の心を解放してくれたのは洋くんだ。そして丈は目に見える傷を治療してくれる。俺達の前世には存在しなかった、あの二人が存在する意味が見えてくる。
****
「いい風が吹いているな。以前よりここは風通しがよくなったようだ」
読経に集中していると蝋燭の炎がふっと揺らいで、父の声が本堂に響いた。
「父さん!」
師匠でもある父の存在は、住職という重責を任されている僕の心の拠り所だ。
「翠や、頑張っているな。淀みない良い声で読経するようになったな。何か迷いが消えたのか」
「……僕は少し変わりました」
「ほう? 肩の荷を下ろしたか」
「父さんには、分かるのですか」
「それは顔を見れば分かる。流は、お前のために尽くしているようだな」
尽くすって……深い意味はない父の言葉に照れ臭くなってしまう。頬を染めないように、腹に力を込めた。
「え、えぇ……頼りになる弟ですので、少し……いや、もっと任せようと思いました」
「それがいい。お前は兄の顔、住職の顔……父親の顔と多忙過ぎるから疲れが溜まるのだ。ゆっくり全身を隈なくチェックしてもらってきなさい。寺のことは私に任せて」
「はい、ありがとうございます」
心強い一言に、いよいよ明日から検査入院なのだと実感した。
「翠、ゆっくりでいい。ゆっくり立て直せばいい」
焦るな、逸るな。
父の言葉は柔らかい。
そう言ってくれているのだ。
僕も今度はその言葉に従ってみよう。
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