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14章
追憶の由比ヶ浜 20
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「翠、とにかく布団に横になれ」
「流、本当にごめんな」
「何度も言うが、俺に謝るな」
「でも、ごめん」
「また……はぁ……もう目は大丈夫か。他に症状は?」
翠の瞳は、もうすっきりと澄んでいた。
落ち着きを取り戻し、もう不穏なさざ波は広がっていなかった。
「大丈夫だよ。さっきは急にめまいがして……何だか大騒ぎになってしまったな」
「めまい? 心配だな。やはり丈に一応診察してもらおう」
「丈に? いいよ。もう眠っているかもしれないし、悪いよ」
他人には一生懸命のくせに、自分には厳しいのが翠だ。
分かっているから、俺がそういう凝り固まった考えをもみほぐしてやる。
「薙、悪いが、離れに電話して丈を呼んでくれないか」
「了解! 父さん待っていて! オレ、直接行って頼んで来るよ」
「そんな……」
「いいから、父さんが心配なんだ!」
薙も自分が父親のために出来ることがあるのが嬉しいようで、一目散に飛び出して行った。
「驚いたな。薙が僕のためにあんなに急いで……」
翠は面映ゆい表情を浮かべていた。よかった。少し元気になったようだ。
「あ……そうだ。流、いいかい? 薙の前では僕のことは『兄さん』と呼ばないと駄目だよ」
くそっ。この後に及んで、そこか。
「なぁ翠……俺たちもういいんじゃないか」
「え?」
「俺たち、もういい年齢だよな? 翠はもう39歳だろう?」
「うん……流も37歳だなんて驚くよ」
「あぁ、俺もいい大人だよ。いつまでも翠に甘ったれていた小さな弟ではない。だからもう翠はさ、兄として俺を守ろうと頑張らなくていい」
「どういう意味だ?」
翠が訝しげな目で、見つめてくる。
「俺が『兄さん』と呼ぶ度に、翠は長兄としてしっかりしようと意気込んでしまうだろう」
図星だったのか、翠は黙ってしまった。
「だが……」
「俺が兄さんを翠と呼んでも、身内の間ならいいだろう?」
「でも……薙にとってそれはまだ」
馬鹿な翠。
俺は翠の困惑した唇を、優しく潤してやった。
こんな優しいキスをするのも翠だけだ。
「とっくに知っているだろう? 俺たちの関係……そしてあの子なりにお父さんを守って欲しいと願っている」
「流……でも」
「何も父親を取り上げるんじゃない。翠はいろんな顔を持ちすぎている。だから一つくらい下ろしてくれよ。皆、それを願っている」
チュ、チュと唇を啄み……心を解してやる。
「いいのか、本当に……」
「あぁ、翠は甘えろ。もっと皆に甘えろ」
綺麗なカタチの頭をかき抱くと、コクンと頷いた翠の額が肩にぶつかった。
「う……っ、ありがとう……流……」
「翠……肩の荷を下ろせよ」
****
離れの玄関をけたたましく叩く音。
「丈さん! 洋さん! 起きていますか」
母屋から戻って寝酒でも飲もうと思ったが、丈が今日はやめておくと言って正解だ。何かあったのだ、翠さんに!
「どうした? そんなに血相を変えて」
「父さんが倒れたんだ!」
「えっ、翠兄さんが?」
「分かった、今すぐ行く」
玄関先で丈が薙くんの応対をしている間に、俺は急いで聴診器など急患対応セットを用意した。
「丈、これを持っていって」
「あぁ、洋も来てくれ」
「意識は?」
「意識はあるけれども、分からない。父さんは元気なふりをしているのかもと、不安で……」
薙くんは青ざめていた。
「大丈夫だ。呼びに来てくれてありがとう」
「丈さん、父さんのこと……よろしくお願いします」
この子は、こんなに素直にお礼を言える子だったろうか。
それだけ翠さんへの蟠りが解けたのだろう。
きっと翠さんにとって、何よりの特効薬になると予感した。
「流、本当にごめんな」
「何度も言うが、俺に謝るな」
「でも、ごめん」
「また……はぁ……もう目は大丈夫か。他に症状は?」
翠の瞳は、もうすっきりと澄んでいた。
落ち着きを取り戻し、もう不穏なさざ波は広がっていなかった。
「大丈夫だよ。さっきは急にめまいがして……何だか大騒ぎになってしまったな」
「めまい? 心配だな。やはり丈に一応診察してもらおう」
「丈に? いいよ。もう眠っているかもしれないし、悪いよ」
他人には一生懸命のくせに、自分には厳しいのが翠だ。
分かっているから、俺がそういう凝り固まった考えをもみほぐしてやる。
「薙、悪いが、離れに電話して丈を呼んでくれないか」
「了解! 父さん待っていて! オレ、直接行って頼んで来るよ」
「そんな……」
「いいから、父さんが心配なんだ!」
薙も自分が父親のために出来ることがあるのが嬉しいようで、一目散に飛び出して行った。
「驚いたな。薙が僕のためにあんなに急いで……」
翠は面映ゆい表情を浮かべていた。よかった。少し元気になったようだ。
「あ……そうだ。流、いいかい? 薙の前では僕のことは『兄さん』と呼ばないと駄目だよ」
くそっ。この後に及んで、そこか。
「なぁ翠……俺たちもういいんじゃないか」
「え?」
「俺たち、もういい年齢だよな? 翠はもう39歳だろう?」
「うん……流も37歳だなんて驚くよ」
「あぁ、俺もいい大人だよ。いつまでも翠に甘ったれていた小さな弟ではない。だからもう翠はさ、兄として俺を守ろうと頑張らなくていい」
「どういう意味だ?」
翠が訝しげな目で、見つめてくる。
「俺が『兄さん』と呼ぶ度に、翠は長兄としてしっかりしようと意気込んでしまうだろう」
図星だったのか、翠は黙ってしまった。
「だが……」
「俺が兄さんを翠と呼んでも、身内の間ならいいだろう?」
「でも……薙にとってそれはまだ」
馬鹿な翠。
俺は翠の困惑した唇を、優しく潤してやった。
こんな優しいキスをするのも翠だけだ。
「とっくに知っているだろう? 俺たちの関係……そしてあの子なりにお父さんを守って欲しいと願っている」
「流……でも」
「何も父親を取り上げるんじゃない。翠はいろんな顔を持ちすぎている。だから一つくらい下ろしてくれよ。皆、それを願っている」
チュ、チュと唇を啄み……心を解してやる。
「いいのか、本当に……」
「あぁ、翠は甘えろ。もっと皆に甘えろ」
綺麗なカタチの頭をかき抱くと、コクンと頷いた翠の額が肩にぶつかった。
「う……っ、ありがとう……流……」
「翠……肩の荷を下ろせよ」
****
離れの玄関をけたたましく叩く音。
「丈さん! 洋さん! 起きていますか」
母屋から戻って寝酒でも飲もうと思ったが、丈が今日はやめておくと言って正解だ。何かあったのだ、翠さんに!
「どうした? そんなに血相を変えて」
「父さんが倒れたんだ!」
「えっ、翠兄さんが?」
「分かった、今すぐ行く」
玄関先で丈が薙くんの応対をしている間に、俺は急いで聴診器など急患対応セットを用意した。
「丈、これを持っていって」
「あぁ、洋も来てくれ」
「意識は?」
「意識はあるけれども、分からない。父さんは元気なふりをしているのかもと、不安で……」
薙くんは青ざめていた。
「大丈夫だ。呼びに来てくれてありがとう」
「丈さん、父さんのこと……よろしくお願いします」
この子は、こんなに素直にお礼を言える子だったろうか。
それだけ翠さんへの蟠りが解けたのだろう。
きっと翠さんにとって、何よりの特効薬になると予感した。
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