重なる月

志生帆 海

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14章

追憶の由比ヶ浜 19 

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 ドスンッ――

 隣の部屋で、鈍く重たい音が響いた。

 ウトウトとしていたオレは、その音に驚き飛び起きた。

「父さん?」

 何かとても良くない予感で、心臓がバクバクした。

 急いで扉を開けると同時に、ドスドスと大きな足音がして、オレにドシンっとぶつかった。

「痛っ」
「悪い、薙」
「あ、流さん!

 流さんにも聞こえたのだ、今の音!

「す……兄さんの部屋からだな」
「そうなんだ!」

 慌てて父さんの部屋の戸を開けると、床に父さんが倒れていた。
 
 顔色が悪い! 意識はあるのか。

「父さん! 父さん!」
「翠! 翠! どうした?」

 流さんも、もう必死の形相で、なりふり構っていられないようだ。父さんは辛うじて意識を保っていた。

「…うっ……りゅ、う?」
「翠、気づいたか、一体どうした?」

  父さんは気まずそうに、一度開いた目をギュッと閉じ、唇も貝のように固く結んでしまった。

「翠、頼む」
「父さん、お願い!」

 流さんが父さんの唇を、労るように優しく指で撫でる。オレも父さんの冷え切った手を握りしめた。

「翠、もう我慢するな! 溜め込むな、頼むからちゃんと話してくれよ」
「ご……めん、また流を心配させた」
「俺のことはいい! 翠、辛いなら、吐き出せ! 今、何に怯えている?」

 流さんが父さんの頬を大きな手で包んで、必死に言葉を促している。

 この二人はすごいな。

 オレはそんな二人の様子に、大変な事態なのに、どこか安堵していた。

 父さんはもう、ひとりぼっちではない。こんなにも頼り甲斐のある流さんが全身全霊をかけて、心配してくれている。

「……写真が……」
「え?」

 父さんの手にはよく見ると、古びた写真が握りしめられていた。何度も取り出しては握りしめていたのか、角がぼろぼろだ。

「これは……」
 
 そっと取り上げると、オレが小さい時の写真だった。
3歳、いや4歳位か? あどけない笑顔を弾けさせている。

 ありったけの信頼を、父さんに向けていた。
 
「写真の……薙の顔がボヤけて見えなくなって……怖かった。流、どうしよう……また離婚した頃に戻ってしまったら……怖い、怖いんだ。もういやだ……あれは寂しい……」
                         
  父さんがブルブルと恐怖に怯え、震えている。

 そうか、やはり父さんは目が悪かったんだ。

 離婚した頃? では……あの頃からなのか。

 オレはずっと傍にいたのに、気付かなかった!

「翠、しっかりしろ。今はどうだ……見えるか」
「……確かめるのが、こわい」

 駄目だ。父さんがどんどん後ろ向きになっていく。

「流さん、オレも話しかけても?」
「あぁ、もちろんだ。翠、薙が傍にいるよ。写真なんかじゃない! 生身の薙だ」
「な……薙なの?」

 父さんの手を両手で握りしめた。

「父さん、目を開けてくれよ。そんな古びた写真じゃなくて、今、目の前にいるオレを、成長してオレを、今の父さんの目でみてくれ!」

 心を込めて、訴えた。

「今の……薙?」
「そうだよ。父さん、さぁオレを見て!」

 父さんの瞼が、微かに動く。

「父さんがいないとイヤだ! 父さんがオレを見てくれないとイヤだ!」
 
  気がつくとまるで幼子のように駄々をこねていた。恥ずかしさよりも、父さんに見て欲しくて、もう必死だ。

「薙! あ……見える。ちゃんとお前の顔が……」

 父さんの双眸から、澄んだ雫が流れ落ちた。

「父さん、大丈夫だ。ちゃんと見えるだろう?」
「あぁ、見える。薙がいる、流がいる」

 オレと流さんで、まだ震える父さんを大きく包んでやった。

 オレも優しい温もりを感じた。

 小さい頃、父さんに触れてもらうのが大好きだったことを思い出した。
 
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