重なる月

志生帆 海

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14章

追憶の由比ヶ浜 16

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「うわわ! 美味しうだな! どうしたの? 平日に焼き肉パーティーなんて……寺でこんなことしていいのか」

 ホットプレートの焼き肉を眺めて、オレは目を丸くしてしまった。

「あのさ、流さん……もしかして今日って、誰かの誕生日?」
「ははっ、違うよ。今日は俺が寺の仕事が忙しくて、夕食を作る時間がなかっただけだ。さぁ薙、たっぷり食べて大きくなれよ」
「やった! 洋さんも食べようぜ」
「あ、うん」

 洋さんがスッと手を伸ばすと、シャツから綺麗な手首が見えた。

 細いな~って、オレも同類だ。オレも洋さんも痩せ型で薄っぺらいんだよな。あ、父さんもね。

「洋さん……あのさ、どうしたら流さんや丈さんみたいに、がっちりした体型になれるのか知ってる?」

 洋さんに冷ややかな目で見つめ返された。この人って時々、ゾクッとするほど色気が増すのだよな。

「それを俺に聞く? 俺も一時期は同じことで散々悩んだよ」
「やっぱり? で、やっぱり駄目か」
「この体型は濃い遺伝なんだろうな。俺の場合、母からのね」
「じゃあ、俺は父さんからだな」

 父さんは食は進んでいないようだが、機嫌は良さそうで、ゆったりと腰掛け、一人ひとりを穏やかな視線で見つめていた。ただ、その瞳が……時々不安げに彷徨うのを見逃さなかった。

 急に父さんがどこかに行ってしまいそうな気がして、怖くなった。

 どうして急にこんな風に思うのか。

 あぁそうだ……父さんと母さんが離婚する前を思い出したのだ。

 オレはあの時まだ5歳児だったが、部屋の中に日に日に広がっていく不穏な空気を感じ取って不安になっていた。

 ガシャン――

 父さんが手を滑らせ、グラスを床に落として割ってしまった。その音に我に返った。

「兄さん! 大丈夫か」
「ご、ごめん……手が滑って」
「……いいから、処理は俺がするから動くなよ」
「流……ごめんな」
「いいって」

 そうか……あの日だ! 朝から父さんがコーヒーカップを割ってしまい母さんが怒っていた。その声で目が覚めたのだ。

『パパ、おはよう!』

 あの頃はさ……オレも無邪気で父さんに早く抱っこしてもらいたくて、パジャマに裸足のままでリビングに入ろうとしたんだ。

『あ……薙、そこは危ないからママの所で待っていて』
『そうよ。薙っ、足切っちゃうわよ。パパが落として割ってしまったのよ。もう、忙しいのに』

 母さん、随分と意地悪な言い方していたな。
 父さんは……とても傷ついた顔をしていて、子供ながらに守ってあげたくなった。

『パパ、大丈夫?』
『あぁ……うん、大丈夫だよ。さぁママの所に行って』
『……うん』

 そのまま白けた雰囲気で朝食を食べたが、父さんの視線はオレを通り越して……ずっと遠くを見ていた。いや、不安定に彷徨っていた。

 まさか……父さん、目が悪いのか。病気だったのか。
 あの時も今も……?

 俺は慌てて父さんに肉を取ってやり、目の前に差し出した。

「と、父さん、ほら、もっと食べないと」

 父さんに驚かれた。

「えっ……薙?」
「ほら、肉、食べて」
「参ったな。息子に世話されてしまうなんて……」

 口ではそんなことを言いながら、父さんは嬉しそうに美味しそうに肉を箸で摘まんで頬張った。

「う……っ」

 そして泣いた。

「え……どうしたんだよ?」
「ご、ごめん。薙の優しさが嬉しくて……父さん、最近……涙腺が」
「お、驚かすなよ。もう、こんなことでいちいち感激するなんて泣くなよ。オレが意地悪したみたいだ」
「ご、ごめん、薙はいい子だよ」
「父さんはさ、もっと食べて太ってくれよ」
「え?」
 
 嘘だ……オレは父さんに対して、ずっと無下な態度を取ってきた。あの事件の前は、父さんに何かをしてやろうなんて、これっぽっちも思わなかった。

「薙の言う通りだ。翠はしっかり食べて、もう少し体力をつけた方がいいぜ」
「流まで言うのか」
「父さん、オレは父さんに似ているんだから、父さんがちゃんと食べてくれないと……オレも元気でないよ!」

 父さんに似ていると認めるのが、ずっと嫌だったのに今は違う。

 優しく思慮深く、凜々しい父さんの息子で良かった!

 洋さんが意外そうな顔を浮かべていた。

「薙くん、君……少し変わったね。でも俺も同じ気持ちだ。ずっと母に似ているのが嫌だったが、今は似ていて良かったと思っている」

 洋さんが笑えば、大輪の白百合が揺れるようにしっとりとした香しさが広がった。

「薙くんと俺は、持って生まれたものに、これからは感謝していこう」

 今日、流さんが寺の仕事をして、父さんがどこへ行ったのか、オレは知らない、聞かなくてもいい。

 今、オレを愛おしく見つめてくれる父さんが、目の前にいるのだから。

 もしかしたら……何かが変わるのか。

 父さんの凜とした心を失わないためなら、オレはその変化を静かに見守るよ。
 
 いつの間にか……オレの視界も濡れていた。


 
 
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