重なる月

志生帆 海

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14章

追憶の由比ヶ浜 6 

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 由比ヶ浜。

 春の太陽を浴びてキラキラと光る海岸には、ゆったりと散歩をし、犬を遊ばせる人がいた。

「気持ちいいですね。皆さん思い思いに楽しんでいるようです」
 
 砂浜が広いので、海は穏やかで高い波はやって来ない。

 優しい波が、繰り返し……繰り返しやってくる。

 翠さんみたいな穏やかで綺麗な海だな。
 
「海はいいね。僕は久しぶりだ」

 翠さんも足下に寄せては返す波を見つめながら、目を細めた。
 
「俺は先日流さんに葉山の海を見せてもらいました」
「うん、そういえばあの時、洋くんが拾ってきたシーグラス、ここでも見つけられるかな?」
「どうでしょう? 昼食を食べたら探してみませんか」

 翠さんは空を見上げて、何かを確認していた。

「あの? 空に何か?」
「トンビがいる時は気をつけた方がいいよ。食べ物を攫われてしまうからね。昔、僕も被害にあったことがあって……あの時は流が自分のおにぎりを僕にくれて……あの食いしん坊の流がね……ふっ」
「そうなんですね。今日は無事だといいのですが」
「急いで食べてしまおう」
「あ、飲み物! 流さんが水筒を持たせてくれました」
「気が利くね」

 出掛けに、流さんに水筒と帽子を渡された。

 ……
 
『洋くん、待てよ。日差しが強いから、これを被って行け」

 いつの間にか流さんがキャップを持ってきて、被らされた。

「まるで子供みたいですね」
「似合ってるよ。洋くんは実年齢よりずっと若く見えるから、まだ10代の少年のようだ」
「まさか! 俺はもうすぐ30歳ですよ?」
「はは、まぁ若いのはいいことだ。丈が喜ぶだろう。それから飲み物も持っていけよ。これ、翠の分も頼む」

 ずしっと重たい水筒まで渡されてしまった。幼子のように手取り足取り世話をされて恥ずかしくもなるが、もしも俺に兄がいたら、こんな感じだったのだろう。そう思うとありがたくその好意を受け取ることが出来た。

 そして遠い昔……似たような体験をした、デジャブを感じていた。

「洋くん、あのさ……翠のこと……今日はどうか頼むよ」

 本当は、流さんが一緒に行きたいのでは?
  
「あの……翠さんを連れ出すのは、本当に俺でいいんですか。由比ヶ浜の家には、流さんも一緒に行きたいのでは? よかったら一緒に行きませんか」
「……翠はこの寺の住職だ。本来ならば、こんな風に突然外出は出来ないが、俺なら仕事を代わってやれるのさ。だから俺は残るよ」
「あ……そうですよね。流さんも立派なお坊さんです」
「それに……君だからだぜ。まずは……翠の苦しみに同じ方向から寄り添って欲しい」
「あ……はい」

 やはり、そこなのか。
 翠さんの不調は、あの事件が尾を引いているのは一目瞭然だ。
 あの事件の発端は、翠さんが高校時代から始まった根が深いものだと聞いている。

 長い年月……積もり積もった我慢、執拗な視線に絡め捕られる恐怖。それは俺が中学から大学卒業まで、あの人から浴び続けたものと似ている。そういう意味でも、俺と翠さんは運命共同体のような縁を感じてしまうんだ。

「ごめんな、俺……結局、洋くんに甘えているよな」
「いえ、俺に出来ることがあるのが嬉しいです。あの……今日は俺が行きますが、流さんに来て欲しい時は、すぐに呼びます」
「あぁ出番が来たら知らせて欲しい。丈にも負担かけるな」

 隣でやりとりを聞いていた丈が、ふっと笑う。

「流兄さんの事情は察していましたよ。洋……くれぐれも今日は無理しすぎるな。翠兄さんが話したいことを話せる所まででいい。翠兄さんが辿る過去は……かなり体力を消耗するはずだ」
「あぁ、丈。そうするよ」
「洋……翠兄さんのことを、どうか頼む」

 今まで見たことがない表情を、丈も浮かべていた。
 
 弟としてのお前の顔、見たかった。俺も丈も人間関係に不器用だが、こうやってストレートに頼られ求められるが、本当に嬉しいよ。

 俺も兄弟の一員として頼りにされているのを感じ、心が引き締まった。

「丈、お前の大切な洋くんにも負担かけるな。悪い」
「いえ……流兄さん。私にとっても翠兄さんは大切な人です」

 ……

 出掛けに繰り広げられた兄弟とのやりとりを思い出し、胸の奥がじんわりと熱くなった。

「洋くん、大丈夫?」
「あ、すみません。もう食べ終わりましたので、シーグラスを探してみましょう」
「そうだね」

 さぁ、海岸には何が落ちているか。

 ところが……大きな石や小さな石、まだシーグラスになっていないガラス片は結構見つかったが、シーグラスは残念ながら見つからなかった。

「見つからないね。葉山の海に行かないと駄目かな」
「今度流さんとぜひ」
「そうだね。流に頼んでみるよ」
「あ……でも貝殻は沢山落ちていますね。ほら、これなんてピンク色で綺麗ですよ」
「あ……これは、桜貝だね」

 淡い桜色の貝は、翠さんの心のようだと思った。

「そういえば海里先生が自慢されていたよ。この海岸の桜貝は綺麗だと。そして桜貝にちなんだ歌を、よくレコードで聞かせてもらったんだよ」
「どんな歌だったのですか」
「あれは……恋人を若くして亡くした切ない歌だった」

  翠さんの追憶が、また始まったようだ。

「僕はね……その曲を聴くと……自然と涙が流れ落ちたんだ」
「そうだったのですね」
「先生は、時には人知れず泣く場所も必要だと仰って下さって……だから僕は……ここに……やってきた」





 
 
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