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14章
追憶の由比ヶ浜 3
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「ようちゃん、またいらっしゃいね~」
「はい、ありがとうございます」
呼ばれ慣れない名前で、気恥ずかしかった。
再び運転し出すと、助手席で翠さんが朗らかに笑っていた。
「くすっ、洋くん、驚いた? 僕や流が小さい時からの贔屓の店でね、おばあさんにはずっとあんな調子で可愛がってもらっているんだ」
「『すいちゃん』も『りゅうちゃん』も、可愛い呼び名でした。あの……丈は一緒ではなかったのですか」
「うーん、丈はね……頑なに行かなかったよ。僕たちが誘っても首を横に振るだけで……でも最中は好きなんだよ。今日は丈の分も買ったから、お土産に持ってお帰り」
しまった! 気を回して丈の分を買えば良かうべきだった。
あぁ、俺は相変わらず不器用だ。
己の気の利かなさに、腹が立った。
「すみません。俺が気付けば……駄目ですね」
「ふっ、そんなことないよ。洋くんがいれば、丈はそれで幸せなんだよ。だから君は何も気にしなくていい」
「……はい」
「僕が兄として可愛い弟にお土産を買ったまでだ。ん? そうだろう」
「ありがとうございます」
翠さんは、こんな風にいつだって向き合っている相手の心の機微に敏感だ。
逆に励まされてしまった。
「あ、間もなく到着します。えっとナビによると……」
「大丈夫だ。ここまでくれば僕にも分かるよ。あの路地を曲がれば、すぐだから」
「こっちですか」
「そう、あ、そこが入り口なんだ。駐車場が左手にあるから停めて」
「はい」
いよいよ、到着だ。
「ここなんですね」
お祖母様の話通り、瀟洒な白い洋館が建っていた。
こじんまりしているが、とても優しい雰囲気が漂っていた。
もう人が住まなくなって朽ち始めていたが、大正浪漫を感じさせる佇まいだ。
俺は一度もここに来たことがないのに、不思議な感覚に陥った。
道を挟んで海が見える素晴らしい眺望……海岸線を走っているのは誰だ。
小さな女の子たち……その後から声がする。
『ゆうちゃん、あーちゃん、お待ちなさい』
若かりし……祖母の声が聞こえた。
その後、空に瞬く星が二つ、白い洋館に降ってくるような情景も浮かんだ。
「生命の源……?」
「洋くん、大丈夫?」
「あ、はい。あの、祖母から鍵を預かっているので、中に入ってみましょう」
「うん。この看板まだあったんだな」
翠さんがすっと指さす場所には、かなりペンキの剥げた看板があった。
『海里診療所』
「わぁ……本当にここは、翠さんが話してくれた海里先生の診療所だったのですね」
「うん、現実に見ても不思議な感じだね。やはり洋くんと僕たちは深い縁で繋がっているんだね」
こんなに素晴らしい人達との縁なら、大歓迎だ。
「嬉しいです」
「あ、洋くん、そっちではないよ」
「え?」
「実は……すぐ隣りに、同じスタイルの洋館が二棟並んで建っているんだよ」
「あれ? あれれ……本当だ」
看板を挟んで右と左。
まったく同じ家が並んでいる。
「海里診療所は左だよ」
「でもどうして、全く同じ建物が?」
「うーん、それは僕にも分からない。洋くんのお祖母様に聞いたら分かるかもしれないね」
「お隣さんは今も住んでいるみたいですね」
「あ……本当だ」
隣の庭に、白いシーツがはためいているのが見えた。
****
「ようちゃん……」
「え?」
「あら嫌だわ。ごめんなさい……私、何を言って」
つい……洋のことを「ようちゃん」と口に出して呼んでいたのを、雪也さんに聞かれてしまい気恥ずかしくなった あの子はもう30歳近いのに、こんな呼び方は今更よね。
「今度呼んであげてください。きっと洋くんは喜ぶでしょう」
「そうかしら? 気持ち悪がられないかしら」
心配になって雪也さんに伺いを立てると、背後から明るい声がした。
「まぁ、その発言は、白江さんらしくないですよ」
「春子ちゃん!」
「白江さん、ご無沙汰してすみません。今回は英国まで足を伸ばしていたので」
「ええぇ? 日本だけでなく英国にまで行っていたの、あなたはタフね」
「ふふっ、はい。未だに好奇心の塊です。でもこうやって雪くんがデンと構えてくれているので、安心して行っては戻りを繰り返せています」
熟年になった春子ちゃんは日本でも有名な民俗学者となり、著書も多い。本当にびっくりよね。初めてあなたがここにやってきた時は、読み書きも満足に出来なかったのに。
「春子ちゃんはいつもこんな感じですよ」
未だに『春子ちゃん』と『雪くん』と呼び合うおしどり夫婦がここにいる。
あとがき(不要な方はスルー)
****
補足です。
雪也の妻の春子ちゃんの話は『鎮守の森』里帰り番外編 『楓』以降にて書いています。物語はどんどんクロスオーバーしていきます!他サイトですみません。
https://estar.jp/novels/25788972/viewer?page=72
「はい、ありがとうございます」
呼ばれ慣れない名前で、気恥ずかしかった。
再び運転し出すと、助手席で翠さんが朗らかに笑っていた。
「くすっ、洋くん、驚いた? 僕や流が小さい時からの贔屓の店でね、おばあさんにはずっとあんな調子で可愛がってもらっているんだ」
「『すいちゃん』も『りゅうちゃん』も、可愛い呼び名でした。あの……丈は一緒ではなかったのですか」
「うーん、丈はね……頑なに行かなかったよ。僕たちが誘っても首を横に振るだけで……でも最中は好きなんだよ。今日は丈の分も買ったから、お土産に持ってお帰り」
しまった! 気を回して丈の分を買えば良かうべきだった。
あぁ、俺は相変わらず不器用だ。
己の気の利かなさに、腹が立った。
「すみません。俺が気付けば……駄目ですね」
「ふっ、そんなことないよ。洋くんがいれば、丈はそれで幸せなんだよ。だから君は何も気にしなくていい」
「……はい」
「僕が兄として可愛い弟にお土産を買ったまでだ。ん? そうだろう」
「ありがとうございます」
翠さんは、こんな風にいつだって向き合っている相手の心の機微に敏感だ。
逆に励まされてしまった。
「あ、間もなく到着します。えっとナビによると……」
「大丈夫だ。ここまでくれば僕にも分かるよ。あの路地を曲がれば、すぐだから」
「こっちですか」
「そう、あ、そこが入り口なんだ。駐車場が左手にあるから停めて」
「はい」
いよいよ、到着だ。
「ここなんですね」
お祖母様の話通り、瀟洒な白い洋館が建っていた。
こじんまりしているが、とても優しい雰囲気が漂っていた。
もう人が住まなくなって朽ち始めていたが、大正浪漫を感じさせる佇まいだ。
俺は一度もここに来たことがないのに、不思議な感覚に陥った。
道を挟んで海が見える素晴らしい眺望……海岸線を走っているのは誰だ。
小さな女の子たち……その後から声がする。
『ゆうちゃん、あーちゃん、お待ちなさい』
若かりし……祖母の声が聞こえた。
その後、空に瞬く星が二つ、白い洋館に降ってくるような情景も浮かんだ。
「生命の源……?」
「洋くん、大丈夫?」
「あ、はい。あの、祖母から鍵を預かっているので、中に入ってみましょう」
「うん。この看板まだあったんだな」
翠さんがすっと指さす場所には、かなりペンキの剥げた看板があった。
『海里診療所』
「わぁ……本当にここは、翠さんが話してくれた海里先生の診療所だったのですね」
「うん、現実に見ても不思議な感じだね。やはり洋くんと僕たちは深い縁で繋がっているんだね」
こんなに素晴らしい人達との縁なら、大歓迎だ。
「嬉しいです」
「あ、洋くん、そっちではないよ」
「え?」
「実は……すぐ隣りに、同じスタイルの洋館が二棟並んで建っているんだよ」
「あれ? あれれ……本当だ」
看板を挟んで右と左。
まったく同じ家が並んでいる。
「海里診療所は左だよ」
「でもどうして、全く同じ建物が?」
「うーん、それは僕にも分からない。洋くんのお祖母様に聞いたら分かるかもしれないね」
「お隣さんは今も住んでいるみたいですね」
「あ……本当だ」
隣の庭に、白いシーツがはためいているのが見えた。
****
「ようちゃん……」
「え?」
「あら嫌だわ。ごめんなさい……私、何を言って」
つい……洋のことを「ようちゃん」と口に出して呼んでいたのを、雪也さんに聞かれてしまい気恥ずかしくなった あの子はもう30歳近いのに、こんな呼び方は今更よね。
「今度呼んであげてください。きっと洋くんは喜ぶでしょう」
「そうかしら? 気持ち悪がられないかしら」
心配になって雪也さんに伺いを立てると、背後から明るい声がした。
「まぁ、その発言は、白江さんらしくないですよ」
「春子ちゃん!」
「白江さん、ご無沙汰してすみません。今回は英国まで足を伸ばしていたので」
「ええぇ? 日本だけでなく英国にまで行っていたの、あなたはタフね」
「ふふっ、はい。未だに好奇心の塊です。でもこうやって雪くんがデンと構えてくれているので、安心して行っては戻りを繰り返せています」
熟年になった春子ちゃんは日本でも有名な民俗学者となり、著書も多い。本当にびっくりよね。初めてあなたがここにやってきた時は、読み書きも満足に出来なかったのに。
「春子ちゃんはいつもこんな感じですよ」
未だに『春子ちゃん』と『雪くん』と呼び合うおしどり夫婦がここにいる。
あとがき(不要な方はスルー)
****
補足です。
雪也の妻の春子ちゃんの話は『鎮守の森』里帰り番外編 『楓』以降にて書いています。物語はどんどんクロスオーバーしていきます!他サイトですみません。
https://estar.jp/novels/25788972/viewer?page=72
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