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14章
心通わせて 7
しおりを挟む俺の熱を身体の最奥で受け止めたまま、翠は意識を飛ばしてしまった。
どうやら、体力の許容範囲を超えてしまったようだ。
「翠……すまない」
俺よりずっと体力のない翠に、かなり無理をさせた。こんな屋外で抱くのは身体に負担なだけなのに止まらなかった。翠の求め方も激しくてつい。
しかしよく考えれば今日だって、翠は朝から休む暇もなく忙しそうだった。洋くんの案件を我が身の如く心配し、薙に対しても父親らしく接し……。
翠はこの世にひとりしかいないのに、どの顔も手を抜かない。
いやそうじゃない。
どの顔の翠も、翠なのだ。
翠がそうしたいと願っているのだから、止められない。
「翠……ゆっくり休んでくれ」
こんな縁側で抱き潰してしまったことを、耳元で真摯に詫びた。
もう夜も更け、薙も眠ってしまっただろう。
「戻るか」
「……」
まだ歩けそうもないので翠を横抱きにすると、その身の軽さに驚き、思わず泣きそうになった。
以前よりまた痩せたのでは?
やはりまだあの達哉の事件がトラウマになって、翠を知らず知らずのうちに苦しめているのか。
以前もこんなことがあった。
葉山の海で溺れた翌日、急に目が見えるようになって、今度は見えることを怖がり出したのだ。
何かに怯える翠に、俺は四六時中ずっと付き添った。
そんな最中、流石の俺も気が張りすぎたのか、お盆休みの真夜中に珍しく高熱で意識が混濁してしまった。それがきっかけで由比ヶ浜の海里先生にお世話になったのだ。翠はそれから何度も足を運んで、行くたびに落ち着きを取り戻していった。今考えると何かカウンセリングのようなものを受けていたのだろうか。海里先生は外科の専門医だったが、人の心に敏感なお方だったから。
「さぁ行くぞ」
静かに竹林を横切って勝手口から母屋に戻り、風呂場へ連れて行った。
「あ、流……ごめん、僕……」
「悪かったな、風呂で洗ってやるからじっとしてろ」
「うん」
翠は全てを俺に任せてくれるので、恭しい気持ちで俺に塗れた身体を洗浄してやった。
正気に戻った翠を自室の布団に寝かせて部屋から出ようとすると、翠がか細い声で訴えた。
「流……あのね、僕は最近……暁から東雲《しののめ》、やがて曙に空が動く時間がとても怖いんだ」
それは……前世の俺が身罷った時間だ。
くそっ、翠……どうした?
そんな気弱なこと言うな!
しっかりしろよ!
俺の言葉は今の翠を苦しめそうで、呑み込んだ。
「……俺が傍にいるから大丈夫だ」
「うん」
「なぁ、由比ヶ浜の海里先生に会いに行かないか。兄さんはあそこに行くと、いつも落ち着きを取り戻しただろう」
「流? 何を言って……海里先生は、もうとっくにお亡くなりになったよ」
「だが……さっきの話では部屋の中はそのままのようだ。先生の居た頃のまま……」
「そうだね。それなら、行ってみたいね」
****
洋を抱きしめて、また朝を迎えた。
一足先に起きてシャワーを浴びていると、竹林がガサリと揺れた。
窓の向こうに突如、濃紺の作務衣姿の兄さんが現れたので驚いた。
「どうしたんです? こんなに朝早くから」
「うむ……ちょっと相談があってな」
「……翠兄さんのことですか」
「おい、なんで分かるんだ?」
「流兄さんがそんな顔をするのは、翠兄さんのこと以外ないでしょう」
「参ったな、実は最近翠の情緒が不安定でな。やはりあの事件がまだ尾を引いているようで、翠はそういうの全部隠して頑張ってしまうが、どこかで大きな歪みが生まれそうで怖いんだ」
流兄さんの訴えに、ぞくりとした。
やはり、あの事件で植え付けられた恐怖は相当根が深そうだ。
いつストレスが爆発するか分からないというわけか。
「私も心配していたんです。私で何か役に立てることがあれば言って下さい」
「その……洋くんの由比ヶ浜の家にはいつ行く予定だ?」
「洋は今すぐにでも行って見たそうでしたが、私は仕事があって来週末になりそうです」
「そうか……」
流兄さんが苦しそうな顔をする。
「洋に相談してみましょう。急ぐのでしたら先に行っても」
「いや、それは悪いよ。俺たちの都合だ」
すると後ろでコトリと物音がした。
「あの……良かったら今日にでも翠さんと行ってきてもいいですか」
「洋くん!」
「洋、起きたのか」
いつも寝起きは悪い洋なのに、今日はしっかりと目覚めたようだ。何か使命を感じたのだろうか。
「翠さんは、あの家に住んでいた先生と交流があったのですよね。もう先生は残念ながら他界されていますが、家の中は当時のままだと祖母が言っていました。翠さんの慰めになるのなら、ぜひ」
「そうか……悪いな、洋くん……君なら兄さんの苦悩を救えるかもしれない」
「あ……はい。お役に立てるか分かりませんが、俺も気になっていました。最近の翠さんの様子……少し変だったので。全てのことに全力投球ですが、何かから逃れたがっているようにも感じて心配でした」
ここは任せてみようか。
きっと今の洋ならば、大丈夫だ。
洋自身も成長するだろうし、翠兄さんの壊れそうな心を……どうか慰めて欲しい。
「洋、頼めるか」
「あぁ」
朝日に照らされた洋の顔は、凜としていた。
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