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14章
心通わせて 3
しおりを挟む「兄さん、一体どうしたんです? そんなに慌てて」
「りゅ、流……この住所は」
兄さんが土地建物の権利書の住所を指さし震えるので、確認した。
「どれ?」
神奈川県鎌倉市由比ガ浜4丁目……
「あれ? もしかして海里先生の所と近いのか。ちょっと待て、先生の名刺があったはずだ」
慌てて引き出しの中を引っかき回した。お互い二十代の頃……兄さんが葉山の海で溺れた時に助けてくれた先生から、もらったものがあるはずだ。
「あった!」
「見せてくれ」
兄さんの様子を、固唾を呑んで見守った。
「なんてことだ……とても不思議なご縁だ。まさか……同じ住所だなんて」
「じゃあやはりこの家は、あの由比ヶ浜診療所だった場所か」
「そうだ、海里先生の診療所だよ」
俺たちの会話を、丈と洋くんが不思議そうに見つめていた。
「あのですね、さっきから話が見えないのですが。つまりここは兄さんたちのお知り合いの住居だったのですか」
丈が聞けば、今度が洋くんが叫んだ。
「あ、そうか! 丈、さっきお祖母様が話されていたじゃないか。一時期は幼馴染みのお医者さまに貸していたと」
「あ、そうだったな。だが……まさか、兄さんたちと関わりが合ったなんて」
世間は狭いというか、これもご縁というか。
「驚いたな。先生はもう他界されてしまったが、ここが空き家になっているということは、きっともうあの人も、いないんだね」
兄さんと俺は顔を見合わせた、不思議な心地になった。
あの後、実は今度は俺がお盆休み中に熱を出して、世話になったのだ。それから縁が続いて、先生の家に遊びに行ったことがあった。
あの家には、先生の他に、もうひとり住人がいた。
とても品のよい男性だった。
先生はもうかなり高齢だったが、彼はもう一回り若いようだった。
二人の関係を直接聞いたことはなかったが、今となれば、俺と兄さんみたいに男同士で愛し合っていたのではと思う……甘い空気が漂っていた。
「お祖母様の幼馴染みの方の生涯のパートーナーが、お医者様だったと聞きました。つまりお祖母様が丈との同性愛の関係を受け入れて下さったのは、彼らのお陰なんです」
「驚いたな……実はそこを否定されるのではと心配していたのだが、すんなり認めてもらえたのには、そんな理由があったのか。これはまさに『因縁果』だね」
翠がしみじみと話す。
「あの……『因縁果』とは?」
洋くんも丈も仏教用語には弱いので、翠が住職の説法のように噛み砕いて教える。
「仏教には『因縁果《いんねんか》の道理』というものがあってね。つまり……モミだねがないとお米は取れないが……モミだねだけでも、お米は取れないということだ」
「あの……?」
「言っている意味は分かる? 日光や水、土などが揃って初めて種は芽を出してお米になるんだ。このように因《たね》が果となるための助けとなるものが『縁』なんだ。だから縁はとても大切なんだよ。まさに今日の洋くんの出来事は、過去の縁に支えられた結果だったね」
翠の静かな説法は、洋くんの心にもストンと落ちたらしい。
「そうか……俺は白江さんが大切にしてきたご縁に助けられたのですね」
「それもあるが……洋くんもご縁を大切にしているからだよ」
「それは翠さんも流さんも同じですよね。まさかその先生と縁があるなんて驚きました」
そうだ……人は縁に支えられて生きている。それを忘れてはならない。
少しの行き違いから……相手を許せず、相手を罵倒し、せっかくそれまで築いた縁を、人は簡単に切ってしまうことがある。
けなしあって、いがみあって……そんなことを繰り返していたら、いざとなった時に肝心の縁がなくなって、実ることが出来ずに苦しむのだろうな。
そんなことを漠然と思ってしまった。
****
「兄さん、入っていいか」
「ん……流、どうした?」
その晩、兄さんの部屋に忍び込んだ。
今日の翠は、兄の顔に、住職の顔ばかりでつまらなくなったのさ。
「外に行かないか」
「ん?」
「夜風に当たろう」
「分かった。少し待て……羽織を……」
兄さんが羽織ると、ふわりと香の匂いが広がった。
翠という名の香……かかさずつけてくれてありがとうな。
「翠、さっきの話……とても不思議な縁だな」
「あの先生は……僕たちの関係を最初から気付いていたんだ」
「え? どういう意味だ?」
「あ、いや何でも無いよ。忘れてくれ」
翠の顔が途端に朱に染まる。これは何かとんでもなく良いことを言ってもらえる予感しかしない。
「す、翠……こっちに来い」
「あっ」
翠の細い手首を引っ張り、間もなく完成する俺たちの家に連れてきた。
まだ作りかけの家の縁側に、翠を座らせた。
「さっきの話の続きを! あの葉山の海で溺れた時、部屋で先生と何を話した? 俺がお粥を作ってもらいに席を外した時間があっただろう?」
「な、何も……話してはいない。流を弟だとしか言っていない」
「じゃあ先生に何か聞かれなかったか」
「あ……あの……その……いきなり『君たちは恋人同士なのか』と聞かれたんだ……」
「やっぱり! で、翠はどう思った? どう答えてのではなく、どう心の中で思ってくれた?」
翠の肩を柱に押さえつけて、聞く。
「言わないと駄目か」
「あぁ、口に出して……俺には伝えてくれよ」
翠は観念したかのように、長い睫毛を揺らした。
「……あの頃から、僕は流を意識していたのかな……いやもっと前からなのかな。心の中では海里先生に『恋人になりたい同士かもしれないです』と……答えていたんだ」
やはり! 可愛いことを。
「あの日、海里先生から唐突に聞かれて……お前をますます意識してしまって困った。先生はあの世で……僕らがこうなったことを喜んでいて下さるかも……あの人と一緒に優しく見守って下さっているのかな」
「可愛いことを……翠……俺の翠……」
そのまま翠を縁側に押し倒して、名を呼ぶと交互に、淡い唇を奪った。
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