重なる月

志生帆 海

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13章

正念場 15

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 洋の方が、少しだけ早く起きたのかもしれない。

 どうやら昨晩風呂に入ってないのを気にしているようで、モゾモゾと決まり悪そうに動き出す様子が可愛かった。昨日は抱けない代わりに、洋の香りに包まれたくて寄り添って眠ったせいで、私の顔が近いことに戸惑っているのも、手に取るように分かった。

 逃げようとする細腰を掴んで制したら、真っ赤になって怒られた。普段もっと恥ずかしいことをしているし、見せてくれているのに……初心な反応は相変わらずだな。そんな所が好きだ。

「おいっ、あまり顔近づけるなよ」
「何故だ? 」
「だって……昨日髪洗ってないし、なんか……その匂いが……」

 成程……匂いの事を気にしているのか。

 洋はもともと体臭が薄い方だし、ちゃんと昨日は蒸しタオルで丁寧に拭いてやったので何の問題もないはずなのに、繊細なことを。

 そんな洋が可愛くて苛めたくなってしまうよ。大人げないと思いながら、わざと首筋に顔を埋め、鼻でスンっと空気を吸い込めば、押さえつけた洋がジタバタと暴れだした。

「俺が嫌だ!」
「大丈夫だ」
「大丈夫なんかじゃない! お願い……シャワー浴びさせて……」
 
 暴れれば暴れるほど押さえつけたくなってしまうのは何故だろう。

 私にこんな嗜虐心を抱かせる洋が悪い。

 朝日が降るベッドで戯れていると、玄関のインターホンが鳴った。

 なんだ? こんな朝早くに……

 寝たふりで無視しようと決め、洋をもう一度抱きしめると、ドンドンっと扉が叩かれた。こんなことをするのはただ一人。流兄さんに違いない。

「丈~開けろ!! おーい、まさか朝から洋くんを苛めてないよな」

 それは図星だ。

「わっ! 流さんだ」

 洋も目を丸くしていた。

「じょっ……丈、いい加減に離せよ」
「……あぁ」

 諦めて……腰を掴んでいた手を緩めると、洋は慌てて着衣を整え、玄関に裸足のまま駆けだして行ってしまった。

 やれやれ……またいい所で邪魔が入ったな。

 私も節操無しの意地悪だとつくづく思うが、この躰が洋を求めてやまないのだから仕方がないだろう。

****

 ドアを叩く声の主は流さんだった。

 なんだろう? こんなに朝早くから。

 焦ってドアをあけると、作務衣姿の流さんが豪快に笑っていた。

「おー! 洋くん、無事か」
「ぶっ……無事って何がです?」

 流さんは玄関から身を乗り出し、キョロキョロとしていた。

「丈、まだ寝てる?」
「えっと、まぁ……」

 返事がないのは、不貞寝かもしれないな。

「そうか、実は翠兄さんが気にしていてね。今日は髪を洗いたいだろう? だからおいで、洗ってやるよ。美容室みたいな台を、風呂場に用意したからさ」
「えっ……ええ?」
「ほら、お湯が冷めるから早く」

 そのまま手首を掴まれて中庭に出た。

「それにしても丈はいい子に寝たのか。ふぅん……アイツが珍しいな」
「流さん、もう……あんまり苛めないでください」
「ははっ、ごめん。頬の傷は痛むか」
「……昨日程では」
「そう……良かったよ。俺も翠も気になってあまり眠れなかった」
「そんなに心配してもらえたのですか」
「当たり前だよ。君は可愛い弟だからな」

 擽ったいような気持ちで母屋に入ると、翠さんがタオルを持って迎えてくれた。

 あっ! 俺……まだパジャマ姿だ。恥ずかしい!
 
「洋くん、そろそろ髪を洗いたいだろう。離れの風呂場では上手く洗えないと思ってね。くすっ……まだパジャマだったんだね。可愛いね」

 翠さんに可愛いって言われてしまった!

「すっ……すみません。急だったから」
「いや、どうせ洗髪する時、濡れてしまうかもしれないから、丁度いいよ。じゃあ洗っておいで。流は怪我人の介助が上手いんだよ」
「はぁ」

 風呂場に案内されると、驚いたことに簡易ベッドのようなものが浴室内に置かれていた。

「さぁここに寝て」

 どうやら美容室のシャンプー台の椅子代わりのようで、首を置く位置にはタオルが置かれ、その先にはシャワーと洗い桶が準備されていた。せっかくここまで用意してくれていたのだからと、甘えることにした。

「さぁどうぞ。お客様」

 流さんはおどけていた。俺が横たわると、そっと顔にタオルをかけてくれ、温かいお湯で頭皮を潤してくれた。

「……気持ちいい」

 それからとても香りの良いシャンプーを馴染ませ、モコモコに泡立ててくれ……頭皮もマッサージしてくれるので爽快感が半端ないよ。流さんって本当になんでも出来る人なんだなと感心してしまった。

「痒いところはない?」
「はい」
「じゃあ流すぞ」

 シャンプーのあとは丁寧にトリートメントまでしてもらい、まるで本当の美容室のようで感動してしまった。

「タオルを外すよ。ひとりで起きられるか」
「あっはい。すごく気持ちよかったです! ありがとうございます!」
「良かったよ……昔よく翠にやってあげたのを思い出してね」
「え……翠さんも、以前俺みたいに怪我を?」

 すると流さんの瞳が、少し影ってしまった。
 俺、余計なことを聞いたのかもしれない。

「あっすみません、余計なことを」
「いやいいんだ。翠は昔から怪我や病気が多いんだ。実はな、一時期……目が見えなかったこともあってね」
「えっ……視力を失っていたのですか」

 流さんは俺の頭をタオルドライしながら、少しだけ話してくれた。

「あぁストレスで視力を失っていたから、ひとりで風呂に入ったり出来なかったんだよ。だからこんな風によく洗髪してやったんだ。それを思い出してね」
「そうだったのですか。それはいつのことですか」
「離婚して戻って来た時さ。洋くん、実はな……最近また翠の眼の調子が良くないんだ。どうか気を付けてやってくれ。お願いだ……翠の苦しみにどうか寄り添って欲しい」

 タオルドライの手が、ぴたりと止まった。

 流さんはそれまでの陽気な感じから打って変わって、辛そうな声を絞り出した。

「頼りにしている……」
 


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