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13章
正念場 8
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「洋、洋……」
耳元で丈の声がする。あれ……? 俺はいつの間に家に戻ったのか。春馬さんに車で駅まで送ってもらっている最中だったはずだ。電車に乗った記憶がどんなに考えても浮かばないのに、この声は確かに丈だ。
「えっ……丈?」
慌てて目を開けると、やはり目の前に、丈がいてくれた。
「ど……どうして?」
心配そうに目を細める丈の顔が間近にあり、ほっとした。だから思わずその腕に手を伸ばし、しがみついてしまった。
「丈っ」
ここが何処かということよりも、とにかく丈に触れたくて……
「洋、少し休んですっきりしたか」
丈は俺の頭に手を回し、広い胸板に押し付けるように抱きしめてくれた。
「……うん……あの、ここ何処だ?」
「あのカフェの向かいの洋館、冬郷春馬さんの家だ」
「えぇっ! あっ……じゃあ俺、また仕出かしちゃったのか」
カーテンの外はもう真っ暗だ。まただ……また意識を失って、他人の家でこんな暗くなるまで眠りこけてしまうなんて、大失態だ。丈に怒られる……そう思うと身体が強張ってしまった。
「ふっ……強張るな。私は怒っていないから、大丈夫だ。電車の中や道で一人で倒れられるよりも良かったよ。ここはどうやら安全のようだ。それに……洋、今日は大変だったしな」
今日の丈は、どこまでも優しい。怪我した俺を労わってくれているのを、ひしひしと感じた。
「……うん」
「ここ……縫う時かなり痛かったろう? 麻酔の細い注射も……洋には怖かったろう? 縫うのもチクチクして気持ち悪かったよな」
まるで小さい子供をあやすように、俺の傷のない方の頬を丈が優しく撫でてくれる。
もういい歳の大人なのに、俺はどこか大人になり切れていない。それに……こんな風に優しく扱ってもらうと何もかも投げ出して、丈にしがみついて泣きたくなる程に弱っていた。
「うっ……注射は嫌いだ。縫うのは……本当はすごく怖かったよ」
ずっと我慢していた本音がポロポロと零れ落ち、それと同時に涙まで流す始末で、恥ずかしい。
「よしよし……頑張ったな」
丈は相変わらず優しい口調のまま、何度もそう言ってくれた。
遠い昔の母の声を思い出す。転んで泣いた俺に何度も何度も声をかけてくれた。
『洋、痛いの痛いの飛んでいけ……! 洋はよく頑張ったわ』
もう会えない追憶の人なのに、すぐ近くにいるように感じるのは何故だろう。ここが母の生家に近いからなのだろうか。
その時、小さな男の子の足音がパタパタと聞えた。
「あ! おにちゃんたちギュッてしてるね。どこかいたいの? さみしいの? 」
わっ! 驚いた。3歳くらい男の子が、俺と丈が抱き合っている所を、つぶらな瞳で見上げていた。
そうだ! ここは人の家だったことを思い出し、焦ってしまった。
「おいっ! こら~秋《アキ》、勝手にそこに入ったら駄目だぞ」
続いて入って来た、春馬さんとも目がばっちり合ってしまった。
「あぁ……悪い。お取込み中だったか」
「パパーおにいちゃんたち、ギュッしてたよ! いいなぁ。ボクもだっこぉ」
小さな手を懸命に伸ばして抱っこをせがむ男の子。春馬さんの息子さんかな。可愛いなと思わず頬が緩む。それにしてもさっきの抱擁見られてしまったようだ。丈と俺のこと、まだ知り合って日が浅い春馬さんには何も話せてないが、何故だか受け入れてもらえるのではと甘い考えが浮かんでいた。
「洋さん、起きたんだね。下のレストランの賄い食だけど、温かいポトフを用意したよ。少し腹に入れてから帰った方がいい。それに痛み止めの薬も飲まないと」
「春馬さん……何から何まですいません。迷惑ばかりかけて」
「いや、白江さんの件は他人事でもないからさ。俺の家と白江さんの家とは大正時代からの付き合いだから遠慮しなくていいんだよ。それに俺の父は、白江さんに信頼されているから、何か困ったことがあったらすぐに言ってくれ」
春馬さんはいい人だ。
「そうですか」
「あっ、それから……」
「はい?」
「白江さんね、さっき、ここに来たんだ。君に詫びにね。その時、君の事『孫』って呼んでいたよ。それで一週間後に会いたいって、枕元にそれを置いて。白い封筒の中には手紙と治療代が入っているそうだよ。そしてこれはさっき床に散らばったシーグラスだよ」
「あっこれは……」
「うん。君のお母さんが白江さんに宛てた手紙。君にも読んで欲しいって……今度会う時に、もう一度君の手から託して欲しいって言ってたよ」
手元には、母が祖母に宛てた封書があった。
これ……俺も読んでいいのか? まさか読ませてもらえるとは思っていなかったので、手が震えた。
写真立てのガラス板は粉々に割れてしまった。
だが……海の荒波に揉まれたシーグラスは割れていなかった。
その事実が、俺を勇気づけてくれた。
耳元で丈の声がする。あれ……? 俺はいつの間に家に戻ったのか。春馬さんに車で駅まで送ってもらっている最中だったはずだ。電車に乗った記憶がどんなに考えても浮かばないのに、この声は確かに丈だ。
「えっ……丈?」
慌てて目を開けると、やはり目の前に、丈がいてくれた。
「ど……どうして?」
心配そうに目を細める丈の顔が間近にあり、ほっとした。だから思わずその腕に手を伸ばし、しがみついてしまった。
「丈っ」
ここが何処かということよりも、とにかく丈に触れたくて……
「洋、少し休んですっきりしたか」
丈は俺の頭に手を回し、広い胸板に押し付けるように抱きしめてくれた。
「……うん……あの、ここ何処だ?」
「あのカフェの向かいの洋館、冬郷春馬さんの家だ」
「えぇっ! あっ……じゃあ俺、また仕出かしちゃったのか」
カーテンの外はもう真っ暗だ。まただ……また意識を失って、他人の家でこんな暗くなるまで眠りこけてしまうなんて、大失態だ。丈に怒られる……そう思うと身体が強張ってしまった。
「ふっ……強張るな。私は怒っていないから、大丈夫だ。電車の中や道で一人で倒れられるよりも良かったよ。ここはどうやら安全のようだ。それに……洋、今日は大変だったしな」
今日の丈は、どこまでも優しい。怪我した俺を労わってくれているのを、ひしひしと感じた。
「……うん」
「ここ……縫う時かなり痛かったろう? 麻酔の細い注射も……洋には怖かったろう? 縫うのもチクチクして気持ち悪かったよな」
まるで小さい子供をあやすように、俺の傷のない方の頬を丈が優しく撫でてくれる。
もういい歳の大人なのに、俺はどこか大人になり切れていない。それに……こんな風に優しく扱ってもらうと何もかも投げ出して、丈にしがみついて泣きたくなる程に弱っていた。
「うっ……注射は嫌いだ。縫うのは……本当はすごく怖かったよ」
ずっと我慢していた本音がポロポロと零れ落ち、それと同時に涙まで流す始末で、恥ずかしい。
「よしよし……頑張ったな」
丈は相変わらず優しい口調のまま、何度もそう言ってくれた。
遠い昔の母の声を思い出す。転んで泣いた俺に何度も何度も声をかけてくれた。
『洋、痛いの痛いの飛んでいけ……! 洋はよく頑張ったわ』
もう会えない追憶の人なのに、すぐ近くにいるように感じるのは何故だろう。ここが母の生家に近いからなのだろうか。
その時、小さな男の子の足音がパタパタと聞えた。
「あ! おにちゃんたちギュッてしてるね。どこかいたいの? さみしいの? 」
わっ! 驚いた。3歳くらい男の子が、俺と丈が抱き合っている所を、つぶらな瞳で見上げていた。
そうだ! ここは人の家だったことを思い出し、焦ってしまった。
「おいっ! こら~秋《アキ》、勝手にそこに入ったら駄目だぞ」
続いて入って来た、春馬さんとも目がばっちり合ってしまった。
「あぁ……悪い。お取込み中だったか」
「パパーおにいちゃんたち、ギュッしてたよ! いいなぁ。ボクもだっこぉ」
小さな手を懸命に伸ばして抱っこをせがむ男の子。春馬さんの息子さんかな。可愛いなと思わず頬が緩む。それにしてもさっきの抱擁見られてしまったようだ。丈と俺のこと、まだ知り合って日が浅い春馬さんには何も話せてないが、何故だか受け入れてもらえるのではと甘い考えが浮かんでいた。
「洋さん、起きたんだね。下のレストランの賄い食だけど、温かいポトフを用意したよ。少し腹に入れてから帰った方がいい。それに痛み止めの薬も飲まないと」
「春馬さん……何から何まですいません。迷惑ばかりかけて」
「いや、白江さんの件は他人事でもないからさ。俺の家と白江さんの家とは大正時代からの付き合いだから遠慮しなくていいんだよ。それに俺の父は、白江さんに信頼されているから、何か困ったことがあったらすぐに言ってくれ」
春馬さんはいい人だ。
「そうですか」
「あっ、それから……」
「はい?」
「白江さんね、さっき、ここに来たんだ。君に詫びにね。その時、君の事『孫』って呼んでいたよ。それで一週間後に会いたいって、枕元にそれを置いて。白い封筒の中には手紙と治療代が入っているそうだよ。そしてこれはさっき床に散らばったシーグラスだよ」
「あっこれは……」
「うん。君のお母さんが白江さんに宛てた手紙。君にも読んで欲しいって……今度会う時に、もう一度君の手から託して欲しいって言ってたよ」
手元には、母が祖母に宛てた封書があった。
これ……俺も読んでいいのか? まさか読ませてもらえるとは思っていなかったので、手が震えた。
写真立てのガラス板は粉々に割れてしまった。
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