重なる月

志生帆 海

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13章

正念場 7

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 娘からの手紙は、後悔に塗れていた。

 志半ばでこの世を去る無念が、年老いた母の胸にも刺さり、苦しかった。

 夕……あなたは、どんな想いでこの手紙を書いたの?

 この手紙を書いた時、あなたは病に怯え苦しんでいたのね。たった一人で死と向き合うのは、さぞかし怖かったでしょう。

 双子の姉の朝に比べ、妹の夕は幼い頃から気弱な性格だった。気ばかりじゃなく身体も弱くて……だから心配で、ずっと手元に置いておきたい存在だった。永遠に私たちが守ってあげたい子供だった。

 ところが成長するにつれて家の事情が傾いて……我が家の財政では夕を生涯養っていくことが出来ない懸念が浮かび、財産のある人をお婿さんにしようとパパと考えたの。

 結局……その打算が……すべてを狂わせてしまったのね。

 浅はかだったのは……本当は私たちの方だわ。

 あなたによかれと思って準備したことが全部無駄になってしまい、パパの怒りは収まらず……あんなに慈しんだあなたが、まさか私たちを置いていくとは思っていなかったので、根深く恨んでしまった。

 長い年月……お互い意地を張りすぎたわね。

 夕にもう今生で逢えないなんて、まだ信じられない。

 夕は天国で……一足先に、パパに逢えたかしら。

 パパも決して口には出さなかったけれども、晩年……あなたにとても逢いたそうにしていたわ。だから天国では仲良くしてね。

 そしてパパに先立たれたママには、あなたによく似た忘れ形見を託してくれたのね。

 ママが悲しまないように……。

 夕の産んだ息子は、男の子なのにあなたの面影が濃くて驚いたわ。

 澄んだ瞳の美しい青年だった。夕の血を真っすぐに受け継いだ子供だと思うと、愛おしさがこみ上げて来たの。

 なのに夕がこの世にもういないなんて思いもしなかったから……どうして私の前に息子と一緒に現れないのかと、そればかり気になって彼を拒んでしまったことを後悔しているわ。

 それに今日は夕が亡くなったことを突然聞かされ動揺し、とうとう彼のことを……心だけでなく肉体的にも傷つけてしまった。彼の綺麗な頬に酷い怪我を負わせてしまった。

 彼の頬からどろりと血が流れるのを見た時……気が動転し、逃げるように去ってしまったことも許して。

 今から謝りに行くわ。

 
****

 雪也さんが持ってきてくれた手紙を読んで、涙が止まらなかった。

 夕の想いが胸に届いて、その瞬間すべての憎しみも悲しみも、静かに流れて行った。

 この歳になって、孫が増えるなんて……人生何があるか分からないものね。

 そうだわ……涼はこの事を知っていたのかしら。

 渡米した涼とも、随分長いこと会っていないわ。

 それも全部一週間後……もう一度会った時に話しましょう。

 私からの贈り物も添えて。


****

 玄関のインターホンが鳴ったので出ると、落ち着いた風貌の青年が立っていた。

「すみません……先ほど連絡したものです」
「あぁ、あなたが丈さんですか」
「ええ、そうです。あの……洋は」

 かなり慌てて来たようで、息を切らせていた。

「まぁ中にお入りください。まだ彼は眠っているので、部屋にどうぞ。俺はさっき電話で話した冬郷春馬です。白江さんの洋館カフェのオーナーをしています。って、あれ? 俺たち一度会ったことありますよね? 確か……最初に洋さんが訪ねて来た時に」
「ええ、そうです。あの時、同行したものです」

 あの時と顔つきが随分違うので、すぐに気が付かなかったな。

 あの時はまるで……そうだ! 恋人同士のような甘い雰囲気で絵になるなと密かに思っていたが、今日は一転して険しい顔つきだ。

「とにかく中へどうぞ」

 洋さんが眠っている部屋に通すと、彼は徐に鞄の中から聴診器を取り出し、洋さんのシャツの隙間から診察し出した。それから頬のガーゼを外して、縫い傷の状態など真剣な眼差しで確かめてから、安堵の息を吐いた。

 えっと……彼ってもしかして……?

「あの? あなたは、お医者様ですか」
「えぇ、そうです。申し遅れましたが、私はこういう者です」

 渡された名刺には『大船第一総合病院 外科医 張矢 丈』と書かれていた。

「へぇ……外科医ですか。じゃあ傷の消毒とかも任せた方がいいですよね」
「今確認しましたが綺麗に縫合してもらっていますね。腕のいい医師に診せていただき、ありがとうございます。一度治療を受けた形成外科医と相談してみます。勝手にするといろいろ五月蠅い世界ですからね」
「はぁ……」

 ふーん、そういうものなのか。でも外科医か。なんだか柊一叔父さんの生涯の伴侶だった海里先生を思い出すな。

 まぁその、つまり俺は外科医には好感を持っている。

「あの、そろそろ洋を起こして帰らないと、遅くなるので」
「でも……あれから飲まず食わずだし……なんだか心配だな」
「すいません。洋は……本当に」

 その先の言葉はなかった。

 心配かけて……と言いたかったのか。

 なんだか妙にお邪魔な雰囲気になったので、一度退散することにした。

「じゃあ何か軽い食事を用意してきますので、起きたら二人で下に降りてきてくださいよ」
「……何から何まで、すみません」

 電話での横柄な態度は消え、彼は始終紳士的だった。



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