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13章
正念場 6
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「父さんお帰りなさい。それが……彼、まだ眠っていて」
「そうか。しっ、まだ起こさなくていいよ。……さぁ入って下さい」
驚いたことに、父さんの後ろには白江さんが立っていた。
白江さんは、少し戸惑いがちに俯きながら、洋さんの枕元にしゃがんだ。それから彼の青ざめた顔を覗き、頬のガーゼにそっと手を伸ばした。
「あぁ何てことなの……痛々しいわ。私のせいで、こんな酷い傷を負わせてしまったのね。本当に、ごめんなさい」
白江さんは皺深い手を彼の頬にそっと当てて、そのまま優しくカーブする輪郭を辿った。
「まぁ、何てことなの。あなたは男性なの、目を閉じていても開けていても……私の娘、夕にそっくりだわ」
洋さんは、残念ながら目覚めなかった。
すると俯いたままの白江さんの肩が、カタカタと小刻みに揺れ出した。
怒りではなく深い悲しみで揺れていると、すぐに理解できた。
「白江さん、大丈夫ですか」
「雪也さん、ごめんなさいね。いい歳したおばあさんがみっともないわよね。今日はいろいろあり過ぎて、一度には無理だったの。この年寄りには娘の訃報と孫との初顔合わせ、悲しいことと嬉しいことだわ。どちらに感情を傾けたらいいのか分からなくて動揺してしまったの。でも怪我させてしまったのは本当に申し訳なくて、この後……どうしたらいいのかしら」
「すぐには無理ですよ。彼もそれはちゃんと理解していると思います。また会ってあげてください。今度はゆっくりお茶でも飲みながら昔語りをしたらいい。その時は僕も一緒に……」
「そうね、雪也さんがいてくれてよかったわ。あなたは柊一さんに育てられたようなものだから、本当に心優しいわ」
「ありがとうございます。いつも僕の胸には柊一兄さまがいます。兄さまだったらこんな時どうするか、そう思うようにしています」
「そうね。まるで今日の対応は柊一さんのようだったわ。そう言えば……私の孫は少し柊一さんに雰囲気が似ているわね」
「白江さん、今……『私の孫』と言いましたね。いい傾向ですよ」
「あっ……自然と」
父と白江さんの会話は、和やかに続いた。
洋さん、いい方向になってきたぜ。よかったな。と心の中でガッツポーズをしたくなった。
「それで春馬、彼のお家の方とは連絡取れたのかな」
「ええ、さっき電話がかかってきて、ここまで迎えに来るそうです。住所を教えたので、きっと間もなく来るでしょう」
「そうか……なら安心だね。でも、どうして彼は養子に出たのかな」
「さぁ俺も聞いてないですが……きっと迎えが来たら分かりそうですよ」
どうしてそう風に答えたのか、分からない。
そうだ……電話の向こうの『丈』って人が、まるで洋さんの恋人気どりだったからかもな。
「そうなのね。私は今日はもうお暇するわ。彼が起きたら伝えて。一週間後に、また会いましょう。あとこれ治療代よ。それと、これも申し訳なかったと」
白江さんは白い封筒と、いくつかのシーグラスを彼の枕元に置いて帰って行った。
すぐには会えない、直接詫びも言えない。
そんな天邪鬼な気持ちも……分からないでもないから、今はそっとしておこう。
****
雪也さんが届けてくれた白い封筒は……驚いたことに私の娘、夕からの手紙だった。
夕の息子が急に私を訪ねた理由は……きっと、この手紙のせいなのね。
届けてくれてありがとう。
白い封筒の中には懐かしい筆跡が散らされていた。
『ママへ』
ママ……私のママ。
まだそう呼んでもいいですか。
家を飛び出したきりの私は、何度も心の中でママに会いに行ったのに、結局、今生では二度と会うことが叶わなくなりました。
どうか、おろかな私を許して。
あの若かりし日に駆け落ちという形で、家を飛び出したことを許して。
長い間……意地を張り、不義理だったことを許して。
そして……
私をこの世に産んでくれたママよりも、早く逝くことを許して。
許して欲しいことばかりで、後悔だらけで逝くことが無念過ぎてどうしたらいいのか分からないの。
私の最愛の息子を残して逝かなくてはならないことが無念で、この手紙を書いています。
私が愛し結婚した浅岡さんは、残念なことに……息子が七歳の時に交通事故で亡くなりました。
私は女手一つで息子を育てていくつもりでしたが、病に侵されてしまい、それもままならず…… 結局、元の婚約者……崔加さんと再婚しました。
息子の洋は、彼に託しました。
この決断には不安が尽きませんが、勘当された身の上、どうしようもない選択でした。
もしかしたら崔加さんにも洋にも、私のこの決断は不幸を招くだけだったかもしれない。
そう思うのですが、もう時間がありません。
もう手の施しようもないほど、私の躰は病に蝕まれています。
これが最期の入院となるでしょう。
この部屋には、もう戻れない。
二度と──
いつか息子がこの手紙を見つけて、あなたの元に運んでくれたらという希望を載せて……書いています。
ママ……
この手紙をあなたに渡したのが、私の可愛い可愛い……息子の洋です。
駆け落ちした年に授かった一人息子です。
この子は、ママの孫なのよ。
病弱だった私が男の子のママになったのよ。
すごいでしょう?
洋はとても美しい子でしょう。
私の自慢の息子なの。
今……洋は何歳になったかしら。
ママ……お願いよ。
どうか洋を嫌わないで。
洋はきっと私が去ってから……とても苦労したと思うの。
私を恨んでもいいけれども、ママのことは恨んで欲しくないの。
だから今生のお願いです。
洋をあなたの孫として受け入れて下さい。
ママ……ママ、ママ!
大好きだったわ。
明るくて溌剌としていて優しかったママ。
あなたにもう一度抱かれたかった……
あなたの娘、夕より
「そうか。しっ、まだ起こさなくていいよ。……さぁ入って下さい」
驚いたことに、父さんの後ろには白江さんが立っていた。
白江さんは、少し戸惑いがちに俯きながら、洋さんの枕元にしゃがんだ。それから彼の青ざめた顔を覗き、頬のガーゼにそっと手を伸ばした。
「あぁ何てことなの……痛々しいわ。私のせいで、こんな酷い傷を負わせてしまったのね。本当に、ごめんなさい」
白江さんは皺深い手を彼の頬にそっと当てて、そのまま優しくカーブする輪郭を辿った。
「まぁ、何てことなの。あなたは男性なの、目を閉じていても開けていても……私の娘、夕にそっくりだわ」
洋さんは、残念ながら目覚めなかった。
すると俯いたままの白江さんの肩が、カタカタと小刻みに揺れ出した。
怒りではなく深い悲しみで揺れていると、すぐに理解できた。
「白江さん、大丈夫ですか」
「雪也さん、ごめんなさいね。いい歳したおばあさんがみっともないわよね。今日はいろいろあり過ぎて、一度には無理だったの。この年寄りには娘の訃報と孫との初顔合わせ、悲しいことと嬉しいことだわ。どちらに感情を傾けたらいいのか分からなくて動揺してしまったの。でも怪我させてしまったのは本当に申し訳なくて、この後……どうしたらいいのかしら」
「すぐには無理ですよ。彼もそれはちゃんと理解していると思います。また会ってあげてください。今度はゆっくりお茶でも飲みながら昔語りをしたらいい。その時は僕も一緒に……」
「そうね、雪也さんがいてくれてよかったわ。あなたは柊一さんに育てられたようなものだから、本当に心優しいわ」
「ありがとうございます。いつも僕の胸には柊一兄さまがいます。兄さまだったらこんな時どうするか、そう思うようにしています」
「そうね。まるで今日の対応は柊一さんのようだったわ。そう言えば……私の孫は少し柊一さんに雰囲気が似ているわね」
「白江さん、今……『私の孫』と言いましたね。いい傾向ですよ」
「あっ……自然と」
父と白江さんの会話は、和やかに続いた。
洋さん、いい方向になってきたぜ。よかったな。と心の中でガッツポーズをしたくなった。
「それで春馬、彼のお家の方とは連絡取れたのかな」
「ええ、さっき電話がかかってきて、ここまで迎えに来るそうです。住所を教えたので、きっと間もなく来るでしょう」
「そうか……なら安心だね。でも、どうして彼は養子に出たのかな」
「さぁ俺も聞いてないですが……きっと迎えが来たら分かりそうですよ」
どうしてそう風に答えたのか、分からない。
そうだ……電話の向こうの『丈』って人が、まるで洋さんの恋人気どりだったからかもな。
「そうなのね。私は今日はもうお暇するわ。彼が起きたら伝えて。一週間後に、また会いましょう。あとこれ治療代よ。それと、これも申し訳なかったと」
白江さんは白い封筒と、いくつかのシーグラスを彼の枕元に置いて帰って行った。
すぐには会えない、直接詫びも言えない。
そんな天邪鬼な気持ちも……分からないでもないから、今はそっとしておこう。
****
雪也さんが届けてくれた白い封筒は……驚いたことに私の娘、夕からの手紙だった。
夕の息子が急に私を訪ねた理由は……きっと、この手紙のせいなのね。
届けてくれてありがとう。
白い封筒の中には懐かしい筆跡が散らされていた。
『ママへ』
ママ……私のママ。
まだそう呼んでもいいですか。
家を飛び出したきりの私は、何度も心の中でママに会いに行ったのに、結局、今生では二度と会うことが叶わなくなりました。
どうか、おろかな私を許して。
あの若かりし日に駆け落ちという形で、家を飛び出したことを許して。
長い間……意地を張り、不義理だったことを許して。
そして……
私をこの世に産んでくれたママよりも、早く逝くことを許して。
許して欲しいことばかりで、後悔だらけで逝くことが無念過ぎてどうしたらいいのか分からないの。
私の最愛の息子を残して逝かなくてはならないことが無念で、この手紙を書いています。
私が愛し結婚した浅岡さんは、残念なことに……息子が七歳の時に交通事故で亡くなりました。
私は女手一つで息子を育てていくつもりでしたが、病に侵されてしまい、それもままならず…… 結局、元の婚約者……崔加さんと再婚しました。
息子の洋は、彼に託しました。
この決断には不安が尽きませんが、勘当された身の上、どうしようもない選択でした。
もしかしたら崔加さんにも洋にも、私のこの決断は不幸を招くだけだったかもしれない。
そう思うのですが、もう時間がありません。
もう手の施しようもないほど、私の躰は病に蝕まれています。
これが最期の入院となるでしょう。
この部屋には、もう戻れない。
二度と──
いつか息子がこの手紙を見つけて、あなたの元に運んでくれたらという希望を載せて……書いています。
ママ……
この手紙をあなたに渡したのが、私の可愛い可愛い……息子の洋です。
駆け落ちした年に授かった一人息子です。
この子は、ママの孫なのよ。
病弱だった私が男の子のママになったのよ。
すごいでしょう?
洋はとても美しい子でしょう。
私の自慢の息子なの。
今……洋は何歳になったかしら。
ママ……お願いよ。
どうか洋を嫌わないで。
洋はきっと私が去ってから……とても苦労したと思うの。
私を恨んでもいいけれども、ママのことは恨んで欲しくないの。
だから今生のお願いです。
洋をあなたの孫として受け入れて下さい。
ママ……ママ、ママ!
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