重なる月

志生帆 海

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13章

花明かりのように 7

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 離れから夕食を作るために母屋に帰宅すると、写経の会を終えた翠が、少し疲労感を滲ませた表情で戻って来た。

「翠……疲れているのか。あれから眼に異変はないか。霞んだりしないか」

 つい心配で聞いてしまう。本当に俺は臆病者だ。

 過ぎ去った日で一番辛かったのは、翠が戻って来てくれたのに俺を視界に入れてくれなかった日々だったのかもしれない。

 翠の視力が戻るように、どんなに献身的に過ごしても、なかなか叶わなかった日々を、嫌でも思い出してしまう。

「いや、眼は大丈夫だよ。それより流、どこかに行っていたのか。帰りが遅かったようだが」

 へぇ? 翠も俺のことを気にしてくれていたのかと思うと、途端に嬉しくなる。同時にあの日から俺の感情は翠によって浮き沈みするように出来ているんだなと痛感してしまう。

「あぁ、帰り道に洋くんに会って、ちょっと海へ行ってきたんだ」
「へぇ……海か」

 翠が少し羨ましそうな表情を浮かべたのを、見逃さなかった。

「今度は翠を連れて行ってやるよ。あの海だ」
「もしかして……あの葉山の海岸か」
「そうだ。元はと言えば、あの海岸は母さんが見つけてきたんだっけ? 夕陽が沈む様子が絶景で、俺達……丈も一緒に、小さい頃よく連れて行ってもらったよな」
「あぁ……僕たちがまだ小学生の頃だったかな。シーグラスだっけ? 綺麗なガラス片を宝探しみたいに拾って楽しかったよな」
「まさにそれだ! 今日、洋くんとして来たところだ」
「洋くんと? 彼……喜んでいただろうね」
「あぁ、あの子は小さい頃にああいう遊びをしたことがないみたいで、ワンコロみたいに駆け回っていたよ」
「ふふっ、わんころ? でも意外と彼、幼いところあるよね」
 
 翠とこうやって洋くんについて話をしている時は、とても穏やかな気持ちになる。

 この感覚は、どこか懐かしい。

 そうだ……きっと夕凪のことを遠い昔、こうやって話し合ったりしていたのかもしれない。そんな、もどかしくも懐かしい、優しい気持ちになれる朧げな……俺ではない人物の記憶が香ってくる。

「なぁ、拾ってきたシーグラスを見るか」
「うん」

 翠の手のひらに、さっき俺が選りすぐっておいてシーグラスをパラパラと載せてやる。

「あぁ、綺麗だね。僕は特にこれが好きだ」
「翡翠色だろ?」

 やっぱり! と思わず膝を叩きたくなった。絶対に翠はこの色が好きだと確信していたので、嬉しくなる。

「翠にやるよ。翠の色だしな」
「え……いいのか」
「……ずっとこの色が見える眼でいてくれよ」
「流、お前……」

 そうだった。光しか感じない視力になった翠を連れて療養したのも葉山だったよな。あの日はどんなにシーグラスを拾ってきても、翠にはその形しか理解できなかった。今は色鮮やかで、色とりどりのガラスを堪能してもらえることが、ただただ……ありがたい。

「翠……本当に今の翠のままでずっと…」

 駄目だ。これ以上話すと、泣きそうだ。

「流……泣くな。今度一緒に海に行こう。僕も流の色のシーグラスを探したいよ。お前に贈りたい。それに……」

 翠の優しい言葉が嬉しくて、少しだけ沈んでいた気持ちが吹っ飛んだ。それに……なんだか可愛い。

「それに? 続きを言ってくれよ」
「ん……僕も……行きたかった」

 あぁ、やっぱり最近の翠は可愛すぎる!




****

「ただいま」
「お帰り、春馬」

 自宅に帰宅すると、リビングの暖炉の前で、オレの三歳の息子の秋は、絵本を読んでもらっていた。

「父さん、秋《アキ》の子守を、今日も押し付けてすいません。」
「あぁ、いいんだよ。亡くなった柊一兄さんの代わりとはいかないけれども、僕も役に立っていると思うと嬉しいよ」

 カフェの閉店時間は18時だ。その後は向かいにある自分の家に戻る。

 こちらはレストランとして営業しているので夜も仕事だ。といってもオレと父さんはオーナーという立場なので、表に出ない日もある。今日もそんなオフの日だった。

「……父さん、今日はとても不思議なことがあったんだ」
「そうか、もしかして誰か……大切な人が来たとか?」
「なんで分かる?」
「うん、実はさっき、秋と庭で遊んでいたら一人の青年が肩を落として帰って行く姿が見えて……気になっていたんだ。ああいう寂しい背中は……若い時の兄さまを思い出すよ」
「柊一叔父さんの……?」



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