重なる月

志生帆 海

文字の大きさ
上 下
1,122 / 1,657
13章

花明かりのように 4

しおりを挟む
 呆然としていたが、何とか電車を乗り継げたようだ。

 コトコトと揺られながら……俺はじっと車窓を眺め続けた。

 横浜駅を過ぎると次第にビル群の間隔が少しずつ空いて、緑が多くなってくる。まだ外は明るく夕方にも届かない時間だ。

 電光掲示板で次の停車駅に『大船駅』の文字を見つけると、そこで降りたい衝動にかられた。

 ――駄目だ。

 まだこんな時間じゃないか。丈は人の命を預かる大切な医療現場で働いているのに、俺は少しの拒絶に傷つき、そのせいで途中下車してまで、丈に会いたくなるなんて。

 弱い……弱すぎる。

 夜になれば丈に会える。それまでの辛抱だ。
 
 最初からすんなり上手く行くことなど滅多にないのに、何を期待していたのか。祖母が俺のことをすぐに、今日、孫だと認めてくれると思ったのか。

 いつからだろう。

 俺は……何もかも諦めていた時期を脱し、人に期待するようになっていたのだ。それに今日は……気づかされた。
 
 期待するのが、悪いわけではない。

 ただ過度な期待をし過ぎ、同等の見返りを求める気持ちが芽生えていたことに、猛烈に恥ずかしくなった。

 どこかで頭を冷やしたい。冷静になりたい。真っ直ぐに帰りたくない。

 北鎌倉で降りた後も、そんな想いで月影寺へ続く坂道を重たい足取りで上っていると、車がすっと真横で停まった。驚いて横を見ると流さんだったので安堵した。

「洋くん、今、帰りか。乗っていけよ」
「……ありがとうございます」

 助手席に座るなり、流さんに顔をじっと見られた。

「なぁ洋くん、ちょっと時間あるか」
「えっ……ありますけど?」
「よしっ! じゃあ行くか」
「どこにですか」
「海にだよ。ここから30分程の所に、気に入っている海岸があるんだ。今日はそこに用事があってな。君に手伝って欲しいこともあるんだ」
「……いいですよ」

 何を手伝うとか詳しい内容を確認する必要はなかった。

 何故なら俺もどこかに行きたいと思っていたので、その提案をすんなりと受け入れられた。

 海までの車中のBGMは、大晦日の歌番組で聴いた人気曲だった。

 狂おしい程の切なさを歌い上げる、ほろ苦い歌詞に、俺の胸も苦しくなってしまう。

 翠さんと流さんの長い年月。

 お互い想い合いながらも、けっして近寄れなかった日々を想えば、すぐに受け入れられない祖母の気持ちにも寄り添えるような気がする。

 人の気持ちって、複雑だ。
 人の心を動かすのって、大変なことだ。

 自分の気持ちだって……時に制御できないほど、揺れ動くのだから。

「よしっ、着いたぞ」

 本当に30分で海に来ることが出来た。流さんはすごいな。俺にはない行動力を持っていると感心してしまうよ。

 遥か彼方に江の島を望む海岸線は美しく、砂浜には人もまばらで、まるで貸し切りのビーチだ。海はどこまでも青く何層にもグラデーションを描いていた。

 湘南の海ってこんなに綺麗なのか。

「春色の海っていいだろ?」
「えぇ……すごく」

 なんて爽やかなんだろう。

 海からやってくる強風によって着ていたトレンチコートの裾がひらひらとはためく。

 まるで俺自身がヨットの帆になったような気分だ。

「洋くんさ、悪いけど、これを探してもらえるか」

 流さんが砂浜を歩きながら、ヒョイっと手に摘まんだ物を見せてくれた。それは摺りガラスのようなガラス片だった。

「これは?」
「シーグラスだよ。建設中の俺と翠の新居に飾りたくてな。ちょっと数が必要なんだ」
「なるほど、分かりました!」

 砂浜を注意深く見つめながら歩くと確かにそれは無数に落ちていた。いや……海から運ばれて来ていた。

「これ……綺麗ですね。滑らかで……なんとも言えない優しい穏やかな触り心地ですね」
「あぁ全部元は尖ったガラスの破片だったのさ。ジュース瓶やグラスなどのな。誤って触れれば手を切る程の鋭利なガラス片も、長い年月、海の荒波に揉まれると、こんな風になるんだよ。角が取れ磨りガラスのように繊細にな」
「……本当ですね」

 碧色、水色、乳白色。

 様々な色合いの、シーグラスに同じ形は一つもない。

 そして皆、角が取れて丸くなっている。

「まるで宝石のように美しいですね」
「あぁ、そうなんだ。俺はいつも思うよ。これを見ているとさ……人生において辛い経験もきっと何かの糧になるはずだと」
「あっ、そうだったのか」

 そう言われてはっとした。

 今日俺が体験したこと。

 一度の拒絶で諦めるのなんて、泣き言を言うなんて早かった。

 このガラス片の角が取れるように、押しては引いていく波に何度も揉まれ、気持ちを寄り添わせ委ねていけば、もしかして祖母とのわだかまりも取れ……道がひらけるのでは。

「洋くん、少しは元気出たか」
「あっ、はい……」
「よかったな。ははっ、君は笑っていた方がいいぞ。大事な丈の嫁さんだからな!」

 流さんが豪快に笑い、俺の頭をくしゃっと撫でてくれた。

 お見通しだったのか。俺の気持ちが沈んでいたの。

 春めいた海風が俺のことを優しく包み、さっきまでのモヤモヤした心を洗ってくれるようだった。流さんの優しい労わりが洗われたばかりの俺の心に、すっと染み入った。

「いろいろあるのが人生だ。その時々は辛いが……あきらめないで乗り越えられた時って、最高だぜ!」
「はいっ」
「よしよし、その調子だ、洋くんは素直で可愛いぞ。君は笑っていた方がいい」
「ありがとうございます。流さん……」

 そんな風に言ってもらえるなんて。

 ずっと意地を張り、頑なに生きて来たのに……

 今の俺は違う。

 素直に人に甘えられ、心を委ねられることを実感した。






補足(不要な方はスルーで)

****
流こそ、海のようにおおらかですね。
洋の気持ちも落ち着いてきました。
今回のお話しは春休みに旅行した葉山の海をイメージしています。
写真は私が撮ったものです。
しおりを挟む
感想 54

あなたにおすすめの小説

物語のその後

キサラギムツキ
BL
勇者パーティーの賢者が、たった1つ望んだものは……… 1話受け視点。2話攻め視点。 2日に分けて投稿予約済み ほぼバッドエンドよりのメリバ

【完結】双子の伯爵令嬢とその許婚たちの物語

ひかり芽衣
恋愛
伯爵令嬢のリリカとキャサリンは二卵性双生児。生まれつき病弱でどんどん母似の美女へ成長するキャサリンを母は溺愛し、そんな母に父は何も言えない……。そんな家庭で育った父似のリリカは、とにかく自分に自信がない。幼い頃からの許婚である伯爵家長男ウィリアムが心の支えだ。しかしある日、ウィリアムに許婚の話をなかったことにして欲しいと言われ…… リリカとキャサリン、ウィリアム、キャサリンの許婚である公爵家次男のスターリン……彼らの物語を一緒に見守って下さると嬉しいです。 ⭐︎2023.4.24完結⭐︎ ※2024.2.8~追加・修正作業のため、2話以降を一旦非公開にしていました。  →2024.3.4再投稿。大幅に追加&修正をしたので、もしよければ読んでみて下さい(^^)

偽物の僕は本物にはなれない。

15
BL
「僕は君を好きだけど、君は僕じゃない人が好きなんだね」 ネガティブ主人公。最後は分岐ルート有りのハピエン。

そんなの真実じゃない

イヌノカニ
BL
引きこもって四年、生きていてもしょうがないと感じた主人公は身の周りの整理し始める。自分の部屋に溢れる幼馴染との思い出を見て、どんなパソコンやスマホよりも自分の事を知っているのは幼馴染だと気付く。どうにかして彼から自分に関する記憶を消したいと思った主人公は偶然見た広告の人を意のままに操れるというお香を手に幼馴染に会いに行くが———? 彼は本当に俺の知っている彼なのだろうか。 ============== 人の証言と記憶の曖昧さをテーマに書いたので、ハッキリとせずに終わります。

代わりでいいから

氷魚彰人
BL
親に裏切られ、一人で生きていこうと決めた青年『護』の隣に引っ越してきたのは強面のおっさん『岩間』だった。 不定期に岩間に晩御飯を誘われるようになり、何時からかそれが護の楽しみとなっていくが……。 ハピエンですがちょっと暗い内容ですので、苦手な方、コメディ系の明るいお話しをお求めの方はお気を付け下さいませ。 他サイトに投稿した「隣のお節介」をタイトルを変え、手直ししたものになります。

六日の菖蒲

あこ
BL
突然一方的に別れを告げられた紫はその後、理由を目の当たりにする。 落ち込んで行く紫を見ていた萌葱は、図らずも自分と向き合う事になった。 ▷ 王道?全寮制学園ものっぽい学園が舞台です。 ▷ 同室の紫と萌葱を中心にその脇でアンチ王道な展開ですが、アンチの影は薄め(のはず) ▷ 身代わりにされてた受けが幸せになるまで、が目標。 ▷ 見た目不良な萌葱は不良ではありません。見た目だけ。そして世話焼き(紫限定)です。 ▷ 紫はのほほん健気な普通顔です。でも雰囲気補正でちょっと可愛く見えます。 ▷ 章や作品タイトルの頭に『★』があるものは、個人サイトでリクエストしていただいたものです。こちらではいただいたリクエスト内容やお礼などの後書きを省略させていただいています。

消えない思い

樹木緑
BL
オメガバース:僕には忘れられない夏がある。彼が好きだった。ただ、ただ、彼が好きだった。 高校3年生 矢野浩二 α 高校3年生 佐々木裕也 α 高校1年生 赤城要 Ω 赤城要は運命の番である両親に憧れ、両親が出会った高校に入学します。 自分も両親の様に運命の番が欲しいと思っています。 そして高校の入学式で出会った矢野浩二に、淡い感情を抱き始めるようになります。 でもあるきっかけを基に、佐々木裕也と出会います。 彼こそが要の探し続けた運命の番だったのです。 そして3人の運命が絡み合って、それぞれが、それぞれの選択をしていくと言うお話です。

愛する貴方の心から消えた私は…

矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。 周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。  …彼は絶対に生きている。 そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。 だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。 「すまない、君を愛せない」 そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。 *設定はゆるいです。

処理中です...