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13章
花明かりのように 4
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呆然としていたが、何とか電車を乗り継げたようだ。
コトコトと揺られながら……俺はじっと車窓を眺め続けた。
横浜駅を過ぎると次第にビル群の間隔が少しずつ空いて、緑が多くなってくる。まだ外は明るく夕方にも届かない時間だ。
電光掲示板で次の停車駅に『大船駅』の文字を見つけると、そこで降りたい衝動にかられた。
――駄目だ。
まだこんな時間じゃないか。丈は人の命を預かる大切な医療現場で働いているのに、俺は少しの拒絶に傷つき、そのせいで途中下車してまで、丈に会いたくなるなんて。
弱い……弱すぎる。
夜になれば丈に会える。それまでの辛抱だ。
最初からすんなり上手く行くことなど滅多にないのに、何を期待していたのか。祖母が俺のことをすぐに、今日、孫だと認めてくれると思ったのか。
いつからだろう。
俺は……何もかも諦めていた時期を脱し、人に期待するようになっていたのだ。それに今日は……気づかされた。
期待するのが、悪いわけではない。
ただ過度な期待をし過ぎ、同等の見返りを求める気持ちが芽生えていたことに、猛烈に恥ずかしくなった。
どこかで頭を冷やしたい。冷静になりたい。真っ直ぐに帰りたくない。
北鎌倉で降りた後も、そんな想いで月影寺へ続く坂道を重たい足取りで上っていると、車がすっと真横で停まった。驚いて横を見ると流さんだったので安堵した。
「洋くん、今、帰りか。乗っていけよ」
「……ありがとうございます」
助手席に座るなり、流さんに顔をじっと見られた。
「なぁ洋くん、ちょっと時間あるか」
「えっ……ありますけど?」
「よしっ! じゃあ行くか」
「どこにですか」
「海にだよ。ここから30分程の所に、気に入っている海岸があるんだ。今日はそこに用事があってな。君に手伝って欲しいこともあるんだ」
「……いいですよ」
何を手伝うとか詳しい内容を確認する必要はなかった。
何故なら俺もどこかに行きたいと思っていたので、その提案をすんなりと受け入れられた。
海までの車中のBGMは、大晦日の歌番組で聴いた人気曲だった。
狂おしい程の切なさを歌い上げる、ほろ苦い歌詞に、俺の胸も苦しくなってしまう。
翠さんと流さんの長い年月。
お互い想い合いながらも、けっして近寄れなかった日々を想えば、すぐに受け入れられない祖母の気持ちにも寄り添えるような気がする。
人の気持ちって、複雑だ。
人の心を動かすのって、大変なことだ。
自分の気持ちだって……時に制御できないほど、揺れ動くのだから。
「よしっ、着いたぞ」
本当に30分で海に来ることが出来た。流さんはすごいな。俺にはない行動力を持っていると感心してしまうよ。
遥か彼方に江の島を望む海岸線は美しく、砂浜には人もまばらで、まるで貸し切りのビーチだ。海はどこまでも青く何層にもグラデーションを描いていた。
湘南の海ってこんなに綺麗なのか。
「春色の海っていいだろ?」
「えぇ……すごく」
なんて爽やかなんだろう。
海からやってくる強風によって着ていたトレンチコートの裾がひらひらとはためく。
まるで俺自身がヨットの帆になったような気分だ。
「洋くんさ、悪いけど、これを探してもらえるか」
流さんが砂浜を歩きながら、ヒョイっと手に摘まんだ物を見せてくれた。それは摺りガラスのようなガラス片だった。
「これは?」
「シーグラスだよ。建設中の俺と翠の新居に飾りたくてな。ちょっと数が必要なんだ」
「なるほど、分かりました!」
砂浜を注意深く見つめながら歩くと確かにそれは無数に落ちていた。いや……海から運ばれて来ていた。
「これ……綺麗ですね。滑らかで……なんとも言えない優しい穏やかな触り心地ですね」
「あぁ全部元は尖ったガラスの破片だったのさ。ジュース瓶やグラスなどのな。誤って触れれば手を切る程の鋭利なガラス片も、長い年月、海の荒波に揉まれると、こんな風になるんだよ。角が取れ磨りガラスのように繊細にな」
「……本当ですね」
碧色、水色、乳白色。
様々な色合いの、シーグラスに同じ形は一つもない。
そして皆、角が取れて丸くなっている。
「まるで宝石のように美しいですね」
「あぁ、そうなんだ。俺はいつも思うよ。これを見ているとさ……人生において辛い経験もきっと何かの糧になるはずだと」
「あっ、そうだったのか」
そう言われてはっとした。
今日俺が体験したこと。
一度の拒絶で諦めるのなんて、泣き言を言うなんて早かった。
このガラス片の角が取れるように、押しては引いていく波に何度も揉まれ、気持ちを寄り添わせ委ねていけば、もしかして祖母とのわだかまりも取れ……道がひらけるのでは。
「洋くん、少しは元気出たか」
「あっ、はい……」
「よかったな。ははっ、君は笑っていた方がいいぞ。大事な丈の嫁さんだからな!」
流さんが豪快に笑い、俺の頭をくしゃっと撫でてくれた。
お見通しだったのか。俺の気持ちが沈んでいたの。
春めいた海風が俺のことを優しく包み、さっきまでのモヤモヤした心を洗ってくれるようだった。流さんの優しい労わりが洗われたばかりの俺の心に、すっと染み入った。
「いろいろあるのが人生だ。その時々は辛いが……あきらめないで乗り越えられた時って、最高だぜ!」
「はいっ」
「よしよし、その調子だ、洋くんは素直で可愛いぞ。君は笑っていた方がいい」
「ありがとうございます。流さん……」
そんな風に言ってもらえるなんて。
ずっと意地を張り、頑なに生きて来たのに……
今の俺は違う。
素直に人に甘えられ、心を委ねられることを実感した。
補足(不要な方はスルーで)
****
流こそ、海のようにおおらかですね。
洋の気持ちも落ち着いてきました。
今回のお話しは春休みに旅行した葉山の海をイメージしています。
写真は私が撮ったものです。
コトコトと揺られながら……俺はじっと車窓を眺め続けた。
横浜駅を過ぎると次第にビル群の間隔が少しずつ空いて、緑が多くなってくる。まだ外は明るく夕方にも届かない時間だ。
電光掲示板で次の停車駅に『大船駅』の文字を見つけると、そこで降りたい衝動にかられた。
――駄目だ。
まだこんな時間じゃないか。丈は人の命を預かる大切な医療現場で働いているのに、俺は少しの拒絶に傷つき、そのせいで途中下車してまで、丈に会いたくなるなんて。
弱い……弱すぎる。
夜になれば丈に会える。それまでの辛抱だ。
最初からすんなり上手く行くことなど滅多にないのに、何を期待していたのか。祖母が俺のことをすぐに、今日、孫だと認めてくれると思ったのか。
いつからだろう。
俺は……何もかも諦めていた時期を脱し、人に期待するようになっていたのだ。それに今日は……気づかされた。
期待するのが、悪いわけではない。
ただ過度な期待をし過ぎ、同等の見返りを求める気持ちが芽生えていたことに、猛烈に恥ずかしくなった。
どこかで頭を冷やしたい。冷静になりたい。真っ直ぐに帰りたくない。
北鎌倉で降りた後も、そんな想いで月影寺へ続く坂道を重たい足取りで上っていると、車がすっと真横で停まった。驚いて横を見ると流さんだったので安堵した。
「洋くん、今、帰りか。乗っていけよ」
「……ありがとうございます」
助手席に座るなり、流さんに顔をじっと見られた。
「なぁ洋くん、ちょっと時間あるか」
「えっ……ありますけど?」
「よしっ! じゃあ行くか」
「どこにですか」
「海にだよ。ここから30分程の所に、気に入っている海岸があるんだ。今日はそこに用事があってな。君に手伝って欲しいこともあるんだ」
「……いいですよ」
何を手伝うとか詳しい内容を確認する必要はなかった。
何故なら俺もどこかに行きたいと思っていたので、その提案をすんなりと受け入れられた。
海までの車中のBGMは、大晦日の歌番組で聴いた人気曲だった。
狂おしい程の切なさを歌い上げる、ほろ苦い歌詞に、俺の胸も苦しくなってしまう。
翠さんと流さんの長い年月。
お互い想い合いながらも、けっして近寄れなかった日々を想えば、すぐに受け入れられない祖母の気持ちにも寄り添えるような気がする。
人の気持ちって、複雑だ。
人の心を動かすのって、大変なことだ。
自分の気持ちだって……時に制御できないほど、揺れ動くのだから。
「よしっ、着いたぞ」
本当に30分で海に来ることが出来た。流さんはすごいな。俺にはない行動力を持っていると感心してしまうよ。
遥か彼方に江の島を望む海岸線は美しく、砂浜には人もまばらで、まるで貸し切りのビーチだ。海はどこまでも青く何層にもグラデーションを描いていた。
湘南の海ってこんなに綺麗なのか。
「春色の海っていいだろ?」
「えぇ……すごく」
なんて爽やかなんだろう。
海からやってくる強風によって着ていたトレンチコートの裾がひらひらとはためく。
まるで俺自身がヨットの帆になったような気分だ。
「洋くんさ、悪いけど、これを探してもらえるか」
流さんが砂浜を歩きながら、ヒョイっと手に摘まんだ物を見せてくれた。それは摺りガラスのようなガラス片だった。
「これは?」
「シーグラスだよ。建設中の俺と翠の新居に飾りたくてな。ちょっと数が必要なんだ」
「なるほど、分かりました!」
砂浜を注意深く見つめながら歩くと確かにそれは無数に落ちていた。いや……海から運ばれて来ていた。
「これ……綺麗ですね。滑らかで……なんとも言えない優しい穏やかな触り心地ですね」
「あぁ全部元は尖ったガラスの破片だったのさ。ジュース瓶やグラスなどのな。誤って触れれば手を切る程の鋭利なガラス片も、長い年月、海の荒波に揉まれると、こんな風になるんだよ。角が取れ磨りガラスのように繊細にな」
「……本当ですね」
碧色、水色、乳白色。
様々な色合いの、シーグラスに同じ形は一つもない。
そして皆、角が取れて丸くなっている。
「まるで宝石のように美しいですね」
「あぁ、そうなんだ。俺はいつも思うよ。これを見ているとさ……人生において辛い経験もきっと何かの糧になるはずだと」
「あっ、そうだったのか」
そう言われてはっとした。
今日俺が体験したこと。
一度の拒絶で諦めるのなんて、泣き言を言うなんて早かった。
このガラス片の角が取れるように、押しては引いていく波に何度も揉まれ、気持ちを寄り添わせ委ねていけば、もしかして祖母とのわだかまりも取れ……道がひらけるのでは。
「洋くん、少しは元気出たか」
「あっ、はい……」
「よかったな。ははっ、君は笑っていた方がいいぞ。大事な丈の嫁さんだからな!」
流さんが豪快に笑い、俺の頭をくしゃっと撫でてくれた。
お見通しだったのか。俺の気持ちが沈んでいたの。
春めいた海風が俺のことを優しく包み、さっきまでのモヤモヤした心を洗ってくれるようだった。流さんの優しい労わりが洗われたばかりの俺の心に、すっと染み入った。
「いろいろあるのが人生だ。その時々は辛いが……あきらめないで乗り越えられた時って、最高だぜ!」
「はいっ」
「よしよし、その調子だ、洋くんは素直で可愛いぞ。君は笑っていた方がいい」
「ありがとうございます。流さん……」
そんな風に言ってもらえるなんて。
ずっと意地を張り、頑なに生きて来たのに……
今の俺は違う。
素直に人に甘えられ、心を委ねられることを実感した。
補足(不要な方はスルーで)
****
流こそ、海のようにおおらかですね。
洋の気持ちも落ち着いてきました。
今回のお話しは春休みに旅行した葉山の海をイメージしています。
写真は私が撮ったものです。
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