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13章
慈しみ深き愛 23
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「おーい、拓人、ちょっといいか」
自分の部屋で英語の予習を勉強をしていると、階下から達哉さんに呼ばれた。
「……何ですか」
階段を降りて台所を覗くと、達哉さんは袈裟を脱ぎ作務衣姿で夕食の準備をしているところだった。
もうだいぶ見慣れた光景だ。
俺はあの事件以後、義父の兄である達哉さんと二人で暮らしている。
幼い弟と妹は母さんの実家でそのまま暮らしている。
俺は母が亡くなった後に義父が起こした事件をきっかけに、義父の実家を飛び出してしまった。高齢の祖父母が俺の面倒まで見るのは大変だから、このまま施設にでも行くのかと覚悟していたら、驚いたことに達哉さんが引き取ってくれたのだ。
あんなことを仕出かした義父を産んだ義理の祖父母には、もう絶対に世話になりたくなかったが、達哉さんは別だ。義父の実の兄という位置づけなのに全然違うんだ。
なんでだろう? ちゃんと温かい人間の情というものを兼ね備えた人……建海寺の住職だ。
俺は引き取ってもらった負い目もあり何でも積極的に家事を手伝った。それから達哉さんに迷惑をかけないように勉強も頑張っていた。
「おお、悪いな。ちょっと使いを頼まれてくれるか」
「いいですよ、何をどこへ」
「これを見てくれ」
達哉さんが机の上に置いてあるお重の蓋を外すと、沢山の色鮮やかな和菓子が並んでいた。
お雛さまお内裏さまを模した上生菓子に……貝合せの桜餡と練りきりの花見団子や桜薯蕷などが入っていた。黒いお重箱の中、桃色や黄緑……春らしい雰囲気で溢れていた。
俺には妹がいるから、こういう和菓子をいつも母が買っていたのを、ふと思い出した。
「そうか……もう雛祭りか」
「そう今日は3月3日だろ」
「あ……そうですね。懐かしいです」
本当に懐かしい。
母が生きていた頃は、いつもちらし寿司を作ってくれた。なのに今年はもう食べられないんだなと思うと、切なくなった。
去年の雛祭りには、これと似た可愛い和菓子を皆で食べたよな。妹はいつもお雛様を、弟はお内裏様を食べたがった。義父は仕事でいつも遅かったので、母と弟、妹、俺の四人だったが、笑いが絶えない家庭だったんだ。あいつさえいなければ……ちゃんとした家族だったんだ。
「これを今から月影寺に届けてもらえるか」
「えっ、俺が……」
義父がしたこと、それを思えば二度と会えないと思った。でも薙は許してくれた。そのことは感謝してもし足りないほどだ。ただ許してもらったからといって……積極的には近寄れない場所でもあった。
「檀家さんからいただいた和菓子だが、男だけで食べるのは、もったいないだろう? だから月影寺で食べてもらおうと思ってな」
「……あそこも男所帯ですよ。それに達哉さんが行けばいいじゃないですか」
珍しく、すぐにはハイと答えられなかった。
「ふふん。同じ男所帯といっても全然違う。あそこには華があるだろう? 美形揃いだしな。ははっ、とにかく俺はこれから檀家さんと打ち合わせがあってな、悪いな」
「……分かりました」
気乗りしないが、行かないといけないのだろう。
手に持ったお重が鉛のように重く感じ、足取りも重かった。
****
父さんが玄関に向かったのを見送り、部屋でぼんやり立っていると、流さんがやってきた。
「薙、ちょっと目を閉じてみろ」
「んっ……なんだよ?」
言われた通り目を閉じると、流さんの指先が唇に触れたので驚いてしまった。そのまますっと指先が唇を撫でてい行くので、慌てて目を開けると流さんが笑っていた。
「どれ、うん、おお! 可愛いなぁ、お前」
「なっ、何したんだよ!」
「ちょっと紅をさしただけさ」
「紅? 紅って……まさか口紅かよ!」
慌てて壁にかかっていた鏡を覗くと、そこには俺はいなかった。
嘘だろ? 唇の色が赤くなるだけで、一気に女の子になってしまった!
「わっ!」
鏡の中の女の子も驚いている……ふぅん、我ながら結構可憐で可愛い? なんて一瞬思ってしまったじゃんか!
「へぇ、薙、お前って随分と化粧が似合うのな」
「うっ……余計なお世話だ! 」
「くくっ、今日は黙っとけよ。洋くんを驚かせてやろう」
「はぁ……」
「そうだ! 洋くんがお前を女と信じて顔を赤くしたら、後で好きな本でも買ってやるぜ」
「……うっ……それ乗った! じゃあさ一緒に横浜の本屋につきあってくれよ。こっちのは品揃え悪くてさ」
「あぁいいぜ」
流さんがあんまり嬉しそうに楽しそうに言うので怒る気が失せて、むしろ照れ臭くなった。それに流さんと二人で出かけられるかもしれない。
そのまま部屋で座っているように言われたので、じっとしていると、廊下から声がした。
「洋くんは先に居間で待っていて。おっと、丈はこっちにちょっと来い」
「なんですか。流兄さんは全く強引に……洋、先に居間にいってろ」
「あぁ、分かった」
どうやら流さんは、本気で洋さんを驚かせようとしているらしい。
洋さんの明るい声が聞こえ、そして迷いなくドアが開き、中にいるオレとばっちり目があった。
「えっ! あっ……」
まさか居間に着物姿の可愛い女性(もどき!)がいるとは思っていなかったようで、大きく一歩後退りする様子が、なんだか可愛いと年上の男性に向かって思ってしまった。
「あの……あれ? 部屋間違えたみたいで……すっ、すいませんっ」
洋さんの頬は真っ赤に染まっていた。
やった! これで流さんと出かけられる!
心の中でガッツポーズだ!
それにしてもさぁ……洋さんでも可愛い女性には、そんな反応するのか~
へぇ、これは丈さんの反応が見物だな。ご愁傷様かもな!
自分の部屋で英語の予習を勉強をしていると、階下から達哉さんに呼ばれた。
「……何ですか」
階段を降りて台所を覗くと、達哉さんは袈裟を脱ぎ作務衣姿で夕食の準備をしているところだった。
もうだいぶ見慣れた光景だ。
俺はあの事件以後、義父の兄である達哉さんと二人で暮らしている。
幼い弟と妹は母さんの実家でそのまま暮らしている。
俺は母が亡くなった後に義父が起こした事件をきっかけに、義父の実家を飛び出してしまった。高齢の祖父母が俺の面倒まで見るのは大変だから、このまま施設にでも行くのかと覚悟していたら、驚いたことに達哉さんが引き取ってくれたのだ。
あんなことを仕出かした義父を産んだ義理の祖父母には、もう絶対に世話になりたくなかったが、達哉さんは別だ。義父の実の兄という位置づけなのに全然違うんだ。
なんでだろう? ちゃんと温かい人間の情というものを兼ね備えた人……建海寺の住職だ。
俺は引き取ってもらった負い目もあり何でも積極的に家事を手伝った。それから達哉さんに迷惑をかけないように勉強も頑張っていた。
「おお、悪いな。ちょっと使いを頼まれてくれるか」
「いいですよ、何をどこへ」
「これを見てくれ」
達哉さんが机の上に置いてあるお重の蓋を外すと、沢山の色鮮やかな和菓子が並んでいた。
お雛さまお内裏さまを模した上生菓子に……貝合せの桜餡と練りきりの花見団子や桜薯蕷などが入っていた。黒いお重箱の中、桃色や黄緑……春らしい雰囲気で溢れていた。
俺には妹がいるから、こういう和菓子をいつも母が買っていたのを、ふと思い出した。
「そうか……もう雛祭りか」
「そう今日は3月3日だろ」
「あ……そうですね。懐かしいです」
本当に懐かしい。
母が生きていた頃は、いつもちらし寿司を作ってくれた。なのに今年はもう食べられないんだなと思うと、切なくなった。
去年の雛祭りには、これと似た可愛い和菓子を皆で食べたよな。妹はいつもお雛様を、弟はお内裏様を食べたがった。義父は仕事でいつも遅かったので、母と弟、妹、俺の四人だったが、笑いが絶えない家庭だったんだ。あいつさえいなければ……ちゃんとした家族だったんだ。
「これを今から月影寺に届けてもらえるか」
「えっ、俺が……」
義父がしたこと、それを思えば二度と会えないと思った。でも薙は許してくれた。そのことは感謝してもし足りないほどだ。ただ許してもらったからといって……積極的には近寄れない場所でもあった。
「檀家さんからいただいた和菓子だが、男だけで食べるのは、もったいないだろう? だから月影寺で食べてもらおうと思ってな」
「……あそこも男所帯ですよ。それに達哉さんが行けばいいじゃないですか」
珍しく、すぐにはハイと答えられなかった。
「ふふん。同じ男所帯といっても全然違う。あそこには華があるだろう? 美形揃いだしな。ははっ、とにかく俺はこれから檀家さんと打ち合わせがあってな、悪いな」
「……分かりました」
気乗りしないが、行かないといけないのだろう。
手に持ったお重が鉛のように重く感じ、足取りも重かった。
****
父さんが玄関に向かったのを見送り、部屋でぼんやり立っていると、流さんがやってきた。
「薙、ちょっと目を閉じてみろ」
「んっ……なんだよ?」
言われた通り目を閉じると、流さんの指先が唇に触れたので驚いてしまった。そのまますっと指先が唇を撫でてい行くので、慌てて目を開けると流さんが笑っていた。
「どれ、うん、おお! 可愛いなぁ、お前」
「なっ、何したんだよ!」
「ちょっと紅をさしただけさ」
「紅? 紅って……まさか口紅かよ!」
慌てて壁にかかっていた鏡を覗くと、そこには俺はいなかった。
嘘だろ? 唇の色が赤くなるだけで、一気に女の子になってしまった!
「わっ!」
鏡の中の女の子も驚いている……ふぅん、我ながら結構可憐で可愛い? なんて一瞬思ってしまったじゃんか!
「へぇ、薙、お前って随分と化粧が似合うのな」
「うっ……余計なお世話だ! 」
「くくっ、今日は黙っとけよ。洋くんを驚かせてやろう」
「はぁ……」
「そうだ! 洋くんがお前を女と信じて顔を赤くしたら、後で好きな本でも買ってやるぜ」
「……うっ……それ乗った! じゃあさ一緒に横浜の本屋につきあってくれよ。こっちのは品揃え悪くてさ」
「あぁいいぜ」
流さんがあんまり嬉しそうに楽しそうに言うので怒る気が失せて、むしろ照れ臭くなった。それに流さんと二人で出かけられるかもしれない。
そのまま部屋で座っているように言われたので、じっとしていると、廊下から声がした。
「洋くんは先に居間で待っていて。おっと、丈はこっちにちょっと来い」
「なんですか。流兄さんは全く強引に……洋、先に居間にいってろ」
「あぁ、分かった」
どうやら流さんは、本気で洋さんを驚かせようとしているらしい。
洋さんの明るい声が聞こえ、そして迷いなくドアが開き、中にいるオレとばっちり目があった。
「えっ! あっ……」
まさか居間に着物姿の可愛い女性(もどき!)がいるとは思っていなかったようで、大きく一歩後退りする様子が、なんだか可愛いと年上の男性に向かって思ってしまった。
「あの……あれ? 部屋間違えたみたいで……すっ、すいませんっ」
洋さんの頬は真っ赤に染まっていた。
やった! これで流さんと出かけられる!
心の中でガッツポーズだ!
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