重なる月

志生帆 海

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13章

解き放て 20

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「丈……僕もやってみたい。針を貸してくれないか」
「丈さん、オレも縫ってみるよ!」

 雑巾縫いを三人でし始めて盛り上がっていると、居間の固定電話が鳴った。

 流からだった。そう言えば流はあまりスマホにかけて来ない。僕があの一件以来……スマホのバイブ音が怖いと感じてしまうのを知っているからなのか。優しくさりげない気遣いが心地良い。

「もしもし翠兄さん、すいません。実は帰りが遅くなりそうです。打ち合わせが手間取ってしまって。だから夕食は何か出前でも取ってもらえますか」

 居間にかけてきた電話なので余所行きの弟の声だった。だから僕の方も淡々と答えるのみだった。

「そうか……お疲れ様。分かった、そうするよ」

 少し寂しいが、それは僕の甘えだ。いつも僕のために奔走してくれる流なのだから、今日くらい自分のために時間を使って欲しい。

「父さん、流さん何だって? いつ帰ってくるって?」
「うーん、それがまだかかりそうだって。夕食は何か出前でもいい?」
「えぇー、流さん遅くなるのか。出前なのか」

 薙は食べ盛りの子供だから、出前では足りないのかもしれない。

 さてどうしよう……

 困った視線を彷徨わせていると、丈とぶつかった。

 僕と目が合うと、丈は苦笑していた。

「ははっ、流兄さんの気持ちが分かるな。その目で見つめられたら断れない。兄さんは住職としては立派ですが、家事全般は本当に駄目ですね。まるで洋と同じです」
「なっ、僕だって、少しは出来るよ」

 柄にもなくムキになってしまった。息子の手前格好つけたかったのかな。

「父さん、丈さんにやってもらった方がいいって! 包丁で手を切ったり、火傷でもしたら大変だよ」
「薙……僕はそんなに信用ない?」
「え、いや……その……」

 口ごもる様子に苦笑してしまった。

「分かったよ。ここは丈を頼ろう。何事も適材適所だしね」

 そんなやりとりを聞いていた丈は丈で、僕たち親子から頼りにされるのが満更でもないようで、気恥ずかしそうな珍しい表情を浮かべていた。

「翠兄さん、いいですよ。私が簡単に何か作りましょう」
「やった!」
「薙くん、パスタでいいか。ちょっと手伝ってくれるか」
「うん!」

 キッチンに立つ二人の後ろ姿を、僕は見守った。

 幼い頃から気難しく懐いてくれなかった末の弟の丈が、いつの間に、こんなにも人当たりがよくなったのか。きっと全部、洋くんのおかげだな。一見儚げな洋くんは実は芯の強い、しなやかな男性で、根気よく丈の気質と向き合ったくれたお陰なんだろうな。

「うわぁ! 流さんパスタソース、そんなに手際よく作れるんですか。流石『ゴッドハンド』だなぁ」
「まぁな、いつも鍛えているから」

 くすっ……薙が『ゴッドハンド』だって、また連発している。

 薙も変わった。ここに来た当初は、あんなに頑なに感情を押し隠していたのに、今は年相応の明るさだ。僕の二人の弟にも懐いてくれて嬉しいよ。

 しかし丈のあんな上機嫌な顔は、久しぶりに見るな。洋くんがソウルに旅立ってから、やはり少し寂しそうにしていたのに……こんな時間が丈にとって、少しでも気休めになればいいと思う。

 わずか20分足らずで、食卓には美味しそうなミートソースのパスタが出来上がって並んでいた。そうかパスタを茹でるのと並行するといいんだな。と思わず感心してしまった。

「すごいな、丈。早業だな」

 関心して褒めると、丈はやっぱり見たことがないような笑顔でこう言った。

「ゴッドハンドですからね」

 その『ゴッドハンド』って相当気に入っているんだな。いい歳した弟のこだわりが可愛らしくも、うらやましくも思えた。

 パスタは僅かな時間で作ったとは思えないほど、ソースの味も良くて美味しかった。

「すごいな、丈さん、これすごく美味しい。流さんに負けてないよ」
「そうか。薙くんありがとう。洋がパスタが好きだからよく作ってやるんだ。だからかな」

 そうだった、洋くんはあんな美しく大人っぽい顔をしているのに、ハンバーグとかパスタとかお子様料理が好きだった。その影響か……でも恋人の喜ぶ顔がみたいと思うのは、当然だ。僕だって……流の喜ぶ顔を見るのが大好きだから、分かる。

「おやすみなさい、父さん」
「おやすみなさい、翠兄さん」
「あぁまた明日」

 夕食後は皆で片づけをして、順番に風呂に入り、それぞれの寝室へと戻っていった。時計を見ると、もう23時を過ぎていた。

「……流は、随分遅いな」

 そうだ、たまには僕も流の寝間着や明日の服を準備してやろう。

 そう思って流の部屋に入ると、机の上に流の作務衣が無造作に置いてあることに気が付いた。近寄って見ると、襟ぐりの部分がほつれていて、傍には裁縫道具が置いてあった。ちょうど繕う所だったのか。

 ふぅん……この位なら僕にも縫えるかもしれないな。流の作務衣のほつれ……僕が繕ってあげたいな。そう思って机の電気をつけ、針を手に持った。

 さっき丈に教えてもらったことを思い出し、一針……また一針。慎重にさしていくが、生地が重なっている部分は硬く、雑巾のようにスムーズにいかない。

 「……痛っ」

 案の定、ぶすりと針を指先に刺してしまい、血がつぷっと出てくるので、慌てて口に含んだ。だって流の作務衣を血で汚せないだろう。

「一体、何をしているんです?」

 そんなことで一人であたふたとしていると、いつの間にか流が背後に立っていた。僕は指先を口に含みながら振り向いた。

 流は頬を瞬時に赤らめた。

「翠のその姿……もしかして……誘っているのか」

 苦し気に呻くように言われて、僕の方はそんなつもりじゃなかったのに、猛烈に恥ずかしくなった。
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