重なる月

志生帆 海

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13章

解き放て 1

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 俺はクリスマスからお正月にかけて月影寺から一歩も出ずに、ゆったりと楽しい時間を過ごした。

 丈とふたりきりで過ごしたソウルでの年越しも良かったが、大勢の身内と呼べる人との楽しい時間は格別だった。

 こんなに明るく笑ったのはいつぶりだろうか。楽しくて泣けるなんて、本当に幸せだ。

 そして季節は巡り、もうニ月に入っていた。節分も終え、暦の上では立春だ。それにしても昨日は小春日和だったのに、今日は朝からずっと冷たい雨が降っていて、真冬に逆戻りしたような酷い寒さだ。このまま雨が雪に変わるのかもしれないな。

 冷たい雨を見ていると、嫌でも思い出してしまうことがある。

 俺がまだN.Yにいた頃、たまにfreezing rainが降って大変だった。着氷性の雨だから道がスケートリンクのように凍り、交通機関が麻痺してしまうのだ。

 だから、あの雨が降ると途端に憂鬱な気持ちになったものだ。


****
(N.Y 洋 19歳の頃)

 窓の外を、俺はじっと見つめていた。

(freezing rainか。この雨じゃ今日は大学は休校だな)

 それにしても雨で濡れた部分が、みるみる氷になって固まっていくのを目の当たりにすると、まるで氷の城にでも閉じ込められた気分になる。

 息苦しい密閉間に苛まれるていると、やがて想像通り……背後から、車の運転が危険だから会社を休んだ義父が近づいてくる気配がした。
 
 俺はその足音を聞くと……恐怖で立ち竦んでしまう。
 
 そのまま彼は俺の横にぴたりと並び、俺の腰に太い腕を回す。こんなに近い距離は必要ないだろうと思うに、彼はこの距離をとても気に入っているようだ。

「freezing rainもたまには悪くないな。洋も今日は大学に行くのは無理だな」
「……はい」
「私も今日は仕事は休みだ。だから久しぶりに一緒に過ごせるな」
「……ですね」
「洋は嬉しくなさそうだね?」
「いえ……そんなことは」
「さてと君と何をしようかな。あぁ大学ではあれから何もない?また誰かにちょっかい出されたり、変なことをされたりしていないだろうね。君はとても美人だから、父親として心配だよ」
「……そんな心配は……しないでください」

 俺は男なのに義父からはいつもまるで娘のように、いや娘にもしないような言葉を口に出され心配されるのが、心底嫌だった。

 もう流石に中学生の頃のように、一緒に風呂に入ったり添い寝をされるのは、頑なに拒否し続けてやめてもらったが、父からのスキンシップは相変わらず異常なほど多かった。

 世の中の父親と息子の通常の距離を知らない俺でも、戸惑う程のしつこさだ。でもそれ以上のことをされるわけでもないので、ぐっと我慢していた。手を重ねられたり腰を抱かれたり……そういう類のスキンシップは、ずっと続いていた。

 結局、チェスの相手をさせられた。まだ未熟な俺に手ほどきしてくれるのだが、この時間も苦痛だった。

「洋、チェスは面白いだろう?」
「……はい」
「だってね……先に進むためにはコマを奪わないといけないだろう? ルールはとても簡単だ。盤上の岸には進むべき道が決まっていて、とにかく相手を取らねば進めない」
「……」
「キングは一コマしか動けないが、クイーンは制限なく動けるよ。フォークは両取りで、ピンは釘付け、スキュアは串刺しだ。あぁどれも日本語にするといいね」

 義父の口から出る言葉は、何故か卑猥に感じ、ぞっとした。

 追い詰められていくコマが全部俺に見えてきて逃げ出したくなるのに、今日はfreezing rainだから一歩も外に出られない。

 それが辛かった。

****

「洋、どうした? そんな窓辺に立って」

 声に反応して玄関を見ると、雨の雫を纏って黒髪が濡れた丈が立っていた。

「あっ丈……いつの間に? お帰り」
「あぁ、ただいま」

 今の俺にはこうやって優しく微笑み合い「ただいま」と「お帰り」という言葉を言い合える相手がいると思うと、さっきまでの冷えた心も温まる。丈はそのままコートを脱いで、タオルで雨を拭いながら、俺の横に立った。

「洋は冷たい雨に魅入られてしまったのか」
「……うん」
 
 丈の手がそっと俺の腰にまわされた。でも少しも嫌じゃなくて……むしろもっと強く抱き閉めて欲しいと思う程に心地良かった。
 
 先日安志に布団の中で涼と勘違いされて以来、折に触れて植えつけられた身体の記憶というものが蘇ってくる。

 義父のことはもう解決済だ。戸籍も離れ縁も切れている。だからこそ、もういい加減に乗り越えたい。現にこうやって冷たい雨も丈と見上げたら、何も怖くないじゃないか。

「ついに洋は明日からソウルに行くんだな。私は……やはり寂しいよ」

 少し拗ねるような声で丈が言うもんだから、俺の方もぐっと来てしまった。

「……俺も寂しくなった」

 だから俺の方から、丈にぎゅっと背伸びして抱きついてしまった。

 そのまま俺からの口づけ。
 
 丈は一瞬目を見開いたが、嬉しそうに受け留めてくれた。

「んっ……」

 丈の手は俺の背中をしっかり支えてくれている。あぁなんて安心できるのだろう。明日から少しの間離れることは、俺にとっても少し不安だった。自分で選んだことなのに、丈と離れるのがやっぱり少し寂しく感じてしまった。

 丈もそう思ってくれているのが、嬉しかった。

 俺を送り出してくれる丈も、寂しがってくれる丈も両方好きだ。

 俺も男なんだなと思う瞬間。

 独占欲なのか、これって?
 
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