重なる月

志生帆 海

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12章

僕の光 8

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 流に思いっきり怒られたいと願った。

 流に優しくされると、それだけ無言で責められているような気がしてしまうから。

 そんな僕の気持ちを察したのか、ふいに流は口づけを離し、こう告げた。

「……無鉄砲な翠だ。でもお仕置きは後だ。まずは無事を確かめたい」

 そのまま躰が折れそうになるほど強く抱きしめられた。流のにおいを感じながら、逞しい胸板に押しつぶされるように抱かれ、その温もりに泣きそうになった。 

「ん……流……流……」
「翠……無事で良かった」

トントン……

「いいですか。入りますよ」
「あっどうぞ」

 ノック音に、慌てて、僕たちは身を離した。 カーテンの隙間から勢いよく飛び込んできたのは、僕の息子、薙だった。

「父さん!」
「薙っ」

 薙の方から、僕の胸に飛び込んでくれるなんて、信じられない。

 ふわっと蘇るのは、幼い頃の薙を抱いた日のこと。子供特有の陽だまりの匂いに、僕は都会のマンションで北鎌倉の中庭の風景を思い出してばかりいた。

「父さん、本当にごめん。今まで……ずっとごめんなさい」
「なんで……薙が謝る? 謝るのは僕の方だ。父親なのに遠くばかり見ていて……あの日もあの日も……思い返せば……後悔ばかりだ」
「父さん、もういいんだ。今日で、おしまいにしよう、そういうのはもう。今日……オレのこと助けに来てくれてありがとう。オレのせいで父さんを犠牲にしてしまってごめんなさい」
「薙……」

 急に薙がそんなことを言い出すので驚いてしまった。あんなにつっぱっていたのに、どうして?

 薙の目には大粒の涙が浮かんでおり、僕を心底心配してくれているのが伝わってきた。こんなことには慣れていなくて、でもやっと薙と心が通じあったのが嬉しい。

「父さん……ここ痛い?」

 薙が躊躇いがちに……僕の包帯を巻いた手首に触れて来た。薙の指先、肌に直接触れてくれるのは、いつぶりだろうか。僕の血を色濃く受け継いだ薙の顔を見つめ、この子が傷つけられなくてよかった。守ることが出来てよかったとしみじみと思った。

「大丈夫だ、痛くないよ。薙が触れてくれたから痛みなんて、どこかへ飛んで行ってしまったよ」
「……父さんはオレが小さい頃、転んだ時に痛い部分を撫でてくれて、『痛いの痛いの飛んでいけ。痛いのは全部、僕のところへ……』って、いつもそんな風に言っていたよ。覚えている?」
「え……そうかな? 」

 そういえば……そんな風に言ったかもしれない。

「父さんはさ……もう……人の痛みを被らなくてもいいよ。父さんは随分長い間そうやって生きてきた。だからこれからは父さん自身のために生きて欲しいんだ」

 急に大人びたことを言われて、驚いた。 同時に言われたことに、はっとした。

 確かに今までの僕は自分が我慢すれば、犠牲になれば……それで丸く収まるのなら、それでいいと思い突き進んでいた。周りの気持ちなんて考えずに、独りよがりだった……恥ずかしい。

「僕は独りよがりだったな……」
「父さん、違うんだ。父さんの生き方を責めているんじゃないよ」

 薙が必死に話してくれる。僕を心配してくれる。それだけでも信じ難いほど嬉しい出来事だった。さっきまでの克哉に植え付けられた恐怖が萎んで、薙の優しい心が入り込んで来る。

 心と心が通じ合った。
 心を通わせられた。
 そう実感した。
 なんて嬉しいことなんだ。

 もう諦めていた絡まった糸が、するすると解けていくのが見えるようだ。

「父さん……」

 ベッドに横たわる僕の躰に……薙が頭を乗せて泣いている。この子がこんなに素直に感情を出してくれるのは、いつぶりだろうか。

 優しい視線を感じ辿ると、洋くんと目があった。

 ずっと薙につきあってくれていたのだろう。きっと薙がこんなにも素直な感情を出せたのは、洋くんのお陰だ。

 洋くんの存在は、月影寺にとって……不思議だ。

 多くは語らなくてもすべてを理解しているようで……傍にいると、自然と素直な気持ちになれる人だ。

 いがみ合っていた心も、怒りも、何もかも置いて、素直な気持ちを外に出せる力をくれる。

 洋くんの生きざまがそうであったように……

 幼い頃から、何度も大きな波を乗り越えてきた洋くんに宿った神秘的な力だ。

 人の世は時に虚しくもある。

 小さな行き違いが、大きな溝となり修復できないところまで割れてしまうのことも多々ある。そんな中で僕と薙が再び心を通わせられたのは奇跡に近い。

 どんなに努力してもタイミングがあわなかったり、どちらかの感情が置き去りでは駄目だから、本当に薙とタイミングがあって良かった。

 洋くんは何も語らなかったが沁み込んで来た。君からの労わりの気持ちが……

「みんな……ありがとう。僕を助けてくれて」
「なんかしんみりしたな。今晩は俺が付き添うからお前たちも疲れただろう。もう月影寺に戻っていいぞ」

 流が少し砕けた様子で提案した。それに皆同意した。確かに流の言う通りだ。僕だけでなく、皆疲れているはずだ。

「ふっ、そうですね。翠兄さんもだいぶ落ち着いたようですから。私も一旦戻り、また明日の朝来ます」
「丈……ありがとう。薙はひとりで大丈夫か」
「父さん、また! オレのことばかり心配すんなよ。でも今日は流石に一人は怖いから、洋さんの家にまた泊めてもらうよ。なっいいよね? 洋さん」
「うん、もちろんだよ」

 洋くんは薙に懐かれるのが嬉しいらしく、花のような笑みを浮かべた。すると一気に病室が華やいだ。

「……また?」

 丈が怪訝な顔を浮かべているのも、微笑ましい。気難しかった弟の喜怒哀楽を、間近で見られるのも幸せなことだった。

「じゃあ、おやすみなさい」
「うん、また明日」

 病室を出ていく三人のことを流が見送ってくれた。

「あっそうだ。流兄さんにいい話があって」
「なんだ?」
「……」
「おおっそうか! お前いい奴だな」

 何やら嬉しそうに弾む流の声が廊下から聞こえて来た。

 ふっ、あんなに嬉しそうな声を出して、流はまったくいつまでもお子様だな。なんだか……僕の気持ちも、さっきから緩みっぱなしだ。

 あんな悲惨な目に遭ったばかりなのに、頼もしいメンバーに支えられていることが嬉しくて堪らなかった。

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