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12章
迫る危機 1
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もう『克哉くん』などと、悠長に呼んでいる場合ではないし、呼びたくもない。
君はどこまでも卑怯な行いをし、僕を堕とす人間だった。昔のことを忘れようと努力した僕の辛く長い年月を、台無しにしてくれた。
あの日から、僕は怒りや恨みを滅するためにひたすらに修行し続けたのに……苦しみから逃れた先に安らぎがあると信じて生きて来たのに……その結果がこれなのか。
これでは、神も仏もいないようなものだ。
住職としてあるまじき考えに、僕の頭は占領されていた。
薙を傷つけたら絶対に許さない!
もう僕は我慢しない。
大切なものを守るために僕は行く。
拓人くんと出かけたはずの薙が克哉のもとにいるということは、拓人くんが克哉と繋がっていたということになる。まさか……息子なのか……宮崎で会った時、彼にはそんな大きな息子はいなかったはずなのに、関係が確定出来ない。きっと何か僕は重要な情報を入手出来ていなかったのだろう。それによって、みすみす……薙を捕らえられてしまったのだ。
僕は何をやっていたのか。本当に父親失格だ。
とにかく、言われた場所に行かなくては。
急いで支度をして寺の若い者に外出するとだけ言伝し、山門を抜けようとした時、庭先に作務衣姿の流の後ろ姿を捉えた。
よく見慣れた広く逞しい背中だ。
僕の流……
あの背中に縋れたら、どんなにいいだろう。いやそうしないといけない。
でも薙の父親は僕で、この問題はやはり僕の問題で、流を巻き込むのは危険だ。
(助けて欲しい……)
伸ばしかけた手は、空を掴むだけにした。
僕は……流を置いて行く。
****
「拓人……どこだ」
真っ暗闇の部屋の片隅に、微かな人の気配がした。そして絞り出すような声がした。
「……薙」
拓人の声だ! よかった。拓人も一緒にいるのか。少しだけ気持ちが和らいだ。
「おい、お前も縛られているのか。無事か。オレたちどうしたんだ? 一体……」
「うっ……」
何故か拓人は涙声だった。理由が分からない。
「なんで泣くんだよ? ここ一体どこだ? 」
「薙……すまない……オレ、お前を……売った」
懺悔にも似たような絞り出すような声に驚いた。一体拓人に何があったのか。オレは自分の状況が理解できない。やがて目が暗闇に慣れてくると、拓人の顔がぼんやりと浮かび上がった。焦燥した顔、泣きはらした眼……そして拓人は縛られていなかった。
「売ったってどういう意味だ? 拓人がオレを、なんで……」
「ごめん。逆らえなかった。オレ……」
「どういうことだ? ちゃんと説明しろよ」
「……薙の父さんをおびき出すために、お前を使った」
「えっ、なんで父さんを?」
理由は分からないが、途端に危険信号が灯り、冷や汗が背中を伝った。
「こっ、ここは誰の家だ? 」
「……俺の……父さんの家だ」
先日病院で感じた嫌な視線を思い出した。病院から去っていく時に背後に感じた絡みつくような視線に、何故かぞっとしたんだ。だから振り解くように、オレは流さんの待つ駅へと走った。
そうか、あの視線は俺を通して……父さんを見ていたのか。
「おいっ父さんに何をする気だ……」
「……スイさんのことは、随分前から夫婦喧嘩の度に上がってたよ」
「だからって、なんで父さんを! 父さんに何かしたら許さない」
自然に叫んでいた。
だって本当にそう思うから。
「くそっ! 『父さん、父さん』ってしつこいな。お前の父親はいいよな。綺麗で心も澄んでいて……それに比べて俺の父さんは……はっ、俺は一緒に堕ちたんだ、いや……堕とされたのか」
聞いたこともないような、投げやりな声だった。
「拓人? 何を言ってるんだ? 一体……落ち着けよ」
「う、うるさい! もう喋るな。薙……俺はね、父さんからお前を自由に、好きなようにしていいって言われた」
拓人の声が突然ントーン低くなった。正気を失っているのか。
「お、おい? 何を考えてる……」
じりじりと近づいてくる、拓人に今までに感じたこともない嫌悪感を抱いてしまった。
「……俺は、薙が好きだ」
そして衝撃の告白を受け、思考がぴたりと停止した。
「だから……」
****
(助けて欲しい……)
翠……?
切ない声が、風に乗って届いた。
微かな心の声。
たぶん実際には発していない声だろう。
俺の全神経はいつも翠の方へ向いているから、奇跡のような巡り合わせでキャッチできたのかもしれない。
俺はもう二度と失敗をしない。翠を危険な目に遭わせないために、そうやってあの日から生きて来た。だからこそ気づけたSOS。
振り返れば、視界の端に………見逃しそうな程、端に……去り行く翠の後ろ姿を捉えられた。
君はどこまでも卑怯な行いをし、僕を堕とす人間だった。昔のことを忘れようと努力した僕の辛く長い年月を、台無しにしてくれた。
あの日から、僕は怒りや恨みを滅するためにひたすらに修行し続けたのに……苦しみから逃れた先に安らぎがあると信じて生きて来たのに……その結果がこれなのか。
これでは、神も仏もいないようなものだ。
住職としてあるまじき考えに、僕の頭は占領されていた。
薙を傷つけたら絶対に許さない!
もう僕は我慢しない。
大切なものを守るために僕は行く。
拓人くんと出かけたはずの薙が克哉のもとにいるということは、拓人くんが克哉と繋がっていたということになる。まさか……息子なのか……宮崎で会った時、彼にはそんな大きな息子はいなかったはずなのに、関係が確定出来ない。きっと何か僕は重要な情報を入手出来ていなかったのだろう。それによって、みすみす……薙を捕らえられてしまったのだ。
僕は何をやっていたのか。本当に父親失格だ。
とにかく、言われた場所に行かなくては。
急いで支度をして寺の若い者に外出するとだけ言伝し、山門を抜けようとした時、庭先に作務衣姿の流の後ろ姿を捉えた。
よく見慣れた広く逞しい背中だ。
僕の流……
あの背中に縋れたら、どんなにいいだろう。いやそうしないといけない。
でも薙の父親は僕で、この問題はやはり僕の問題で、流を巻き込むのは危険だ。
(助けて欲しい……)
伸ばしかけた手は、空を掴むだけにした。
僕は……流を置いて行く。
****
「拓人……どこだ」
真っ暗闇の部屋の片隅に、微かな人の気配がした。そして絞り出すような声がした。
「……薙」
拓人の声だ! よかった。拓人も一緒にいるのか。少しだけ気持ちが和らいだ。
「おい、お前も縛られているのか。無事か。オレたちどうしたんだ? 一体……」
「うっ……」
何故か拓人は涙声だった。理由が分からない。
「なんで泣くんだよ? ここ一体どこだ? 」
「薙……すまない……オレ、お前を……売った」
懺悔にも似たような絞り出すような声に驚いた。一体拓人に何があったのか。オレは自分の状況が理解できない。やがて目が暗闇に慣れてくると、拓人の顔がぼんやりと浮かび上がった。焦燥した顔、泣きはらした眼……そして拓人は縛られていなかった。
「売ったってどういう意味だ? 拓人がオレを、なんで……」
「ごめん。逆らえなかった。オレ……」
「どういうことだ? ちゃんと説明しろよ」
「……薙の父さんをおびき出すために、お前を使った」
「えっ、なんで父さんを?」
理由は分からないが、途端に危険信号が灯り、冷や汗が背中を伝った。
「こっ、ここは誰の家だ? 」
「……俺の……父さんの家だ」
先日病院で感じた嫌な視線を思い出した。病院から去っていく時に背後に感じた絡みつくような視線に、何故かぞっとしたんだ。だから振り解くように、オレは流さんの待つ駅へと走った。
そうか、あの視線は俺を通して……父さんを見ていたのか。
「おいっ父さんに何をする気だ……」
「……スイさんのことは、随分前から夫婦喧嘩の度に上がってたよ」
「だからって、なんで父さんを! 父さんに何かしたら許さない」
自然に叫んでいた。
だって本当にそう思うから。
「くそっ! 『父さん、父さん』ってしつこいな。お前の父親はいいよな。綺麗で心も澄んでいて……それに比べて俺の父さんは……はっ、俺は一緒に堕ちたんだ、いや……堕とされたのか」
聞いたこともないような、投げやりな声だった。
「拓人? 何を言ってるんだ? 一体……落ち着けよ」
「う、うるさい! もう喋るな。薙……俺はね、父さんからお前を自由に、好きなようにしていいって言われた」
拓人の声が突然ントーン低くなった。正気を失っているのか。
「お、おい? 何を考えてる……」
じりじりと近づいてくる、拓人に今までに感じたこともない嫌悪感を抱いてしまった。
「……俺は、薙が好きだ」
そして衝撃の告白を受け、思考がぴたりと停止した。
「だから……」
****
(助けて欲しい……)
翠……?
切ない声が、風に乗って届いた。
微かな心の声。
たぶん実際には発していない声だろう。
俺の全神経はいつも翠の方へ向いているから、奇跡のような巡り合わせでキャッチできたのかもしれない。
俺はもう二度と失敗をしない。翠を危険な目に遭わせないために、そうやってあの日から生きて来た。だからこそ気づけたSOS。
振り返れば、視界の端に………見逃しそうな程、端に……去り行く翠の後ろ姿を捉えられた。
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