重なる月

志生帆 海

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12章

出逢ってはいけない 7

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「薙、今日は楽しかったかい? 」
「ん? あぁ……母さんと住んでいたマンションに近くで、懐かしかったよ」
「……広尾の方に行ったのか」
「まぁそのあたり」
「一緒に行った友達のことを聞いてもいいかな」
「ん? 拓人のこと」
「拓人くんというのか。苗字はなんと? 」
「岩本だけど、それがなにか」
「いや……なんでもないよ。それよりハンバーグの味はどうだ」

『岩本拓人』か……

 知らない名前だったことにほっとした。

 それにしても、何故今日になって克哉くんのことを思い出したのか。薙が拓人くんと去っていく後ろ姿を見ていたら、ふと初秋の葬式のことが過って、何とも言えない不安に苛まれた。

 あの宮崎で、克哉くんは奥さんとお子さんと旅行中だと言っていた。まさかその奥さんが亡くなるなんて……小さな子供を残して無念だったろう。克哉くんは葬式には喪主のはずなのに参列していなかった。達也に尋ねると大怪我で入院しているとのことだった。会わなくてよかったと、ほっとしたのも事実だ。

 もう僕はいい加減に忘れないと。高校時代から大学にかけて僕を悩ました克哉くんの存在を。

 もう僕には流がいる。そして流は僕を守ってくれるほど逞しく成長したのだから。

「父さん?」
「あっ……ごめん」
「ぼんやりしてどーしたんだよ。ハンバーグの味はいいけど、食感が最悪だよ。でもまぁ……食べられないことはないかな。こんなことなら母さんに習っておけばよかったのに」
「あっ、うん……確かにそうだね」
 
 まさか薙からそんなことを言われるなんて思わなかったので、肩を竦めてしまった。

 結婚してすぐに薙が生まれ、五年間だけだった結婚生活。彩乃さんは家事も育児も手際よくこなし、食事の準備もいつもあっという間だった。僕はあの頃、流に嫌われたショックで茫然としがちな日々で……恥ずかしながら料理の手伝いをするなんて思いもしなかった。

 あ……でも、小さかった薙がベビーチェアに座って、先の丸いフォークでハンバーグを突き刺して、パクパク食べていたな。僕のことを「パパ」と呼ぶ可愛い声も小さな手も、今になってみれば鮮明に思い出す。

 なのにどうして当時の僕は……その姿に流の小さかった頃の思い出ばかり被せてしまっていたのか……最低だ。

「あの翠さん、今日はありがとうございました。俺、そろそろ離れに戻ろうと思います」

 後片付けが終わった洋くんが、声をかけてきた。

「あぁ夕食お疲れ様。でも今日は丈が当直で戻らないんだろう? 離れにひとりで大丈夫か」
「心配しないでください。月影寺の中ですから」

 洋くんは朗らかに笑っていた。

 この月影寺での彼は、何か大きなものに守られているかのように安心しきっている。そして僕も流も、洋くんのリラックスした姿に心底ほっとしている。

「あっ洋さん、もしかして今晩暇? 」
「薙くん。何か俺に用事? 」
「ほらっ約束してただろう。英語の勉強見てくれるって」
「あぁそうか。うんいいよ。今日は丈もいないし」
「やった! 父さん、オレの部屋でテスト対策してもらってもいい? 」

 薙は一番年が近い洋くんに懐いている。といっても洋くんはもう28歳だが実年齢よりずっと若く見えるので、大学生の兄のようにも見える。洋くんも一人っ子で友達も少ない幼少期を過ごしてきたそうなので、薙に懐かれるのはまんざらでもないようだ。

 二人が並ぶ姿は……どこまでも微笑ましい光景で、薙もいつもよりずっと柔らかい。

「洋くん、悪いね」
「もちろんです。お役に立てて嬉しいです」
「おー薙、洋くんをあまり疲れさすなよ。朝、帰ってきた丈が怒る」
「流さんってば、オレはとって食いやしないよ。みんな過保護だな」
「流さん、一言多いです! 」

 洋くんは頬を染めていた。すぐに赤くなるんだね。

 我慢するのに慣れてしまった彼は、未だに喜怒哀楽の表現がぎこちない時もあるのに、考えていることが顔に出やすいのが、可愛いと思う。


****

「洋さんって本当に美人だよな」
「えっどうした? 急に」
「いや、今日さ拓人の弟と妹に会ったんだけど、5歳の妹がすごいおしゃべりで、オレの顔見るなり、綺麗だとか大騒ぎで参ったよ。オレなんかより洋さんの方がよっぽど美人なのにな。それにしても女の子の扱いって苦手だ」

 勉強を教えていると、薙くんが、ふとそんなことを漏らした。
 
 その言葉を受けて、俺は宮崎で会った小さな女の子のことを思い出した。しきりに王子様みたいだとか騒いでいたっけ。あれは恥ずかしかったな。それにあの男の子からのキスにはびっくりした。あんな小さな子が突然あんなことするなんて、一体どういう親なんだ。

「洋さんさ、おとぎ話の王子様みたいって言われたことあるんじゃない? 」
「えっ! 」

 頭の中で考えていたことを読まれたようで、驚いてしまった。

「図星?」
「う……」


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