重なる月

志生帆 海

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12章

明日があるから 2

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 北鎌倉の駅まで送る道すがら、後部座席で彩乃さんと穏やかに話す翠を見て、本当は嫉妬していた。翠はもう何もかも俺のモノだって分かっているのに、いつまでたっても信じられない夢みたいで不安になる。

「兄さん、着きましたよ」

 駅で見送ったら翠は俺の元にちゃんと戻ってくる。もうそのまま戻らないなんてことはない。そんな事を考えていたら、突然車から降りた彩乃さんが近づいてきた。

「ねぇ、翠さんが変わったのあなたのせい? それならばあなた以外の悪い虫がつかないように見張っておいてね」

 小声で耳打ちされて、カッと赤面した。

 おい! この人はどこまで何を知っているんだ? 翠が何か話したのか。いやそんなことはするはずがない。でも嫌な感じではなかった。彼女なりに何かが吹っ切れたようだ。しかし……女の勘ってのはいつの世も恐ろしいな。

 翠がスーツケースを押して、彩乃さんがその横に並んで歩いて行く。

 翠と彩乃さんの身長差は男女としては丁度良く、知らない人が見たら、若々しい二人のことだ、その後ろ姿は……まるで幸せそうにハネムーンに行くカップルのようじゃないか。

 ふたりの背中が小さくなっていくのを、じっと見送った。

 翠はちゃんと俺のところに戻ってくる。それが分かっているのに切なくなるシーンだ。

 翠が結婚した時、俺は徹底的に翠を無視し冷たく接した。

 思い出したくもない酷い俺の過去。俺が仕出かした過ちだ。あの頃の俺はいつも翠に背を向けていた。翠はいつもこんな風に去っていく俺の背中を見ていたのか。そう思うと居た堪れないな。悪かった……本当に。

「はぁ……」

 思わず漏れてしまったため息に、助手席に座っていた薙が笑った。

「流さんため息なんて、おじさん臭いな」
「おい? 俺はまだ三十六歳だぞ」
「立派なおじさんだよ。オレから見たらさ」
「ふん、それより今日はぐっすり眠れたみたいだな」
「……まぁね」
「よかったな。会いたかったんだろ、本当は母親に」
「おい! 子供扱いすんなって」
「子供だよ。お前は……俺はお前のオムツだって替えたんだぞ」
「わっソレ言うな!」
「ははっ」

 そんなやりとりをしていると、翠がひとりで戻って来た。その姿がとても眩しかった。

「あ……父さんだ」

 翠は少し頬を染めて無言だった。翠を後部座席に乗せて車を走らせた。駅から月影寺までは歩くと上り坂で二十分以上かかるが車なら訳もない。坂道をゆっくり走らせていると、歩道に少年が歩いていた。

「あっ流さん、停めて! 」
「ん? 知り合いか」
「うん、拓人だよ。同級生の」
「へぇ、薙の友達か」
「まぁね」

 一旦路肩に寄せ停車してやると、薙は嬉しそうに下車してその少年に話しかけた。

「拓人、出かけるのか」
「薙、どうしたんだ。こんな時間に駅から戻ってくるなんて」
「ん、ちょっと見送りに行ってきた。お前はどこいくんだ?」
「あっ薙、これから暇か。付いてきてくれないか、オレ、東京に行きたいんだ」
「東京? 」
「お前、前は東京に住んでいたから詳しいだろう」
「そうだけど」
「……薙、車に乗ってるの、誰?」
「あ……父さんと叔父さん」
「ちょうどいいじゃん。了解取れるか」
「分かった」

 やりとりはこちらにも筒抜けだったので、翠がその様子を聞いて、車から降りた。

「ってわけなんだけど……父さん……オレ出かけてきてもいい? 東京まで」
「そうか、分かった。でも夕方までには戻ってくるように」
「拓人、いいってさ」
「すみません。じゃお借りします」

 まぁ悪い奴じゃなさそうだし大丈夫そうだな。それは翠も同じ考えなんだろう。薙に年相応の友人がいるのはいい事だしな。

 薙を下ろして、俺たちはふたりで月影寺に戻ることになった。

 今度は助手席に翠を乗せて、ふたりきりで。

 翠の美しい横顔を盗み見て胸が高鳴って……昨夜からのいろんな我慢が溜まって破裂しそうで、武者震いしている自分に苦笑した。


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