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12章
愛しい人 14
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凍りそうな窓ガラスに自分の顔を映すと、覇気のない30代後半の女の顔が映っていた。
私は一体何を期待していたのかしら。もう手に入らないものをいつまでも欲しがって強請るような真似をするなんて、恥ずかしい。
さっき無理やり重ねた翠さんの唇……何でだろう? 知らない人みたいだった。
翠さん……あなた本当に変わってしまったのね。参ったわ。一体この半年の間に何があったの。こんなになってしまうのなら、フランスに旅立つ前に無理やりでも会っておくべきだった。
薙を預ける時も何一つ反論も抵抗もしないで全部受け入れて、フランスへ出国の時だって、私が会いたくないと言えば素直に薙の迎えに弟を寄越すし、あなたの意志なんて、いつもなかったのに。
さっきのは何だったの。死んだような心を抱えていたはずのあなたの意志を初めて感じられたのに……やっとあなたが前を見てくれたのに、そこに私はいなかった。
あなたをそうさせたのは誰なのか、気になってしまう。知ったからってどうしようもないのにね。
今まで散々自由にやってきたツケかしら。翠さんがいなくても前を見て、どんどん私は羽ばたいていったわ。だから寂しくなんてない。そう思うのに胸の奥にぽっかり穴が開いたように感じるの。
「ん……母さん? なんだよ。まだ寝ないのかよ」
眠っていると思った薙に、声をかけられて驚いてしまった。
「いやだわ。もう寝たんじゃないの」
「寝付けなくてさ」
「母さんと話す? 」
「気色悪いな。急に母親顔? そういえば今日は父さんも妙に父さんらしかったな」
「翠さんが父親らしかった? 」
「もしかして母さんと父さんってさ……」
「なに?」
「……復縁するの?」
驚いた。
「なんで、そんなこと言うのよ。この子は急に……」
「なんか久しぶりに仲良さげに見えたんだ。母さん、父さんに車でキスしたろ? 」
「はぁ? 」
動揺してしまった! いつの間にこんなこと言うようになったの? まだまだ子供だと思っていたのに。
「父さんもさ、ほんとボケてるよな。子供の前で、口紅を少し残したままとかありえねぇ」
「あんたって子は! はぁーでも、ごめん……薙。その逆なの。きっぱりと別れることになった。今まで宙ぶらりでごめんなさい。その代わりちゃんとあなたの親として、私たちは生きるから」
「……そっか、そういうことなのか……ふーん。まぁもうとっくの昔に離婚してたんだし……大人ってややっこしい生き物だな」
薙は困惑した表情を浮かべながら欠伸をし、眠そうにし出した。
「薙もいずれ分かるようになるわよ。でもこれだけは言っておく。私あなたを産んでよかった。あなたがいてくれてよかった。ねぇ聞いている? 薙? 」
もう寝息を立てていた。
もう零時を回っているし、無理もないわね。
毛布に包まり丸まって眠っている息子の髪を撫でてやった。触れるのは久しぶりね。翠さんに似た柔らかい栗色の毛。よく似た美しい顔立ちのあなたには幸せになって欲しい。
ねぇ聞いて……『薙』という名前は翠さんがつけてくれたのよ。あの物静かな翠さんから、薙ぎ倒すの『薙』なんて漢字が出てくるなんて、最初は驚いたけれども、私もあなたの名前が気に入っているわ。
薙がいるから、翠さんとも……この先も生きていける。翠さんの心は違うところへ旅立ってしまったけれども、縁は切れないというわけか。
突然、頬を伝う熱いものを感じた。
あ……私……やっと泣けた。
いつも明るく強く元気にさっぱりと、自分の好きなように自由に生きて来た。だってそれが本来の私の性格だから。だからきっと翠さんも薙のことも、随分振り回してしまったわね。
窓の外は霧に包まれているように白い靄がかかっていた。
その靄の中に、翠さんの後ろ姿を見たような気がした。
私は一体何を期待していたのかしら。もう手に入らないものをいつまでも欲しがって強請るような真似をするなんて、恥ずかしい。
さっき無理やり重ねた翠さんの唇……何でだろう? 知らない人みたいだった。
翠さん……あなた本当に変わってしまったのね。参ったわ。一体この半年の間に何があったの。こんなになってしまうのなら、フランスに旅立つ前に無理やりでも会っておくべきだった。
薙を預ける時も何一つ反論も抵抗もしないで全部受け入れて、フランスへ出国の時だって、私が会いたくないと言えば素直に薙の迎えに弟を寄越すし、あなたの意志なんて、いつもなかったのに。
さっきのは何だったの。死んだような心を抱えていたはずのあなたの意志を初めて感じられたのに……やっとあなたが前を見てくれたのに、そこに私はいなかった。
あなたをそうさせたのは誰なのか、気になってしまう。知ったからってどうしようもないのにね。
今まで散々自由にやってきたツケかしら。翠さんがいなくても前を見て、どんどん私は羽ばたいていったわ。だから寂しくなんてない。そう思うのに胸の奥にぽっかり穴が開いたように感じるの。
「ん……母さん? なんだよ。まだ寝ないのかよ」
眠っていると思った薙に、声をかけられて驚いてしまった。
「いやだわ。もう寝たんじゃないの」
「寝付けなくてさ」
「母さんと話す? 」
「気色悪いな。急に母親顔? そういえば今日は父さんも妙に父さんらしかったな」
「翠さんが父親らしかった? 」
「もしかして母さんと父さんってさ……」
「なに?」
「……復縁するの?」
驚いた。
「なんで、そんなこと言うのよ。この子は急に……」
「なんか久しぶりに仲良さげに見えたんだ。母さん、父さんに車でキスしたろ? 」
「はぁ? 」
動揺してしまった! いつの間にこんなこと言うようになったの? まだまだ子供だと思っていたのに。
「父さんもさ、ほんとボケてるよな。子供の前で、口紅を少し残したままとかありえねぇ」
「あんたって子は! はぁーでも、ごめん……薙。その逆なの。きっぱりと別れることになった。今まで宙ぶらりでごめんなさい。その代わりちゃんとあなたの親として、私たちは生きるから」
「……そっか、そういうことなのか……ふーん。まぁもうとっくの昔に離婚してたんだし……大人ってややっこしい生き物だな」
薙は困惑した表情を浮かべながら欠伸をし、眠そうにし出した。
「薙もいずれ分かるようになるわよ。でもこれだけは言っておく。私あなたを産んでよかった。あなたがいてくれてよかった。ねぇ聞いている? 薙? 」
もう寝息を立てていた。
もう零時を回っているし、無理もないわね。
毛布に包まり丸まって眠っている息子の髪を撫でてやった。触れるのは久しぶりね。翠さんに似た柔らかい栗色の毛。よく似た美しい顔立ちのあなたには幸せになって欲しい。
ねぇ聞いて……『薙』という名前は翠さんがつけてくれたのよ。あの物静かな翠さんから、薙ぎ倒すの『薙』なんて漢字が出てくるなんて、最初は驚いたけれども、私もあなたの名前が気に入っているわ。
薙がいるから、翠さんとも……この先も生きていける。翠さんの心は違うところへ旅立ってしまったけれども、縁は切れないというわけか。
突然、頬を伝う熱いものを感じた。
あ……私……やっと泣けた。
いつも明るく強く元気にさっぱりと、自分の好きなように自由に生きて来た。だってそれが本来の私の性格だから。だからきっと翠さんも薙のことも、随分振り回してしまったわね。
窓の外は霧に包まれているように白い靄がかかっていた。
その靄の中に、翠さんの後ろ姿を見たような気がした。
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