重なる月

志生帆 海

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11章

解けていく 26

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 丈に支えられるように、客室に戻って来た。

 そんなに酔ったつもりじゃなかったのに。

 ひとりで手持無沙汰で飲んだのがいけなかったのか。

 いつもより酔いが回っている気がする。

「ほら、水を飲め」

 丈から冷たい水を渡されたので、ゴクゴクと飲み干すと、幾らかクールダウン出来た。

「ふぅ……おいしいよ。あっそうだ。明日の予定はどうなっている? 翠さんたちから連絡はあった?」

「いや、まだ無いな。明日の午後の学会が終わってから宇治に来て欲しいとメールが来ていたが、まだ詳しいことを聞いてない。今から電話して聞いてみるよ」

「うん、あ……でも明日でいいよ。今日はもう遅い」
「そうか」
「そうだよ」

 邪魔したくないと思った。

 今宵は京都で最後の夜だから、きっと今頃……あの二人は睦み合っているだろう。

 彼らには彼らの愛を、迷いなく貫いて欲しい。

 遠い昔からの命を懸けた願いが、きっと二人を包んでいるのだから。

「そうだな。じゃあ風呂入ろう」
「えっもう……眠いし、明日でいいよ」
「駄目だ。洋は寝起きが悪いから、朝はそんな時間はないだろう。それに、ここには」

 丈に手を引かれて客室のテラスをガラス窓越しに覗くと、ゆったりとした広さの露天風呂が見えた。

「へぇテラスに専用の露天風呂か。昨日は気づかなかったな」
「ここなら頑張れるだろう。今日は大風呂ではなくここで済まそう」
「……分かった」

 素直に丈の言う通りにした。

 というのも今日の俺は少し丈に甘えたい気分だったから。

「洋はここで待っていろ」

 今度はペットボトルごと渡されたので、飲みながら部屋で待っていると、丈が甲斐甲斐しく風呂の準備をしてくれている様子が見えた。

 そんな後ろ姿を見ながら、今日一日のこと……ランチのレストランでのことや飲み会の席での丈の様子を反芻してしまった。

 丈は……皆に尊敬され、注目されている立派な外科医なんだよな。改めて丈の仕事仲間と接して、強く思った。

 俺の前だと、いつもこんな姿なのにな。

 でも流石に今日は焦ったよ。まさかライバル視されるとは思っていなかった。高瀬くんがどこまで本気なのか分からないし真意が掴めない状態だから、丈にうまく話せない。

「さぁ支度が整ったよ。おいで」
「ボタン位、自分で外せる」
「今日はやらせて欲しい」

 着ている服を丈の手によって、丁寧に脱がされる。

 ふと……流さんのことを思い出してしまった。

 流さんもこんな風に翠さんのことを大事に宝物のように扱っているのを、俺は知っている。

「俺……至れり尽くせりだな」
「大事な嫁さんだ」
「その言い方はよせ」
「ははっ悪かった。洋は一番大事な人だから。知っているだろう?」
「……」

 本当に……丈は俺に甘いよ。

 俺が欲しい言葉を、いとも簡単に投げてくれる。

「今日は疲れただろう。知らない人の中で頑張ったな。洋はここ数年……社会から離れていたから大変だったろう」

 優しく湯船の中で抱きしめられながら、そんな風に労いの言葉をかけてもらうと、なんともいえない気持ちになるよ。

 俺はずっとひとりでやってきたから。

 父が亡くなり母が再婚し、その母も亡くなって……俺はいつも孤独で甘える場所なんて、ずっとなかったから。

 どんな目にあっても泣き言を言える場所がなかった。

 だから一人で耐えることばかり覚えてしまった。

 守れるほど強くないから、必死だった。

 どうやったら目立たないでいられるか。

 どうやったら災難から逃れられるか。

 逃げるだけ、隠れるだけの人生だった。

 今……包容力の塊のような丈と暮らしていると、自分が弱くなったと痛感してしまう。

「俺、弱くなったな」
「弱い?」

 丈が意外そうな声をあげた。

「うん、だって……こんなにも丈に委ねている。その丈が今日はとられそうになって焦った」
「それは違うな」

 丈が意外そうな声をあげた。

「洋は弱くなったんじゃない。甘えられるようになったんだ。それでいい……洋……それは自然なことだから。人はひとりで生きているのでなないと前も言っただろう? 支えあって生きている。ひとりが悲しめば寄り添い、喜んでいたら一緒に喜んで……それは綺麗ごとかもしれないが、私は洋とそんな風に、心の豊かな人生を歩みたいと思っている」

「丈……俺は、これでいいのか、このままでも」

「当たり前だろう」

「でも、丈がとられそうで焦った……こんな感情……醜いだろう?」

 ポロリと漏れてしまった本音。

 きっとこの温かいお湯の中で心が解れてしまったからだ。

「それは……高瀬くんのことを言っているのか。洋が心配するようなことは何もないよ。彼は積極的だったが、私はけっして靡かない。申し訳ないが、洋以上の存在はいないから」

 丈が俺を抱きながら、低く痺れる声で耳元で囁いてくれる。それはどこまでも下半身に響く声だ。

「俺の丈か……」
「当たり前だ」




 師走も近い。

 寒々しい木枯らしが舞う山林を見つめながら、俺は目を細めた。

 幸せだと思った。

 こんな風に言ってくれる人がいて、幸せだ。

 疲労した心も、高瀬くんに感じた嫉妬心や焦りのような感情も……

 今はもう落ち着いて、解けた心だけが灯っていた。

 愛しい人の人肌を求めて……




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