重なる月

志生帆 海

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11章

解けていく 20

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「さてと明日もあるし、そろそろお開きにしよう」
「そうだな、明日も午前中は学会だもんな」
「はーい、お疲れ様」

 助け舟を出してくれた陣内先生の一言で、どうやらこのままお開きになるようだ。結局俺は殆どメンバーの輪にも入れずだったが、高瀬くんにあれ以上のことを言われることもなく安堵した。

 ふぅ……本当に長い1日だった。
 それなりの覚悟で引き受けた学会取材だった。

 水曜日から翠さんと共に京都でバタバタと過ごし、そのまま金曜日からは慣れない学会取材が終日で、メンタルも体力もかなりすり減らしていた。

 本来ならば、まっすぐ宿に帰り横になりたいところだったが、こんな飲み会にも顔を出して。

 あ……でも俺が創作の焼き鳥やさんに惹かれたのが原因か。

 しかしさっき高瀬さんから言われた一言は、ダメージが大きかったな。

 貧血とか虚弱体質は、事実だ。

 でもけっして仮病なんかじゃない。いい歳の男がと馬鹿にされがちだけど、確かに俺は体力がない。

 俺の身体の弱さの原因は、成長期の食生活の影響だと、そういえば丈が以前言っていたな。

 幼い頃から母が病気がちで、ちゃんとした食事を作ってもらえない事が多かったし、母が亡くなってからはずっと外食ばかりだったから。

 自分で蒔いた種だ、この虚弱体質は。

 丈と暮らし始め北鎌倉で暮らすようになって、手料理の楽しさと優しさを知ったのだから。

 清算をして皆、方々に散っていく中、高瀬くんが近づいて来た。

「あの、さっきはすいません。あんな言い方して」
「あっ……いや大丈夫」
「僕はフェアに戦いたいです。だから張矢先生のニューヨーク出張が本当なら、競わせてもらいますから」
「……うん」
「良かった。あの浅岡さんのこと嫌いじゃないんです。でもライバルです。だから」
「おーい、高瀬くんもう行くよ」
「あっすいません。話の途中で。陣内先生と実はもう1軒行くんで、また明日」

 丈のことだけを狙っているのかと思えば、いろんな先生にちやほやされているらしく、どうやらそちらも捨て難いようだ。高瀬くんは今まで俺の周りにいなかった要領が良さそうなタイプなので、戸惑ってしまうよ。

 そういえば、俺の周りはどちらかといえば不器用な人が多かった。

 安志と涼。
 Kaiと優也さん。
 流さんと翠さん。

 そして陸さんと空さんは元気だろうか……暫く会っていない。

 皆……不器用な人たちだ。

 そんな人たちが心を通わせていく過程を共に過ごさせてもらう事で、俺自身もどんなに勇気をもらったことか。

 ふと気が付けばもう誰もいない。それは、皆それぞれに幸せを築いているから……
  
 でも俺の傍にはどんな時だって、丈がいてくれる。

「洋……」
「あぁ」

 それ以上は何も語らなくても阿吽の呼吸で、俺たちはタクシーに乗り闇に紛れた。

 丈と帰る。それが俺の一日の終わりだ。

 タクシーが揺れて丈の肩に少し躰が触れると、ほっとした気持ちが満ちて来る。

 もう帰ろう、もう帰りたいよ。君と……


****

「翠ここだよ」

 三条河原町の湯豆腐店に道昭と一緒に入った。

「へぇいい店だな」
 
 そこはテーブル席が簾で仕切られ、和の情緒が広がる快適な空間だった。

 まずは日本酒を交わした。

「嬉しいよ。翠と飯なんて久しぶりだな」
「うん、そうだね」
「今回は俺を頼ってくれて本当に嬉しかったぞ」
「京都の知り合いと言えば、道昭の顔が真っ先に浮かんだよ。いろいろありがとうな。道昭がいなかったら解決出来なかったよ」
「翠は優しいな。それにいい顔になった。もう悩みはないのか。吹っ切れたのか」
「え?」

 いつのことを言っているのだろうか。

 大学の頃の僕のことを?
 それとも今の僕のことを?

「翠?」
「あぁ悪い。あのどういう意味だ?」
「大学の頃の翠はさ、何かに怯えて何かを諦めていたよな。だからなのか卒業してすぐ結婚なんて……女とまともに付き合ったこともなかったのに突然で驚いた」
「そのことか……あの頃はそれしか道がないと思っていたんだよ」

 道昭の眼は真剣そのものだった。

「なぁ翠。仏教の教えでは、この世の真理には苦しみが生じてから無くす迄に、四つの局面があるよな。お前も知っているだろう?」

「あぁ※四諦《したい》という考えだね」

※四諦とは…苦諦(くたい・生きることには苦しみがある)→集諦(じったい・その苦しみには必ず原因がある)→滅諦(めったい・苦しみを乗り越えると安らぎがある。)→道諦(どうたい・その安らぎに至るために正しい道を歩まねばならない。)

「お前は、今どこにいる?」
「なんで?」
「幸せそうだからさ。だが……その道は間違ってはいないのか」

 じっと見つめられ、この男はやはり僕と流の関係を知っていると察した。

 だからこそ覚悟の上、正直にありのままを答えた。

「滅諦だよ。僕たちは苦しみを乗り越えたばかりだ。愛する対象と別れねばならない愛別離苦《あいべつりく》も、 憎む対象に出会わなければならない怨憎会苦《おんぞうえく》も…求めても得られない求不得苦《ぐふとっく》もすべて乗り越えてきた」

                       ※参照文献『仏教聖典』

「やはり……お前は弟と……」

 ついに道昭は、核心に触れようとしたが、その先の言葉は僕が消した。

「……悪い。ちゃんと背負っていくから。苦を背負っていくから、どうかこの話はそこまでにしてくれ」

 たとえ信頼できる道昭であっても、事実をそのまま認めるわけにはいかない。

 今生で、流、お前を窮地に立たす原因は、全部僕が消していくから。

 もうお前と離れないために。

「……」

 道昭は無言で……僕のことを見つめ続けていた。







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