重なる月

志生帆 海

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11章

解けていく 8

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 おかしなことになった。

 ランチはホテルの中華料理レストランで、円卓には俺と高瀬くん、そして五名程度の医師。しかも俺の対角線上には、丈が座っている。

 円卓内での話題を提供するのは、もっぱら陣内という丈と同じ医局の医師と、高瀬くんだった。

 そして二人の会話を静かに聞く丈が、時折冷静な突っ込みを入れている。

 皆、丈の意見には一目置いているようで、なるほどそういう見解が……と賞賛の声が上がる。

 こんな時ですら見惚れてしまうよ。

 冷静沈着な丈の知識、医師としての心構えに。

 それにしても高瀬くんの知識にも、正直驚くばかりだ。

 まるで医師のように、いや医師以上の知識で、丈と互角に対話しているのだから。

 それに比べ俺は……

 本当に少ない知識しか持たないまま、医療系のライターになりたいなんて、大それたことを言っていたのだと痛感してしまった。

 恥ずかしい。

 話に入ることも出来ず、目の前に出された麻婆豆腐を口に入れると思いの外、辛くて咳込んでしまった。

「ゴホッゴホッ」
「だ、大丈夫ですか」

 隣の女性が水を差しだしてくれたので、お礼を言って飲み干した。

 なんだよ。これっ辛すぎだろう。舌がヒリヒリして涙目だ。

 水をくれた女性がじっと俺を見つめているので、不思議に思った。

「あの……何か」
「あっすいません、あんまり美形なんで見惚れちゃった」
「えっ」
「あの私は遠峯 佐代子って言います、浅岡さんは何処から来たんですか。こっちの方? 私は京都のK大付属病院の所属です」
「いや、俺は神奈川で……」
「そうなの?なんだか醸し出す雰囲気が京都の方みたいだと思っていたのに……あっもしかして小さい頃、京都に住んでいらした?」
「いや……そんなことは」

 俺から京都の匂いがするというのなら、それはもしかしたら夕凪のせいかもしれない。

 この旅で俺は随分、夕凪の影を踏んだから。

「おいおい。佐代子は面食いだからな。しかし浅岡くんだっけ? 君みたいな美人な人がライターだったら忘れるはずもないのに、見かけたことなかったな。今までどこの所属だったんだい?」

 高瀬くんと議論していた陣内という医師が、突然話しかけて来た。

「え……あの実は学会の仕事は今回が初めてです。今まで通訳と翻訳の方が専門で」

「へぇ通訳か。英語はネイティブ並みってとこ? 向こうで暮らしたとか」

「はい……高校の途中から大学卒業まではニューヨークにいましたから」

「それはいいね! すごくいい! 実は来月ニューヨークに出張で同行してくれる通訳探していたんだ。君は医療系のライターもするぐらいだから、医学用語には強いんだよね? どう? 今度は俺と契約しない?」

「えっと……その」

「一緒に一週間身の回りのことから、ニューヨークでの学会の通訳までお願いしたいってことだよ。俺さ医師のくせして英語が苦手でね。あぁ君はどこの会社に所属しているの? フリーのライターなの?」

 なんて答えよう。

 いや……なんて断ればいい?

 変な汗が流れ落ちてしまう。

 思わず丈のことを縋るように見つめてしまった。

 丈どうしよう……と。

 すると丈は俺に目配せした。

「陣内……悪いがその出張は私が行くことになっているが、知らなかったのか。教授の意向でな」
「はいっ???」

 陣内という医師は寝耳に水だったようで、素っ頓狂な声をあげていた。

 そして、その横で高瀬くんが、妙に悔しそうな顔をしていた。


****

 翠から渡されたメモには、土地台帳から写し取った土地所有者の住所と氏名が記載されていた。それをナビに入力して、車は京都市内に戻り、御池通を進んでいた。

「もうそろそろだな。この辺りか。ん?この住所と名前って」
「どうした道昭?」
「ほら、お前が昨日行きたいって言っていた呉服屋、大鷹屋のことじゃないのか」
「なんだって?」

 翠の顔色がさっと変わった。

 住所はまさに「大鷹屋」という京都一の老舗といわれる呉服屋を差していた。

「やっぱり……でも、何故だろう。なんだか……怖いな」
「兄さん大丈夫ですよ」

 翠が熱を帯びた声で不安げに呟いた。すると、さっと弟がその肩をさりげなく抱き寄せたのを見てしまった。

 まるで翠を守る騎士のようだな、弟くんよ。

「兄さん、この家も夕凪に関係が」
「たぶん……」
「よし、とりあえず俺が聞いてこよう。袈裟姿の方が、入りやすいかもよ」

 俺で出来ることがあれば、助けてやろうと思った。

 翠のためだ。


「道昭……この土地について知っている人がいれば、それだけでいいんだ。余計なことに首を突っ込みたくない」
「了解!」







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