重なる月

志生帆 海

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11章

解けていく 7

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 先ほどから私は、ちらちらと時計を確認していた。

 間もなく正午、このディスカッションも終わる洋に会える時間が近づいていると思うと、心が高まるばかりだ。

 まったくこれでは公私混同だと、自分でもこの浮ついた心に呆れ気味だ。それでも初めて洋と仕事を共にする喜びは、格別な喜びをもたらしてくれている。

「それでは本日のディスカッションはこれにて終了です。午後は13時からホールDにて今回の事例の研究発表を行いますので、お集りください」

 やっと終わった。

 急いで洋のところへ向かうために部屋から出ようと思ったら、トントンっと肩を叩かれた。振り返ると同じ大船の医局の『陣内』という、私より3歳ほど年下の医師が立っていた。

「張矢先生、流石ですね」
「あぁお前も来ていたのか」
「ひどいな、さっきからあっちのグループで俺が冴える発言していたのを、聞いてなかったんですか」
「悪い」
「参ったな。張矢先生の発言はこちらのグループでも皆、興味深く聞いていたのに。あ……良かったら一緒にランチに行きませんか。午後からの発表に備えて、今のディスカッションの続きをしたいと思って」
「……」

 参ったな。ランチは洋を誘ってと思っていたのに、しかし私も一応仕事で来ているので、無下には出来なかった。

「分かった」
「やった! みんな喜びますよ。しかし流石に今日は断りませんでしたね~」

 含み笑いをされたのが気になった。

「それどういう意味だ?」
「だって、先生、大船の病院じゃ飲みに誘っても、すっ飛んで帰ってしまうじゃないですか。奥さんって、そんなに怖いんですか」
「奥さん?」

 意外なことを言うもんだ。

「そうですよ。先生の奥さんって飲み会とか嫌がるんですね。で、先生も奥さん一筋って匂いプンプンで、看護師さんからはブーイングですよ。ははっ」

 なるほど確かに洋が待つ家に早く帰りたくて、特に離れをリフォームして自分たちの城を手に入れてからは、速攻帰っていたかもしれないな。

 思わず自分の行動を振り返って、そんな風に思われていたのかと苦笑してしまった。

 それに奥さんって洋のことか。なかなかよい響きだが、洋が怖いのではなく私がしつこいのだと思うが。

 洋がもう今日はしないで眠りたいと懇願する時だって、強引に抱いてしまうのがいつもの私だ。本当に私は洋のことになると見境がなくなってしまう。

「さぁ行きましょう。みんな張矢先生と話したがっていますよ」
「あぁ、分かった」

 なかば強引に背中を押されてグループに加わると、陣内が私のことを随分アピールしてくれていたようで、一気に視線を浴びた。

 洋と連絡を取りたかったが、する暇がなかった。

****

「あーやっと終わりましたね、腹減ったぁ、浅岡さん一緒にランチ行きましょうよ」
「え……あっでも……」

 正直に言うと、ランチの時間くらいゆっくり過ごしたかった。

「あっまさか、また張矢先生と約束ですか。ちょっと聞いていいですか」
「な、何を?」

 高瀬くんの妙に真剣な眼差しにドキッとした。

「ズバリ張矢先生を狙っているんですか」
「えっ」

 眼を見開いて固まってしまった。

 こんな時、俺はいつも分からない。

 どう切り抜けたらいいのか、どう対処したらいいのか……

 本当にとても不器用な人間なんだ。人とのコミュニケーションが上手くいかない。

 高瀬くんも俺が何も言わないから、少し戸惑った表情を浮かべていた。

 俺達が立ち尽くしていると、階段から医師のグループらしき集団が降りて来たのが視界に入った。

「あっ……」

 ディスカッションの続きらしく白熱した議論を身振り手振りでしながら降りて来るメンバーの中に、丈の姿を見つけた。

 丈はその輪の中心にいた。

 その光景がとても眩しくて、目を細めてじっと見てしまった。

 するとその集団の何人かが高瀬くんに気が付いたらしくて、話しかけて来た。

「久しぶりだな!高瀬くんもやっぱり来ていたのか」
「昨日は楽しかったな。また飲みにいこうぜ」
「高瀬は相変わらず可愛いな。今晩夕食どう?」

 あっという間に彼は輪の中に取り込まれていく。

 俺はその様子を呆然と眺めていた。

 高瀬くん特有の人明るさ、人懐っこさはとても人気らしい。彼はずっとメディカルライターでやってきているので、顔見知りが多いのだろう。

 俺との彼らの間に大きな溝があるような、寂しい気持ちをが込み上げて来た。

 高瀬くんを囲んで盛り上がっている輪に入れずに、一歩また一歩と退いていく自分に苦笑した。

 俺……本当にこういうのに慣れていない。

 そういえばちゃんと外の世界で勤め人として働いたのは、あの最初の製薬会社だけだった。本当に短い期間だった。それからはソウルでホテル専属の通訳として仕事をしたが、あの時はKaiに随分サポートしてもらって、こんな風に寂しいなんて思うこともなかった。

 ふと久しぶりに優也さんのことを思い出した。

 まだkaiと優也さんが付き合う前のことだ。控えめな優也さんはいつだって輪から一歩外にひっそりと立っていた。俺がkaiに気にかけてもらっている間、ひとり所在なさげに立っていた。

 その時の気持ちは、今みたいだったのかもしれないな。

 優也さん今頃どうしているかな。七夕の結婚式で会ってからkaiとは遠距離恋愛になっていると聞いている。無性に、あの優也さんに会いたくなった。

 それにしても俺は何でも分かっているつもりで年上である優也さんにあのクリスマスに偉そうに助言してしまったが、本当はまだ何も分かっていない人間だったんじゃないか。

 自問自答してしまう。

「浅岡さんも一緒にランチに行きましょうよ」

 高瀬くんが俺の腕をぐいっと掴んで、輪の中に入れてくれた。

「えっ俺も?」
「彼もメディカル系のライターなんです。浅岡  洋さんです。僕たちセットでよろしくです!」

 高瀬くんが皆に紹介してくれる。

 もちろん話を聞く輪の中に丈もいるので、気恥ずかしさで頬が赤く染まってしまう。

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