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11章
解けていく 4
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車のバックミラーに、ふたりの様子が映っている。
翠と流という兄弟の姿が。
音信不通になっていた翠が、突然俺を訪ねて京都にやってきた時は驚いたものだ。
何か曰くありげな様子で、偉く美人な青年と一緒に人探しに来たという翠。
翠自身もその青年に引けを取らないほど、美しいままだった。
翠特有の、湖のように静かな趣に、更なる深みが出ていた。
大学時代はいつも一緒にいたのに、卒業後、正確には翠が結婚してからは、すっかり疎遠になってしまったのを後悔した。
翠と俺は、大学の入学式ですぐに仲良くなったんだよな。
翠は京都に興味があって俺は鎌倉に興味があったので、お互いの家に夏休みは泊まり合って、お互いのテリトリーを紹介しあったものだ。
楚々としたいかにも長男といった雰囲気の翠。
背筋はいつもまっすぐに伸びて、自慢の友人で、親友だったと思う。
「道昭はさ、僕の高校時代の友人と似ているな」
「へぇ今付き合いはないのか」
「んーそうだね。少し距離を置いておる」
「お前がそんな風に人のことを扱うのは珍しいな」
「いや……彼が悪いんじゃないんだ」
それ以上は語らなかった。
その後大学三年の新学期になって、突然翠の眼が虚ろになったのが気になった。それまでは澄んだ泉のような透明だった瞳が、泥水を浴びたように曇ってしまっていたから。
「何があった? 春休み中に」
「……何も」
苦し気に答える様子に、絶対に何かが翠を苦しめていると思った。
翠は電話に怯えていた。
翠は人前で肌を見せなくなった。
それまでは一緒に銭湯に行ったり、夏は鎌倉の海で泳いだこともあったのに、頑なに拒んだ。
あんまり拒むもんだから訝しんで、一度無理矢理シャツを脱がそうとふざけたら、半狂乱になって怒ったので驚いたものだ。
更に不可解なことが続いた。
卒業後、実家の寺を継がずに東京の寺のお嬢さんと結婚すると聞いた時には、心底驚いたもんだ。
それにしても、いつも月影寺に行くといた、弟の存在。
今の翠にとっては安定剤のようなものなのか。
宇治で迷子になった翠を見事に探し出し駆け付けたのも、この弟だった。
そして一晩過ごしたのも。
行こうと思えば、俺だって夜中に車を走らせる事は出来たが……
「翠……眠いのか」
「う……ん」
小さな囁くような声が背後から聞こえて来たが、俺は聞かなかったことにした。
何だかまるで恋人同士の甘い睦言のような会話だったから。
その言葉通り、翠は次の瞬間には眠りに落ちていた。
この兄弟は?
昨夜寝ないで……何をしていたのか。
俺達もういい大人だ。
野暮なことは聞くまい。
それでも一種の憧れにも似た気持ちを持ち続けた翠を寝取られたような、妙な気持ちが駆け巡っていた。
俺って……まさか翠を好きだったのか。
俺には奥さんも子供もいるのに今更……この気持ちに気が付くなんて。
翠の頭が窓にゴツンとあたりそうになると、さり気なく手で防ぐ弟の姿、心は兄に対するものではないと思う。
何もかも納得がいく。
この弟は遠い昔から、兄を愛していたのか。
久しぶりに会った翠が、また大学で出逢った当初のように澄んだ目をしていた理由が分かったような気がした。
……俺が好きだった翠の顔、また見られてよかったと喜ぶべきかな。
いつまでも見ていたい穏かな光景だった。
「さぁ着いたぞ」
俺は役所の前で車を停めた。
「着いたのですか」
「ここで事足りるはずだ。頼まれた宇治の廃屋の持ち主を調べるのは、役所で土地台帳を調べればいい。資産税課という課が管理しているはずだから。翠をどうする? 起こすか」
「いや、もう少し寝かしてあげてください。兄さんは少し熱っぽいから……昨日やっぱりあんな場所で夜を明かしたのは、まずかったようで」
「おいおい、迎えは明朝でいいといったのは君だろう」
「ええ、まぁそれは助かりましたが」
少しだけ不敵に笑う弟は、別に俺がどう思おうと構わないような潔さだった。
翠と流という兄弟の姿が。
音信不通になっていた翠が、突然俺を訪ねて京都にやってきた時は驚いたものだ。
何か曰くありげな様子で、偉く美人な青年と一緒に人探しに来たという翠。
翠自身もその青年に引けを取らないほど、美しいままだった。
翠特有の、湖のように静かな趣に、更なる深みが出ていた。
大学時代はいつも一緒にいたのに、卒業後、正確には翠が結婚してからは、すっかり疎遠になってしまったのを後悔した。
翠と俺は、大学の入学式ですぐに仲良くなったんだよな。
翠は京都に興味があって俺は鎌倉に興味があったので、お互いの家に夏休みは泊まり合って、お互いのテリトリーを紹介しあったものだ。
楚々としたいかにも長男といった雰囲気の翠。
背筋はいつもまっすぐに伸びて、自慢の友人で、親友だったと思う。
「道昭はさ、僕の高校時代の友人と似ているな」
「へぇ今付き合いはないのか」
「んーそうだね。少し距離を置いておる」
「お前がそんな風に人のことを扱うのは珍しいな」
「いや……彼が悪いんじゃないんだ」
それ以上は語らなかった。
その後大学三年の新学期になって、突然翠の眼が虚ろになったのが気になった。それまでは澄んだ泉のような透明だった瞳が、泥水を浴びたように曇ってしまっていたから。
「何があった? 春休み中に」
「……何も」
苦し気に答える様子に、絶対に何かが翠を苦しめていると思った。
翠は電話に怯えていた。
翠は人前で肌を見せなくなった。
それまでは一緒に銭湯に行ったり、夏は鎌倉の海で泳いだこともあったのに、頑なに拒んだ。
あんまり拒むもんだから訝しんで、一度無理矢理シャツを脱がそうとふざけたら、半狂乱になって怒ったので驚いたものだ。
更に不可解なことが続いた。
卒業後、実家の寺を継がずに東京の寺のお嬢さんと結婚すると聞いた時には、心底驚いたもんだ。
それにしても、いつも月影寺に行くといた、弟の存在。
今の翠にとっては安定剤のようなものなのか。
宇治で迷子になった翠を見事に探し出し駆け付けたのも、この弟だった。
そして一晩過ごしたのも。
行こうと思えば、俺だって夜中に車を走らせる事は出来たが……
「翠……眠いのか」
「う……ん」
小さな囁くような声が背後から聞こえて来たが、俺は聞かなかったことにした。
何だかまるで恋人同士の甘い睦言のような会話だったから。
その言葉通り、翠は次の瞬間には眠りに落ちていた。
この兄弟は?
昨夜寝ないで……何をしていたのか。
俺達もういい大人だ。
野暮なことは聞くまい。
それでも一種の憧れにも似た気持ちを持ち続けた翠を寝取られたような、妙な気持ちが駆け巡っていた。
俺って……まさか翠を好きだったのか。
俺には奥さんも子供もいるのに今更……この気持ちに気が付くなんて。
翠の頭が窓にゴツンとあたりそうになると、さり気なく手で防ぐ弟の姿、心は兄に対するものではないと思う。
何もかも納得がいく。
この弟は遠い昔から、兄を愛していたのか。
久しぶりに会った翠が、また大学で出逢った当初のように澄んだ目をしていた理由が分かったような気がした。
……俺が好きだった翠の顔、また見られてよかったと喜ぶべきかな。
いつまでも見ていたい穏かな光景だった。
「さぁ着いたぞ」
俺は役所の前で車を停めた。
「着いたのですか」
「ここで事足りるはずだ。頼まれた宇治の廃屋の持ち主を調べるのは、役所で土地台帳を調べればいい。資産税課という課が管理しているはずだから。翠をどうする? 起こすか」
「いや、もう少し寝かしてあげてください。兄さんは少し熱っぽいから……昨日やっぱりあんな場所で夜を明かしたのは、まずかったようで」
「おいおい、迎えは明朝でいいといったのは君だろう」
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