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11章
解けていく 3
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「丈?」
不思議そうに私のことを見上げる洋の眼は、少しも曇っていない。今日の青空と同じ位、澄んでいる。
まったく私としたことが、どうして今頃……あの悲惨な出来事を思い出してしまったのか。もう忘れて……前に進んでいるというのに。
「きっと有明の月を見たからだね」
「えっ」
「丈、何か昔の嫌なことを思い出してしまったのか」
満員電車で互いの足元が見えないほど詰め込まれた状態だ。
それを隠れ蓑に、洋がそっと私の手に触れてきた。
「大丈夫。俺はここにいる。もう何も起きない」
優しく静かに……そっと暗示のように、その言葉を繰り返してくれた。
自分の手で守れなかった助けられなかったということは、乗り越えたと思っても、こうやってたまに突然思い出して心を脅かすものだ。
「そうだな……ありがとう」
洋のほっそりと長い指先が、鞄を持つ甲を滑るように撫でていくのが心地良かった。
いつの間にか、私は洋に慰められていた。
****
学会の最寄駅の改札を潜り抜けた途端、昨日と同じように声を掛けられた。
「張矢先生~おはようございます! っとなんだ、また浅岡さんも一緒なんですか」
ちょっと不満げに言われ、焦ってしまう。
やれやれ……忘れていたが、高瀬くんも同じスケジュールだったな。
高瀬くんは洋と同じくらいの背丈で、少し生意気そうだが人懐っこい顔をしている男だ。以前密着取材を受けてから懐かれているのは認めるが、私と洋の絆は深く固い。
「あれ? なんか二人もと眠そうな顔していますね」
「えっ」
洋があからさまに動揺した表情を浮かべるので、高瀬くんと洋の間に、私がさり気なく割り入って歩いた。
「丈先生と浅岡さんって、もしかして同じホテルだったんですか~」
「ええっ?」
また洋が変な声をあげるので、やれやれと思った。
そんなに怯えても、しょうがないじゃないか。
あまり隠す方が返って怪しいものだ。
だから堂々と答える。
「そうだよ」
「やっぱり! あーずるいな、俺の泊っているホテルしょぼいんですよぉ~狭いし、汚いしさぁ~」
「そうか、それは苦労したな」
思わず本音で答えてしまった。
昨夜は翠兄さんの事でアクシデントはあったものの、洋と美味しい夕食を食べ、躰も繋げた。そして穏かな気持ちで、二人で夜明けを観ることも出来たので、とても充実していた。
「張矢先生ってやっぱり優しいですね。 あっそうだ! 今日こそは飲みに行きましょうね。浅岡さんも一緒ならいいでしょう。ねっ浅岡さんっ。僕、京都に知り合いがいて、そいつの店に行きましょう。創作料理の焼き鳥がすごく美味しいんですよっ」
「へぇ……創作料理か、そういうの好きだな。美味しそうだね」
「予約しないといけないけど、僕の顔でパスですよ」
「それはいいね、じゃあ張矢先生も行きますよね」
「あ……あぁ、そうだな」
洋が創作の焼き鳥というのに惹かれた(ひっかかった)のが分かった。
まったく食いしん坊め。
だが一度くらい夕食に付き合わないと断り切れないしつこさを感じたので、私も渋々了承する羽目になってしまった。
洋は悪戯気に笑っていた。
ん? 珍しい表情をするようになったものだ。
****
北鎌倉・土曜日の朝
朝になって流さんから電話があって、父さんが無事見つかったという連絡を受けた。
良かった……本当は俺だって心配していたよ。上手くいっていないといっても、血が繋がっている俺の父さんなんだからな。
じいさんの作った変な朝食を食べて、いつも通り登校した。
流さん、いつ帰って来るのかな。
父さんのことになると、人が変わったようになるのは何故だろう。
あーつまんねぇな。
十分程歩いた交差点で、同級生の拓人と鉢合わせした。
「薙、おはよう!」
「あぁ拓人か」
「どうした? 元気ないな」
「ん──」
「なんだよ。水臭いな、凹んでいる理由話せよ」
「いや……なぁお前好きな人っている?」
なんとなく聞いてみたくなった。
オレが男の流さん、しかも叔父を好きって感情は、女の子を好きになる感情とは別ものなのか。誰かをこんなに好きになったことがないので、なんかもうよく分からないんだよ。
「なっなんだよ、唐突だな」
ポーカーフェイスの拓人の顔が……みるみる真っ赤になったので驚いた。
しきりに鼻の頭を指で擦っている。
「お前、そんなに照れんなよ。そっか、いるんだな」
「いっいるっていうか、なんていうか、よく分かんねぇよ」
「好きな人なのに?」
「あぉそうだよ。悪いか、それよりお前はどうなんだ?」
問われて戸惑う。
好きなのは確かだが、よく分からないというのはオレも同じだから。
不思議そうに私のことを見上げる洋の眼は、少しも曇っていない。今日の青空と同じ位、澄んでいる。
まったく私としたことが、どうして今頃……あの悲惨な出来事を思い出してしまったのか。もう忘れて……前に進んでいるというのに。
「きっと有明の月を見たからだね」
「えっ」
「丈、何か昔の嫌なことを思い出してしまったのか」
満員電車で互いの足元が見えないほど詰め込まれた状態だ。
それを隠れ蓑に、洋がそっと私の手に触れてきた。
「大丈夫。俺はここにいる。もう何も起きない」
優しく静かに……そっと暗示のように、その言葉を繰り返してくれた。
自分の手で守れなかった助けられなかったということは、乗り越えたと思っても、こうやってたまに突然思い出して心を脅かすものだ。
「そうだな……ありがとう」
洋のほっそりと長い指先が、鞄を持つ甲を滑るように撫でていくのが心地良かった。
いつの間にか、私は洋に慰められていた。
****
学会の最寄駅の改札を潜り抜けた途端、昨日と同じように声を掛けられた。
「張矢先生~おはようございます! っとなんだ、また浅岡さんも一緒なんですか」
ちょっと不満げに言われ、焦ってしまう。
やれやれ……忘れていたが、高瀬くんも同じスケジュールだったな。
高瀬くんは洋と同じくらいの背丈で、少し生意気そうだが人懐っこい顔をしている男だ。以前密着取材を受けてから懐かれているのは認めるが、私と洋の絆は深く固い。
「あれ? なんか二人もと眠そうな顔していますね」
「えっ」
洋があからさまに動揺した表情を浮かべるので、高瀬くんと洋の間に、私がさり気なく割り入って歩いた。
「丈先生と浅岡さんって、もしかして同じホテルだったんですか~」
「ええっ?」
また洋が変な声をあげるので、やれやれと思った。
そんなに怯えても、しょうがないじゃないか。
あまり隠す方が返って怪しいものだ。
だから堂々と答える。
「そうだよ」
「やっぱり! あーずるいな、俺の泊っているホテルしょぼいんですよぉ~狭いし、汚いしさぁ~」
「そうか、それは苦労したな」
思わず本音で答えてしまった。
昨夜は翠兄さんの事でアクシデントはあったものの、洋と美味しい夕食を食べ、躰も繋げた。そして穏かな気持ちで、二人で夜明けを観ることも出来たので、とても充実していた。
「張矢先生ってやっぱり優しいですね。 あっそうだ! 今日こそは飲みに行きましょうね。浅岡さんも一緒ならいいでしょう。ねっ浅岡さんっ。僕、京都に知り合いがいて、そいつの店に行きましょう。創作料理の焼き鳥がすごく美味しいんですよっ」
「へぇ……創作料理か、そういうの好きだな。美味しそうだね」
「予約しないといけないけど、僕の顔でパスですよ」
「それはいいね、じゃあ張矢先生も行きますよね」
「あ……あぁ、そうだな」
洋が創作の焼き鳥というのに惹かれた(ひっかかった)のが分かった。
まったく食いしん坊め。
だが一度くらい夕食に付き合わないと断り切れないしつこさを感じたので、私も渋々了承する羽目になってしまった。
洋は悪戯気に笑っていた。
ん? 珍しい表情をするようになったものだ。
****
北鎌倉・土曜日の朝
朝になって流さんから電話があって、父さんが無事見つかったという連絡を受けた。
良かった……本当は俺だって心配していたよ。上手くいっていないといっても、血が繋がっている俺の父さんなんだからな。
じいさんの作った変な朝食を食べて、いつも通り登校した。
流さん、いつ帰って来るのかな。
父さんのことになると、人が変わったようになるのは何故だろう。
あーつまんねぇな。
十分程歩いた交差点で、同級生の拓人と鉢合わせした。
「薙、おはよう!」
「あぁ拓人か」
「どうした? 元気ないな」
「ん──」
「なんだよ。水臭いな、凹んでいる理由話せよ」
「いや……なぁお前好きな人っている?」
なんとなく聞いてみたくなった。
オレが男の流さん、しかも叔父を好きって感情は、女の子を好きになる感情とは別ものなのか。誰かをこんなに好きになったことがないので、なんかもうよく分からないんだよ。
「なっなんだよ、唐突だな」
ポーカーフェイスの拓人の顔が……みるみる真っ赤になったので驚いた。
しきりに鼻の頭を指で擦っている。
「お前、そんなに照れんなよ。そっか、いるんだな」
「いっいるっていうか、なんていうか、よく分かんねぇよ」
「好きな人なのに?」
「あぉそうだよ。悪いか、それよりお前はどうなんだ?」
問われて戸惑う。
好きなのは確かだが、よく分からないというのはオレも同じだから。
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