重なる月

志生帆 海

文字の大きさ
上 下
861 / 1,657
11章

有明の月 7

しおりを挟む
 そのままベッドの中で、俺達は静かに明けていく空を見つめていた。

 丈の腕に包まれ見上げる有明の月は、儚くも美しかった。

 きっとこの月を、翠さんも流さんの腕の中で見ている気がした。

「丈……俺ね、最近少し焦っていたみたいだ。前へ前へ進もうとそればかりに気を取られて」

「そうか……でも嬉しかったぞ。進む先が私の横だったから」

「うん、実は早く丈の横に並びたくて、そればかり考えていた」

「嬉しいよ。その気持ち」

 明るく明けて美しく色づく空の方ばかり見ていたが、振り返れば、まだ西の方の空には、月がひっそりと残っていることを忘れていた。

 過去の俺が、今の俺をそっと見守ってくれていたことを忘れていたような気がする。

「たまには立ち止まり、振り返ってみないとな」

「洋は、本当に優しいな」

 丈が俺の顎を掴んで、口づけをした。

 何かを確かめるようにじっくりと長い時間、唇を合わせていた。

「何?」

「よかった、熱は出なかったようだな、やっぱり一度でやめておいてよかった」

「丈は……もう。でも昨日は本当にごめん。もう妬かないから」

「いや、洋の焼きもちはなかなかよかった。いろんな表情を見せるようになって、洋が洋らしくなって来ているのが、嬉しい」

「本当の俺がどんな人間だか、俺もまだ分からない、随分長いこと自分を押し殺して生きていたから」

「洋の人生はまだ長い。どこまでも付き合うから安心してさらけ出せ。さぁそろそろ仕度をしよう。これ以上くっついていると、またシタくなるだろう」

「くくっ……丈は相変わらず元気だな。それに比べて俺はなんでこんなひ弱なのか。もっと体力を付けたいのに」

「洋、それも焦らずだ。少しくらい弱みを残しておいて欲しい……」


 離れ難い躰だった。

 恋人の躰というものは、何故こんなに触れていたくなるのだろう。


****

 宇治の廃屋での一夜。

 俺と翠は厳かな交わりをした。

 まるで過去の霊に見せつけるように、翠を大切に深く尊い気持ちで抱いた。

 翠の躰の中を俺から放たれたもので満たし、翠のものを俺の手で揉み解して搾り取る。

 今……俺は明けていく空の下、疲労困憊で意識を失ったように眠る翠を静かに見つめている。

 気温が下がっているので寒そうに眉根を寄せる翠に、俺のダウンをかけてやった。

 大事な人だ。

 同時に時を超えて巡りあえた人でもある。

 でもやはり……俺が自らの意志で、翠が翠自身の意志で歩み寄った人だと、しみじみと思う。

 明るくなってきたので俺達が過ごした部屋の様子が、よく分かるようになってきた。

 廃屋ではあるが、当時はきちんとした住居だったのだろう。

 古い書院造のようなしっかりとした建物だ。

 人が住まなくなって何十年も経っているようだが、随分手が込んだ立派な造りで、瀟洒(しょうしゃ)な垢抜けた内装だったのが分かる。

 俺達が躰を合わせたこの場所は、引き戸の建具や壁で幾つかに仕切られ、天井の張り、床の間、違い棚、付書院などのある立派な客間だった。

 そして床の間には、掛け軸がかかっていた。もう紙がボロボロで原型をとどめていないが、歌が書かれているようだ。

 近寄ってその文字を辿ってみようとするが、変体仮名のような崩した文字で、よく分からない。すると翠が目を覚ましたようで、それを口ずさんでくれた。

『 東《ひむがし》の野に炎《かぎろひ》の立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ 』

 万葉集巻一(四十八)柿本朝臣人麿

 (現代語訳・東の野の果てに曙光がさしそめて、振り返ると西の空には低く下弦の月が見えている)

「翠……これは何と?」

「この炎《かぎろひ》とは輝く光のことで、朝日によって真っ赤に染まった空のことだよ。つまり東の野原を見れば、空を真っ赤に染めて太陽が昇ろうとしている。そして振り返って西の空を見れば、まだ月が沈まずに残っている。という意味だよ」

「へぇ、まさに今俺達の眼前に広がる風景じゃないか、随分と叙情的だな」

「うん……でもね、これにはもっと深い意味があるんだよ」

 翠が意味深なことを言う。

「どんな?」

「沈もうとしている月を、皇位継承を約束されながら二十八歳で亡くなってしまった草壁皇子に、昇る朝日を若干七歳の遺児になる軽皇子に例えて……輪廻転生、魂の復活を感じさせる壮大のスケールの歌なんだ」

「輪廻転生か……」

「そう、まるで僕たちと曾祖父の恋のように」

 そう言いながら、何かを吹っ切れたようにたおやかに微笑む翠の笑顔は、今までで一番輝いていた。

「翠……」

「どうした?」

「もう離れるなよ」

「あぁもちろんだ。ここで誓う。もう流の傍から離れないと、どんなことがあってもずっと一緒だ」


 俺は感極まって、翠を抱きしめた。

 翠も涙を浮かべていたが、俺も泣いていた。

 ふたりの涙が溶け合えば、それは生まれたての太陽に透けてキラキラと輝いて見えた。

 新しい一日。

 これが本当のはじまりだ。


『有明の月』了












あとがき (不要な方はスルーで)


****

こんにちは。志生帆海です。
『有明の月』も今日でお終いです。今回は静かで情熱的な恋を描いてみました。もう少しだけ京都編にお付き合いください♪
 
こちらの『重なる月』も、まだまだ続きます。

細かい感情を丁寧に追っていく物語です。話の進みが遅いですが……

これからもよろしくお願いします。


しおりを挟む
感想 54

あなたにおすすめの小説

別れの夜に

大島Q太
BL
不義理な恋人を待つことに疲れた青年が、その恋人との別れを決意する。しかし、その別れは思わぬ方向へ。

【完結】義兄に十年片想いしているけれど、もう諦めます

夏ノ宮萄玄
BL
 オレには、親の再婚によってできた義兄がいる。彼に対しオレが長年抱き続けてきた想いとは。  ――どうしてオレは、この不毛な恋心を捨て去ることができないのだろう。  懊悩する義弟の桧理(かいり)に訪れた終わり。  義兄×義弟。美形で穏やかな社会人義兄と、つい先日まで高校生だった少しマイナス思考の義弟の話。短編小説です。

『これで最後だから』と、抱きしめた腕の中で泣いていた

和泉奏
BL
「…俺も、愛しています」と返した従者の表情は、泣きそうなのに綺麗で。 皇太子×従者

帰宅

pAp1Ko
BL
遊んでばかりいた養子の長男と実子の双子の次男たち。 双子を庇い、拐われた長男のその後のおはなし。 書きたいところだけ書いた。作者が読みたいだけです。

悩める文官のひとりごと

きりか
BL
幼い頃から憧れていた騎士団に入りたくても、小柄でひ弱なリュカ・アルマンは、学校を卒業と同時に、文官として騎士団に入団する。方向音痴なリュカは、マルーン副団長の部屋と間違え、イザーク団長の部屋に入り込む。 そこでは、惚れ薬を口にした団長がいて…。 エチシーンが書けなくて、朝チュンとなりました。 ムーンライト様にも掲載しております。 

番?呪いの別名でしょうか?私には不要ですわ

紅子
恋愛
私は充分に幸せだったの。私はあなたの幸せをずっと祈っていたのに、あなたは幸せではなかったというの?もしそうだとしても、あなたと私の縁は、あのとき終わっているのよ。あなたのエゴにいつまで私を縛り付けるつもりですか? 何の因果か私は10歳~のときを何度も何度も繰り返す。いつ終わるとも知れない死に戻りの中で、あなたへの想いは消えてなくなった。あなたとの出会いは最早恐怖でしかない。終わらない生に疲れ果てた私を救ってくれたのは、あの時、私を救ってくれたあの人だった。 12話完結済み。毎日00:00に更新予定です。 R15は、念のため。 自己満足の世界に付き、合わないと感じた方は読むのをお止めください。設定ゆるゆるの思い付き、ご都合主義で書いているため、深い内容ではありません。さらっと読みたい方向けです。矛盾点などあったらごめんなさい(>_<)

僕は君になりたかった

15
BL
僕はあの人が好きな君に、なりたかった。 一応完結済み。 根暗な子がもだもだしてるだけです。

「恋みたい」

悠里
BL
親友の二人が、相手の事が好きすぎるまま、父の転勤で離れて。 離れても親友のまま、連絡をとりあって、一年。 恋みたい、と気付くのは……? 桜の雰囲気とともにお楽しみ頂けたら🌸

処理中です...