重なる月

志生帆 海

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11章

有明の月 7

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 そのままベッドの中で、俺達は静かに明けていく空を見つめていた。

 丈の腕に包まれ見上げる有明の月は、儚くも美しかった。

 きっとこの月を、翠さんも流さんの腕の中で見ている気がした。

「丈……俺ね、最近少し焦っていたみたいだ。前へ前へ進もうとそればかりに気を取られて」

「そうか……でも嬉しかったぞ。進む先が私の横だったから」

「うん、実は早く丈の横に並びたくて、そればかり考えていた」

「嬉しいよ。その気持ち」

 明るく明けて美しく色づく空の方ばかり見ていたが、振り返れば、まだ西の方の空には、月がひっそりと残っていることを忘れていた。

 過去の俺が、今の俺をそっと見守ってくれていたことを忘れていたような気がする。

「たまには立ち止まり、振り返ってみないとな」

「洋は、本当に優しいな」

 丈が俺の顎を掴んで、口づけをした。

 何かを確かめるようにじっくりと長い時間、唇を合わせていた。

「何?」

「よかった、熱は出なかったようだな、やっぱり一度でやめておいてよかった」

「丈は……もう。でも昨日は本当にごめん。もう妬かないから」

「いや、洋の焼きもちはなかなかよかった。いろんな表情を見せるようになって、洋が洋らしくなって来ているのが、嬉しい」

「本当の俺がどんな人間だか、俺もまだ分からない、随分長いこと自分を押し殺して生きていたから」

「洋の人生はまだ長い。どこまでも付き合うから安心してさらけ出せ。さぁそろそろ仕度をしよう。これ以上くっついていると、またシタくなるだろう」

「くくっ……丈は相変わらず元気だな。それに比べて俺はなんでこんなひ弱なのか。もっと体力を付けたいのに」

「洋、それも焦らずだ。少しくらい弱みを残しておいて欲しい……」


 離れ難い躰だった。

 恋人の躰というものは、何故こんなに触れていたくなるのだろう。


****

 宇治の廃屋での一夜。

 俺と翠は厳かな交わりをした。

 まるで過去の霊に見せつけるように、翠を大切に深く尊い気持ちで抱いた。

 翠の躰の中を俺から放たれたもので満たし、翠のものを俺の手で揉み解して搾り取る。

 今……俺は明けていく空の下、疲労困憊で意識を失ったように眠る翠を静かに見つめている。

 気温が下がっているので寒そうに眉根を寄せる翠に、俺のダウンをかけてやった。

 大事な人だ。

 同時に時を超えて巡りあえた人でもある。

 でもやはり……俺が自らの意志で、翠が翠自身の意志で歩み寄った人だと、しみじみと思う。

 明るくなってきたので俺達が過ごした部屋の様子が、よく分かるようになってきた。

 廃屋ではあるが、当時はきちんとした住居だったのだろう。

 古い書院造のようなしっかりとした建物だ。

 人が住まなくなって何十年も経っているようだが、随分手が込んだ立派な造りで、瀟洒(しょうしゃ)な垢抜けた内装だったのが分かる。

 俺達が躰を合わせたこの場所は、引き戸の建具や壁で幾つかに仕切られ、天井の張り、床の間、違い棚、付書院などのある立派な客間だった。

 そして床の間には、掛け軸がかかっていた。もう紙がボロボロで原型をとどめていないが、歌が書かれているようだ。

 近寄ってその文字を辿ってみようとするが、変体仮名のような崩した文字で、よく分からない。すると翠が目を覚ましたようで、それを口ずさんでくれた。

『 東《ひむがし》の野に炎《かぎろひ》の立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ 』

 万葉集巻一(四十八)柿本朝臣人麿

 (現代語訳・東の野の果てに曙光がさしそめて、振り返ると西の空には低く下弦の月が見えている)

「翠……これは何と?」

「この炎《かぎろひ》とは輝く光のことで、朝日によって真っ赤に染まった空のことだよ。つまり東の野原を見れば、空を真っ赤に染めて太陽が昇ろうとしている。そして振り返って西の空を見れば、まだ月が沈まずに残っている。という意味だよ」

「へぇ、まさに今俺達の眼前に広がる風景じゃないか、随分と叙情的だな」

「うん……でもね、これにはもっと深い意味があるんだよ」

 翠が意味深なことを言う。

「どんな?」

「沈もうとしている月を、皇位継承を約束されながら二十八歳で亡くなってしまった草壁皇子に、昇る朝日を若干七歳の遺児になる軽皇子に例えて……輪廻転生、魂の復活を感じさせる壮大のスケールの歌なんだ」

「輪廻転生か……」

「そう、まるで僕たちと曾祖父の恋のように」

 そう言いながら、何かを吹っ切れたようにたおやかに微笑む翠の笑顔は、今までで一番輝いていた。

「翠……」

「どうした?」

「もう離れるなよ」

「あぁもちろんだ。ここで誓う。もう流の傍から離れないと、どんなことがあってもずっと一緒だ」


 俺は感極まって、翠を抱きしめた。

 翠も涙を浮かべていたが、俺も泣いていた。

 ふたりの涙が溶け合えば、それは生まれたての太陽に透けてキラキラと輝いて見えた。

 新しい一日。

 これが本当のはじまりだ。


『有明の月』了












あとがき (不要な方はスルーで)


****

こんにちは。志生帆海です。
『有明の月』も今日でお終いです。今回は静かで情熱的な恋を描いてみました。もう少しだけ京都編にお付き合いください♪
 
こちらの『重なる月』も、まだまだ続きます。

細かい感情を丁寧に追っていく物語です。話の進みが遅いですが……

これからもよろしくお願いします。


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