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11章
いにしえの声 22
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今僕はどこにいるのか。
高台にやって来たことだけは分かる。
ここへ来る途中眼下に、宇治川が見えたから。
しかし、どうやって辿りついたのか分からない。
確かにあの平安装束の貴公子に誘われたのに……
未だ夢のような出来事だった。
あの青年に導かれ、僕は夕凪の住居を探しあて、流水さんの墓を探しあてた。
今までのことを整理して、幾分心が落ち着いた。でもこう真っ暗では下山しようがないので、やはり朝までこの廃屋で過ごすしかないのか。
「仕方がない…」
諦めてコートの襟を立て、手探りで月明りを頼りに廃屋に戻った。
窓硝子も割れ吹きさらしの建物だが、少しでも冷たい夜風を凌ぎたい。
目も暗闇に慣れ、部屋の様子が見えて来た。
荒廃しているが、いい造りの家だったはずだ。
おそらく人が住まなくなってもう何十年も過ぎたのだろう。
朽ちていくだけの存在となり、もう思い出の名残も消えそうなギリギリのところだった。
間に合って良かった。
窓の外に目をやれば、さっきの墓が見えた。
そうだった。あの墓に触れて僕は意識を失った。
墓に刻まれた名前がすべてを物語っていた。
そうか……この家で曾祖父が探していた弟の流水さんは身罷ったのか。
そして時を経て、夕凪、君もここで天寿を全うしたのか。
この家は君が愛を受けた家。
曾祖父が探した魂はここで長い年月、静かに眠っていた。
きっと夕凪が見守ってくれていたのだろう。
夕凪があの世へ旅立つまでの長い間。
「ありがとう。もう連れて帰ってあげたい。北鎌倉のあの墓に……あなたたちを」
声に出してはっとした。
そうか……これが僕の使命……この旅の答えなのか。
「僕を待っていたのですか」
暗闇に向かってあてもなく問えば、この世でないところから静かな声がする。
(ずっと待っていた。俺が捨てて来てしまった想いがいつか成就することをずっと願っていた。俺は後悔した。湖翠に嘘をついてこの世から去っていくことを)
「……湖翠さんは、あなたの最期を知らないのですか」
(悲しませたくなかった。夕凪にもきつく口止めした)
「心苦しかったことでしょう」
(悪いことをした)
「もし僕がその立場なら、それは耐えられない」
(君は……湖翠に似ているな。面影が強い。血が繋がっているのだな。湖翠は約束通り、命を繋いでくれたのだな。では俺達の恋は後世で成就したのか)
そこまで応対して何かが違うと思った。
確かに過去のふたりの実らなかった恋への思念に、僕たちは振り回されてきた。
でもそれだけではない。
影響は受けたが、一線を越えたのは僕たちの意志。
僕と流のふたりで覚悟を決めて結ばれた。
「ええ、確かに曾祖父の血を僕は受け継いでいます。でもあなた達の想いだけではありません。僕が流を好きになったから、過去の想いのせいだけじゃない」
(そうか、その強さがあれば大丈夫だ。俺にはなかったものだ。ありがとう。これで悔いはない。あとは湖翠のもとへ連れて行ってもらえれば……もう消えることが出来る。やっと逝ける。やっと……)
それきり声はしなくなった。
「いにしえの声だ……」
「いにしえ」とは過ぎ去った過去のこと。
もう亡くなった人のこと。
僕は確かに今……『いにしえの声』と対話していたのだ。
何もかも不思議な夜。
廃屋の寒さがまた押し寄せてくる。
「寒い……」
もう真夜中だ。気温はどんどん下がっていく。
震える躰を自分で抱きしめて意識が飛ばないように必死だ。
このままじゃ駄目だ。
身体を暖めないと、守らないと。
僕の身体は、僕だけのものじゃない。
月影寺の住職。
薙の父親。
丈や洋くんの兄。
そして流のものだから。
「流……」
口に出すだけで温かい。
愛する者の名を呼ぶという行為が、こんなに心も身体も温めるものだとは知らなかったよ。
愛しい気持ちで満ちて来る。
「流……」
何度か口に出して暖を取っていると、ふと流がとても近くにいるような気がした。
流の温かい想いに触れた気がして、顔を上げると同時に、茂みが音を立てて揺れた。
一瞬びくついたが、怖くない。
この空気を僕は知っている。
まさか、でも本当に?
どうしてここを……
信じられない想いで、目を凝らす。
「翠っ!翠だろう。そこにいるのは」
あぁ本当に流の声だ。
僕がずっと待ち望んだ声が、庭先から聞こえた。
(よかったな。迎えが来たようだ。これで安心して旅立てる)
さっきまで話していた声が別れを告げるのと同時に、僕の身体は流に抱きしめられていた。
「翠っ」
いにしえの声は去り、愛しい声が僕を包みこむ。
『いにしえの声』了
****
なんと22話にも及んでしましまいました。
長い間お付き合いありがとうございます。
『夕凪の空 京の香り』の4章とリンクしております。
無事翠さんが過去と邂逅できてほっとしています。
次回は少し甘めの話を綴りたいと思っています♡
いつもありがとうございます。
志生帆 海
高台にやって来たことだけは分かる。
ここへ来る途中眼下に、宇治川が見えたから。
しかし、どうやって辿りついたのか分からない。
確かにあの平安装束の貴公子に誘われたのに……
未だ夢のような出来事だった。
あの青年に導かれ、僕は夕凪の住居を探しあて、流水さんの墓を探しあてた。
今までのことを整理して、幾分心が落ち着いた。でもこう真っ暗では下山しようがないので、やはり朝までこの廃屋で過ごすしかないのか。
「仕方がない…」
諦めてコートの襟を立て、手探りで月明りを頼りに廃屋に戻った。
窓硝子も割れ吹きさらしの建物だが、少しでも冷たい夜風を凌ぎたい。
目も暗闇に慣れ、部屋の様子が見えて来た。
荒廃しているが、いい造りの家だったはずだ。
おそらく人が住まなくなってもう何十年も過ぎたのだろう。
朽ちていくだけの存在となり、もう思い出の名残も消えそうなギリギリのところだった。
間に合って良かった。
窓の外に目をやれば、さっきの墓が見えた。
そうだった。あの墓に触れて僕は意識を失った。
墓に刻まれた名前がすべてを物語っていた。
そうか……この家で曾祖父が探していた弟の流水さんは身罷ったのか。
そして時を経て、夕凪、君もここで天寿を全うしたのか。
この家は君が愛を受けた家。
曾祖父が探した魂はここで長い年月、静かに眠っていた。
きっと夕凪が見守ってくれていたのだろう。
夕凪があの世へ旅立つまでの長い間。
「ありがとう。もう連れて帰ってあげたい。北鎌倉のあの墓に……あなたたちを」
声に出してはっとした。
そうか……これが僕の使命……この旅の答えなのか。
「僕を待っていたのですか」
暗闇に向かってあてもなく問えば、この世でないところから静かな声がする。
(ずっと待っていた。俺が捨てて来てしまった想いがいつか成就することをずっと願っていた。俺は後悔した。湖翠に嘘をついてこの世から去っていくことを)
「……湖翠さんは、あなたの最期を知らないのですか」
(悲しませたくなかった。夕凪にもきつく口止めした)
「心苦しかったことでしょう」
(悪いことをした)
「もし僕がその立場なら、それは耐えられない」
(君は……湖翠に似ているな。面影が強い。血が繋がっているのだな。湖翠は約束通り、命を繋いでくれたのだな。では俺達の恋は後世で成就したのか)
そこまで応対して何かが違うと思った。
確かに過去のふたりの実らなかった恋への思念に、僕たちは振り回されてきた。
でもそれだけではない。
影響は受けたが、一線を越えたのは僕たちの意志。
僕と流のふたりで覚悟を決めて結ばれた。
「ええ、確かに曾祖父の血を僕は受け継いでいます。でもあなた達の想いだけではありません。僕が流を好きになったから、過去の想いのせいだけじゃない」
(そうか、その強さがあれば大丈夫だ。俺にはなかったものだ。ありがとう。これで悔いはない。あとは湖翠のもとへ連れて行ってもらえれば……もう消えることが出来る。やっと逝ける。やっと……)
それきり声はしなくなった。
「いにしえの声だ……」
「いにしえ」とは過ぎ去った過去のこと。
もう亡くなった人のこと。
僕は確かに今……『いにしえの声』と対話していたのだ。
何もかも不思議な夜。
廃屋の寒さがまた押し寄せてくる。
「寒い……」
もう真夜中だ。気温はどんどん下がっていく。
震える躰を自分で抱きしめて意識が飛ばないように必死だ。
このままじゃ駄目だ。
身体を暖めないと、守らないと。
僕の身体は、僕だけのものじゃない。
月影寺の住職。
薙の父親。
丈や洋くんの兄。
そして流のものだから。
「流……」
口に出すだけで温かい。
愛する者の名を呼ぶという行為が、こんなに心も身体も温めるものだとは知らなかったよ。
愛しい気持ちで満ちて来る。
「流……」
何度か口に出して暖を取っていると、ふと流がとても近くにいるような気がした。
流の温かい想いに触れた気がして、顔を上げると同時に、茂みが音を立てて揺れた。
一瞬びくついたが、怖くない。
この空気を僕は知っている。
まさか、でも本当に?
どうしてここを……
信じられない想いで、目を凝らす。
「翠っ!翠だろう。そこにいるのは」
あぁ本当に流の声だ。
僕がずっと待ち望んだ声が、庭先から聞こえた。
(よかったな。迎えが来たようだ。これで安心して旅立てる)
さっきまで話していた声が別れを告げるのと同時に、僕の身体は流に抱きしめられていた。
「翠っ」
いにしえの声は去り、愛しい声が僕を包みこむ。
『いにしえの声』了
****
なんと22話にも及んでしましまいました。
長い間お付き合いありがとうございます。
『夕凪の空 京の香り』の4章とリンクしております。
無事翠さんが過去と邂逅できてほっとしています。
次回は少し甘めの話を綴りたいと思っています♡
いつもありがとうございます。
志生帆 海
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