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11章
いにしえの声 13
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全く、とんだ邪魔が入ったな。
学会のプレゼンテーションを聴きながら、頭の中は油断すると洋のことだけを想っていた。
高瀬くんは週刊誌の若手心臓外科医を密着取材で、私の担当をした人だったが、私は誰が担当でも、どうでもよかった。
仕事を早く終えて、ただ洋の元へまっすぐに帰りたい。
それ以上に何を望む?
それ以外に欲しいものなんて、何もないのに。
しかしさっきは大人げなかったか。
先ほどのランチ時に自分が取った態度を、反省していた。
最初はちょっとした悪戯心だった。洋が高瀬くんの存在に妬いていると分かったから……
滅多にない洋の嫉妬は、私にとって甘い蜜だった。
だが一度知ってしまうと、もっともっと欲しくなってしまい、洋を虐めてしまったのかもしれない。
まったく午後の会場が別だなんて、ついてないな。
このパターンだと洋は相当に凹んで、私を置いて帰ってしまいそうだ。
洋のことなら分かる。
手に取るように分かるから。
何年一緒にいたと?
一番近い所で洋のすべてを見て来たのは、この私だ。
その自負はある。
「これにて本日は終了となります。ご清聴を感謝したします」
終わりの挨拶と共に、私は会場を飛び出した。
「高瀬くん、今日は急ぐから失礼するよ」
「えっ張矢先生~待ってくださいよぉ。飲みに行きましょうよ」
「いや遠慮しておくよ。じゃあな」
「あっじゃあ明日の予定は?」
高瀬くんの声に振り返ることなく進んだ。急いで階段を駆け上り、洋のいる会議室へと向かった。
ところが一足早く終わってしまったようで、姿が見えなかった。
「やはりな」
放っておけない。
こういう行動をする時の洋の気持ちが痛いほど分かる。
始まる前にホテルの庭でつんけんした態度を取られて、私も意地になってしまったのが悪い。
せっかく私を追いかけて医療系ライターを目指してくれたのに、酷いことをした。
とりあえず足早に駅へ向かう。まだ追いつくはずだ。
駅へ向かう人波に押されながらも、必死に洋の後ろ姿を探した。
もう辺りは暗い。
それでも私は洋を探す。絶対に見失わない。
不思議とそんな矛盾のある自信を持っていた。
「洋、どこだ?」
やがて人波から外れた街路樹の下で、落ち葉の上にぽつんと立つ青年の姿を捉えることが出来た。
どこにいても美しい洋。
通り過ぎる人達が、君のその整った顔をちらちらと盗み見していることに、気が付いていないのか。
思わず見惚れてしまう程の切なさを纏っている。
洋に染みついた切なく儚げな雰囲気は持って生まれたもので、どんなに幸福になっても、私がすべてを消すことが出来ないのが不甲斐ない。
「今日は悪かった」
洋に近づき背後からそう伝えると、洋ははっと振り返った。
黒い瞳が滲んで……泣きそうな顔をしていた。
「丈、何で?」
「馬鹿だな。洋のことならなんでも分かるのに」
「あ……高瀬さんはよかったのか」
そんな心配をする洋のことが、本当にいじらしく可愛い。
「あぁ仕事で数回絡んだだけだ。もうこの先はプライベートな時間だから関係ない」
「ふっ……まったく」
洋はいくらか気が抜けた顔で、微笑んだ。
「洋。何か困ったことが起きたんじゃないか」
「え、なんで分かる?」
「お見通しだよ。洋の表情の一つ一つに意味があるから」
「じゃあさっき何であんな……いや、最初に仕事中だと言ったのは俺の方だ」
「悪かったよ。洋が可愛くて虐めたくなった。つい……」
洋は苦笑していた。
でも許してくれている。
そんな甘い笑みだ。
「丈、そんな子供じみたことを。実はノートパソコンが壊れてしまったようで……困っていた」
「壊れた?」
「うん、電源が付かなくて……必死に手書きでメモを取ったよ」
「どれ見せてみろ。あぁここじゃ暗いな。駅前のカフェに行こう」
「助かるよ」
****
明るい店内。
洋はカフェラテに蜂蜜を入れて、美味しそうに飲んでいた。
子猫がミルクを飲むような、甘い笑顔を浮かべていて無防備だ。
赤い小さめな舌が誘うようだ。
そんな顔で煽るな。
すぐに欲しくなる。
「どう?壊れてしまったのか。やっぱり朝……落としたからかな?はぁ参ったな。データが入っているのに」
心配そうに覗き込む洋に、苦笑した。
「洋、あのなぁ……これはただの充電切れだ。昨日ちゃんと充電して寝たのか」
「あっ!」
しまったという表情。
やれやれ、これだから洋を近くに置いておかないと心配なんだ。
この美しい顔で、こんなに抜けているとは……本当に嘆かわしい。
「充電器は?」
「あれ? おかしいな。入れたはずなのに」
ガサゴソと鞄を覗いているが、案の定ないようだ。
「やれやれ……宿に忘れたな。翠兄さんも案外ぼんやりしていて、あてにはならないからな」
「ううっごめん。俺昨日仕事したまま寝てしまって、朝寝坊してバタバタでさ」
頬を染め恥ずかしがる洋の様子に、私はほくそ笑む。
洋は私がいないと駄目な方がいい。
秘かにそう思ってしまう。
洋はもっとしっかりしたいと頑張っているが、私ももちろん応援しているが……いつまでもこういう面を残していて欲しい。
私が助けてあげるスペースを空けておいてくれ。
学会のプレゼンテーションを聴きながら、頭の中は油断すると洋のことだけを想っていた。
高瀬くんは週刊誌の若手心臓外科医を密着取材で、私の担当をした人だったが、私は誰が担当でも、どうでもよかった。
仕事を早く終えて、ただ洋の元へまっすぐに帰りたい。
それ以上に何を望む?
それ以外に欲しいものなんて、何もないのに。
しかしさっきは大人げなかったか。
先ほどのランチ時に自分が取った態度を、反省していた。
最初はちょっとした悪戯心だった。洋が高瀬くんの存在に妬いていると分かったから……
滅多にない洋の嫉妬は、私にとって甘い蜜だった。
だが一度知ってしまうと、もっともっと欲しくなってしまい、洋を虐めてしまったのかもしれない。
まったく午後の会場が別だなんて、ついてないな。
このパターンだと洋は相当に凹んで、私を置いて帰ってしまいそうだ。
洋のことなら分かる。
手に取るように分かるから。
何年一緒にいたと?
一番近い所で洋のすべてを見て来たのは、この私だ。
その自負はある。
「これにて本日は終了となります。ご清聴を感謝したします」
終わりの挨拶と共に、私は会場を飛び出した。
「高瀬くん、今日は急ぐから失礼するよ」
「えっ張矢先生~待ってくださいよぉ。飲みに行きましょうよ」
「いや遠慮しておくよ。じゃあな」
「あっじゃあ明日の予定は?」
高瀬くんの声に振り返ることなく進んだ。急いで階段を駆け上り、洋のいる会議室へと向かった。
ところが一足早く終わってしまったようで、姿が見えなかった。
「やはりな」
放っておけない。
こういう行動をする時の洋の気持ちが痛いほど分かる。
始まる前にホテルの庭でつんけんした態度を取られて、私も意地になってしまったのが悪い。
せっかく私を追いかけて医療系ライターを目指してくれたのに、酷いことをした。
とりあえず足早に駅へ向かう。まだ追いつくはずだ。
駅へ向かう人波に押されながらも、必死に洋の後ろ姿を探した。
もう辺りは暗い。
それでも私は洋を探す。絶対に見失わない。
不思議とそんな矛盾のある自信を持っていた。
「洋、どこだ?」
やがて人波から外れた街路樹の下で、落ち葉の上にぽつんと立つ青年の姿を捉えることが出来た。
どこにいても美しい洋。
通り過ぎる人達が、君のその整った顔をちらちらと盗み見していることに、気が付いていないのか。
思わず見惚れてしまう程の切なさを纏っている。
洋に染みついた切なく儚げな雰囲気は持って生まれたもので、どんなに幸福になっても、私がすべてを消すことが出来ないのが不甲斐ない。
「今日は悪かった」
洋に近づき背後からそう伝えると、洋ははっと振り返った。
黒い瞳が滲んで……泣きそうな顔をしていた。
「丈、何で?」
「馬鹿だな。洋のことならなんでも分かるのに」
「あ……高瀬さんはよかったのか」
そんな心配をする洋のことが、本当にいじらしく可愛い。
「あぁ仕事で数回絡んだだけだ。もうこの先はプライベートな時間だから関係ない」
「ふっ……まったく」
洋はいくらか気が抜けた顔で、微笑んだ。
「洋。何か困ったことが起きたんじゃないか」
「え、なんで分かる?」
「お見通しだよ。洋の表情の一つ一つに意味があるから」
「じゃあさっき何であんな……いや、最初に仕事中だと言ったのは俺の方だ」
「悪かったよ。洋が可愛くて虐めたくなった。つい……」
洋は苦笑していた。
でも許してくれている。
そんな甘い笑みだ。
「丈、そんな子供じみたことを。実はノートパソコンが壊れてしまったようで……困っていた」
「壊れた?」
「うん、電源が付かなくて……必死に手書きでメモを取ったよ」
「どれ見せてみろ。あぁここじゃ暗いな。駅前のカフェに行こう」
「助かるよ」
****
明るい店内。
洋はカフェラテに蜂蜜を入れて、美味しそうに飲んでいた。
子猫がミルクを飲むような、甘い笑顔を浮かべていて無防備だ。
赤い小さめな舌が誘うようだ。
そんな顔で煽るな。
すぐに欲しくなる。
「どう?壊れてしまったのか。やっぱり朝……落としたからかな?はぁ参ったな。データが入っているのに」
心配そうに覗き込む洋に、苦笑した。
「洋、あのなぁ……これはただの充電切れだ。昨日ちゃんと充電して寝たのか」
「あっ!」
しまったという表情。
やれやれ、これだから洋を近くに置いておかないと心配なんだ。
この美しい顔で、こんなに抜けているとは……本当に嘆かわしい。
「充電器は?」
「あれ? おかしいな。入れたはずなのに」
ガサゴソと鞄を覗いているが、案の定ないようだ。
「やれやれ……宿に忘れたな。翠兄さんも案外ぼんやりしていて、あてにはならないからな」
「ううっごめん。俺昨日仕事したまま寝てしまって、朝寝坊してバタバタでさ」
頬を染め恥ずかしがる洋の様子に、私はほくそ笑む。
洋は私がいないと駄目な方がいい。
秘かにそう思ってしまう。
洋はもっとしっかりしたいと頑張っているが、私ももちろん応援しているが……いつまでもこういう面を残していて欲しい。
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