重なる月

志生帆 海

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11章

いにしえの声 12

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「さてと、お腹空きましたね。何、食べます?」

 高瀬くんが俺にメニューを渡してくれた。

 学会中なので、ランチメニューは、サラダとパスタとドリンクのセットだけだそうだ。

 俺が好きなのはミートソース。

 もともとハンバーグとかオムライス、パスタならナポリタンかミートソースが好きなんだ。お子様みたいだと流さんにはいつも笑われるが、丈と二人で外食するときは、言い出さなくてもそれを頼んでくれる。

 まぁ今日はそういうわけにはいかないが。

「あっじゃあ、ミートソースにしようかな」

 ところが俺の発言に、丈がさり気なく首を横に振った。

 なんでだよ?と俺も目で訴える。

「私はアスパラとベーコンのホワイトクリームソースのパスタにしよう。浅岡さんもこれにしましょう」

 何故か丈が勝手に俺のメニューを決めて来る。もしかして俺がソースを飛ばすと思って、白いソースを指定してきているんじゃないかと思うと、無性に腹が立った。

 子供じゃあるまいし。そりゃ……たまにソースを飛ばして、丈に溜息をつかれるが、気を付けて食べれば大丈夫だろう。

 子供扱いすんなよ。と反目した。

「へぇホワイトソースいいですよね。僕もそれ美味しそうだと思っていました。張矢先生と気が合うな」

 高瀬さんはそんなことを言って、いそいそと丈と同じものを注文したので、俺は意志を曲げずミートソースを注文してやった。

 しかし……やっぱり食べにくい。

 よりによってソースがゆるく、油断したら白いワイシャツに点々と飛び散って汚しそうだ。

「へぇ浅岡さんって少食なんですね。早く食べないと午後の部が始まってしまいますよ」

 見れば二人の皿は空っぽで、俺だけまだ半分残っている。ちらっと丈のことを見ると、ほら見ろという表情で見られたので、ムッとした。

 おかしいな。
 こんなはずじゃなかったのに。

 せっかく仕事で丈と肩を並べられると喜んでいたのに、こんなつまらないことでムッとするなんて勿体ない。

 それは分かっているのに。

 俺がパスタと格闘している間、向かい側の二人は楽しそうに会話している。

 高瀬さんはこの業界に長いらしく、丈との専門的な会話内容に驚いた。

 すごいな。俺の知らない用語を沢山知っている。しかも話す内容もウィットに富んでいて飽きさせない。

 普段は寡黙な丈も、釣られて雄弁になっている。

 俺だけがぽつんと取り残されてしまったような、寂しい気持ちを抱くしかなかった。

 自信というものは、案外脆く、他人によって崩されてしまうものだな。

「じゃあ、そろそろ行きましょう。張矢先生は次はどの講演を?」
「あぁ次はCホールのシンポジウムに出てみるつもりだ。浅岡さんは」

 丈がせっかく俺に気をつかってくれたが、残念ながら次は全く違う会場での取材だった。

「……俺は宿題報告の取材です。ホールではなく小さな会議室みたいで」
「そうか」

 丈は幾らか落胆した様子だったが、高瀬さんは喜んだ。

「張矢先生。僕も同じ場所ですよ。やった!一緒に行きましょう」

 俺のワイシャツは真っ白なままで汚れていなかった。

 でも俺の心には点々と染みがついたような、落ち込んだ気分だった。

 俺はあんなに医学用語を知らない。あんなに流暢に喋ることも出来ない。

 自分がいかに不器用な人間なのか見せつけられたようで、胸が苦しい。


****

 午後の取材は散々だった。

 個人的な事情を持ち込むなんて最低だ。

 注意力散漫で頭に司会の声が頭に入ってこない。

 それでもとにかく聴いたことを、どんどんキーボードを叩いて打ち込んでいかないと。

 ところが、悪いことは重なるものだ。

 さっきまで稼働していたノートPCがうんともすんとも動かない。

「え……まさか」

 電源が何度押してもつかない。

 まさか朝……転んでホームの硬い床に落としたのが今頃になって影響が。

 真っ青になった。

 ノートPCがないと仕事にならないのに。

 それに、さっき打ち込んだデータはどうなった?

 次から次に心配ごとが過っていく。

 もう辺りは静まって、みな耳を澄まして聴講しているというのに、俺だけが一人焦っていた。

 と、とにかく音声の録音だけはしっかりと……あとは手書きでメモしていこう。

 頭を切り替えて必死に対応した。

 でもこの後のことを考えると不安が尽きない。

 何よりまたこんな馬鹿なことを仕出かして、恥ずかしいと思った。

 二時間半にも及ぶ講演が終わる頃には手も疲れ、がっくりと肩を落としていた。

 恥ずかしいよ、こんな失敗……社会人としてあるまじきことだ。

 高瀬さんの仕事っぷりとますます溝が深まったようで、悔しかった。
 
 俺は丈や高瀬さんに顔を合わせたくなくて、一人外に出た。

 時刻は16時半過ぎ。

 今日の学会の仕事はこれで終わりだ。

 気が付くと……ひとり晩秋の京都の街を歩いていた。

「寒いな……」

 仰ぎ見ると街路樹は色付いていた美しい葉をほとんど落とし、随分と間抜けな姿だ。

 靴に絡まって来る落ち葉を蹴りながら、深いため息をついた。

 人に踏まれて粉々になっていく落ち葉は、まるで俺のよう。

 なんでも出来るような気になって、全然駄目だ。

 いつになったら丈に追いつける。

 こんなんじゃ……丈に会わす顔がない。



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