重なる月

志生帆 海

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11章

いにしえの声 11

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 本日開催される『日本心臓外科学会学術総会』はかなり規模の大きなものだった。

 製薬会社でかつて働いていた時、部署で担当の人が出張していたので、こういう学会があることは知っていたが、参加するのは初めてだ。

 ホテル内の宴会場ごとに講演テーマが決まっており、パネルディスカッションや講演、ビデオワークなど様々だ。俺が広告代理店から依頼されたライターの仕事内容は、三日間に渡り事細かく指定されていた。どれも講演を聴いてレポートを仕上げるものだったが、数が多いのでなかなか大変そうだ。

 まず最初の仕事はホールAの海外招請講演の取材だ。

 宴会場の中に入ると正面奥が舞台になっており、大きなスクリーンが設置され、司会者たちが慌ただしく準備している。

 取材関係者にも、ちゃんとテーブルと椅子が用意されていた。俺は後ろの方の席に座り、記録のための準備を始めた。

 失敗するわけにはいかない。初めての仕事に対するプレッシャーで、変に力が入りすぎているのは自分でも分かってた。

 さっきは心配して俺のこと追いかけてくれた丈に対して、大人げない態度を取ってしまったとも思う。

 丈……ごめんな。

 ふと辺りを見渡すと、さっき別れたばかりの丈の後姿が見えた。周囲の人より一際姿勢よく座っているのですぐに分かる。

 伸びた背筋、後姿には気品があると思った。

 俺の丈だ。あれは……

 その姿にほっとした。丈の姿を捉えることが出来て、気持ちがぐっと落ち着いた。

 君と同じ空間で働ける……そのことが本当に嬉しいよ。

 そして司会者が登場し、座長の紹介が始まった。スライドと発表ともに100%英語と説明があって、多少のどよめきが起きたが、これについて俺はまったく問題ない。

 医療系の通訳も数多くこなし、十分慣れているから。

 国際的な学会では自由に意思疎通できる英語力はさることながら、それ以上に高度な議論ができるだけの十分な知識が必要だ。

 おおまかな要点などその場でノートPCのキーボードを叩きどんどん打ち込んでいく。音声の録音もした。

 とても集中した二時間だった。無我夢中で取り組んだ。時間はあっという間に過、昼過ぎに予定通り閉会したので席を立とうと思ったら、丈が微笑みながら近づいてきた。

「浅岡さん、どうでしたか」

 余所行きの声、余所行きの笑顔。

 それはそうだろう。ここは公の場だ。

「ええ、なんとか」
「よかったらランチでもいかがですか」

 紳士的な誘いにドキッとする。
 断るはずないじゃないか。

「ええ、行きましょう」

 荷物を片付けて、さっきの高瀬さんに見つからないように外に出ようと思ったら……

「ああああ! ずるいなぁ、二人で行くなら混ぜてくださいよ」

 しっかりと見つかってしまった。

 丈は苦々しい表情だ。俺も同じく。

 どうやら学会の間、彼には悩まされそうだと思い、俺も苦笑した。


****

 結局ホテルのラウンジで、成り行きで三人でランチすることになった。

「浅岡さんはこっちにどうぞ」
「……」

 さっさと彼は丈の隣に座ってしまたので、俺も無言で向かいに一人で着席した。向かいの席が悪いわけじゃない。でも高瀬さんと丈の方はソファ席で、なんだか親密な空気になっている。

 これまで当たり前のようにいつも丈の横にいたのだから、なんだか複雑な気持ちだ。

「それにしても張矢先生は先約があったんじゃないですか」
「あぁ……まぁな」

「俺の誘いを断るために口実だったんですか。密着取材の時も先生って他人に興味ない感じでそっけなかったですよね。なのに今日は浅岡さんとランチなんて、ふたりはどういう知り合いなんですか。あの時張矢先生にライターの知り合いが他にもいるなんて聞いていなかったのになぁ~あーなんかおかしいな」

 丈は観念したように事実を話した。

「あぁ、浅岡くんはうちの病院の看護師の口利きで、今日の仕事を請け負うライターになったから面倒みてくれと、医局から頼まれていてね」

「へぇじゃあ張矢先生の病院に浅岡さんも出入りを? それ、ずるいなー。その仕事は僕も狙っていたのに~」

 高瀬さんの質問攻めには、正直辟易してしまう。ぼろを出さないように……それでも丈の近くにいたい。この先一体どう答えたらいいのだろう。


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