重なる月

志生帆 海

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11章

いにしえの声 9

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 丈はまっすぐ俺の前で立ち止まった。

 その瞬間、俺の隣に立っていた高瀬という男が驚いた声を発した。

「えぇ! 張矢先生じゃないですか! 先生もこの学会に?」
「あっ君は確か……」
「前に先生の取材をさせていただいた高瀬です。覚えていますか」
「あぁ週刊誌の特集だったかな」
「嬉しいです。まさか京都で会えるなんて思わなかったです。よかったら一緒に行きませんか」
「え? あぁでも私は先約があって」

 呆気に取られて二人やり取りを見つめていた俺と、バッチリ目が合った。

「こちらの浅岡くんと行くことになっていてね」

 驚いたな……丈、そんな堂々といいのか。

 この場は知らないふりをした方が無難だと思ったのに、丈の方にはそんな気は更々ないようだった。

「えー二人は知り合い? 浅岡さんが待ち合わせしていたのって張矢先生だったのか」
「あ……まぁ、そういうことです」

 しどろもどろに答えるが、なんだか気恥ずかしくて、語尾が小さくなってしまう。

「じゃあちょうどいいですね! 僕も一緒していいですか、張矢先生とせっかく会えたんだし」
「……勝手にしろ」
「またそんな寂しいことを。密着取材で、朝まで過ごした仲なのに」
「おいっ、あれは仕事の一環だ」

 何だか俺の知らないところで、いろいろ繰り広げられていたようで……丈の仕事に無関心だったことを、今更ながら悔やむ羽目になった。

 丈の顔も、ひきつっていた。

「さぁ先生、行きましょう。先生は毎年京都の学会にいらしているんですか。今日はどの発表を?」

 何故かこの高瀬という男が丈の隣を歩き、俺は後ろからついて行くことになってしまった。彼は学会の取材に慣れているようで、次から次へと話が沸いて来るようだ。それに比べて俺は……医療系のライターはまだ数回しか経験がないし、まして学会なんて初めてで、勝手も分からない。

 さっきまでの膨らんだ淡い甘い気持ちが、急激に萎んでいくのを感じた。

 着慣れないスーツも首元のネクタイも……全部、窮屈だ。

 丈の横顔もやれやれ、参ったなといった表情を浮かべていた。

 でも、信号で止まった時、さりげなく俺の方を振り向き、大丈夫かと心配そうな表情でアイコンタクトを取ってくれた。

 はっとした。
 そうだ、これは仕事だ。
 こんな事は、この先いくらでもあるだろう。

 まずは自分の仕事をこなそう。
 そのアイコンタクトで、ぐっと心が落ち着いた。

 俺は静かにしっかりと頷き返した。

 丈、心配するな。
 この位、大丈夫だ。
 俺は大丈夫だ。

****

 京都 右京区 風空寺にて

「翠、ひとりで大丈夫か。宇治まで同行しようか」
「ははっ道昭までどうした? 随分と心配症だね」

 そう言って微笑む翠にドキッとした。

 大学時代から美人な男だとは思っていたが、久しぶりに会った翠は、時の経過なんて感じさせない程、艶やかになっていたから驚いたもんだ。

 歳を取ったのは俺だけなのか。俺はもういいおっさんなのに、なんだか狡いぞ。

 大学を卒業して一年もしないうちに結婚し、あっという間に父親になり、だが僅か五年で離婚したと、風の便りに聞くことは驚きの連続だった。

 翠の事は入学した当初から知っているが、そんな大胆なこと仕出かすようには見えなかった。

 長男だと聞いて納得したもんだ。

 どこか自分を抑えた、思慮深い優しい男だった。

 そして男にしては綺麗すぎる顔立ちで、大学の女どもにはよくモテていた。

 あぁそうだ。あれは同じ仏教科の女学生だったな。たしか渋谷の寺の娘で燈子さんだ。彼女の従姉妹と結婚したんだったよな。

 あの頃も今も……多くは語らない翠。

 何故、そんな昔の……大正時代の男を追っているのか。

 それを見つけた先に何があるのか。

 教えて欲しいと思った。

 もっと頼りにして欲しいとも。



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