重なる月

志生帆 海

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11章

いにしえの声 4

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「翠さん、さっきは、その……すいませんでした」

 一宮屋からの道すがら、翠さんの胸で泣いてしまったことが恥ずかしくなって、宿坊に戻って布団を敷きながら謝った。

「何を謝る? 涙が出て良かったと思うよ。洋くんが泣きたい時に泣けるようになって、良かったと」

「……翠さんは優しすぎます」

「そんなことない。僕は酷い奴だよ。いろいろと……変に意固地で随分遠回りさせた」

 誰とのことを言っているのか、それは言わなくても分かる。

 でも遠回りには、きっと意味があったはずだ。

 急いだら……手に入らなかったものかもしれないから。

「それより明日は朝から仕事なので、宇治方面や大鷹屋の資料館に同行できないんです。どうしますか。また出直しますか」

「いや大丈夫だよ。ひとりでいろいろ探してみるよ」

「でも……大丈夫かな。なんだか心配です」

「ははっ、洋くん、僕は傍から見ればもう38歳のおじさんだよ。何も心配はいらない」

 いやいや全然そんな歳に見えないし、むしろ前より色気が出て来て危ない。俺が言うのもなんだけど、本当にそう思う。

「……何でも流さんに相談した方がいいと思います。ひとりで決めないで。あっすいません。俺、また余計なことを」

 しまった! 目上の人に向かって偉そうに……と後悔したが、翠さんは嬉しそうに微笑んでくれた。

「洋くん、そんな風に心配してくれて嬉しいよ。僕たちはどんどん本物の兄弟のようになってきているね」

「そんなっ、偉そうなことを言ってしまったのに」

「いや、君はもう僕の弟だなってしみじみと思ったよ。分かった。助言通りに流には相談するよ」

「良かった。ほっとします」

「それより明日の準備はいいの? 持ち物とかスケジュールの確認をもう一度した方がいいね」

「はい。翠さんは先に休んでいてください」

「ゆっくり準備して。僕は流に電話しているよ」

 今度は俺が素直にその意見に従った。

 窓辺に座って電話をする翠さんの横で、明日の仕事に向けて準備を始めた。

 初めての仕事だ。失敗するわけにはいかない。この仕事がうまくいけば、医療系の仕事に就きやすくなる。それは丈との距離が近づくことを意味しているから。

 もう少し医学用語を確認しておこうと思い、丈が用意してくれた資料を取り出して、読み込んでいく。後はノートパソコンの充電も忘れずに。

 一気に自分の世界へと集中していった。

****

 北鎌倉、月影寺。

「よーっし、薙はそろそろ寝る時間だ」
「えーもう?」

 時刻は22時……

 そろそろ翠も部屋に戻っているだろう。

 あれから薙の様子は落ち着いていた。

 朝あんな風に泣くなんて驚いたが、心に溜まっていたものを吐き出せたようで、すっきりした様子で登校したので、ほっとした。

 下校した薙と二人で飯を食ってから、居間でテレビを観たりして寛いだ。

 翠の息子はツンツンしているが一度懐に入れてしまえば、翠に似て優しい心根を持っている。それを知っているから、俺も実の息子のように可愛がっている。父親に素直になれないのがもどかしいのだろう。母親も遠くにいるし……甘えたかった気持ちが押し寄せたのだろう。

 激しいが綺麗な心を持っている。
 この先……曲がらないように育ててやりたい。

「さぁ部屋に戻れ」
「えーまだいいじゃん」
「おいおい…そうだ! 明日の午後は一緒に工房で陶芸でもやってみるか」
「えっいいの?」
「あぁ」
「やった!オレ習ってみたかった」
「じゃあもう早く寝ろ」
「うん、分かった!おやすみなさい」

 モノで釣るようで申し訳ないが、手っ取り早いと思った。薙が部屋に戻ったのを確認して、俺は洗い物や明日の朝食の下準備をササッと済ませた。

 ようやく翠と話せる。

 俺の翠と。

 まだ離れて過ごすのに耐えられない。

 それを今回の旅で実感した。

 翠を俺の腕の中にずっと閉じ込めておきたくなる。

 手離せないんだ、少しの間も。

 今度京都へ行く時は一緒に連れて行ってくれよ。

 頼むから俺の傍にいてくれ。
 
 不安なんだ。翠の姿が見えないと──





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