重なる月

志生帆 海

文字の大きさ
上 下
834 / 1,657
11章

いにしえの声 2

しおりを挟む
「少し待って下さいね。今、母を呼んできます」

 京都御所と二条城との中間にある一宮屋は、道昭さんの作ってくれたリストの中でも、特に老舗の呉服屋だった。

 もう外は暗い。恐らく今日調べられる最後の店になるだろう。

 どうか縁がありますように。
 祈らずにはいられない。

 大正時代の話を知りたいと申し出ると、彼女の母親(女将)の母親が健在だというので詳しい話を聞くことができそうだ。

 それにしても通された呉服屋の店の中は、何故だか懐かしく感じる。綺麗な反物が色とりどりに並んでいて、華やかな世界だった。

 ここは……もしかしたら俺と何かしらの縁があるのかもしれない。第六感が働くというのか、五感を超えるものを確かに感じていた。理屈では説明がつかない、鋭く本質を掴めそうな何かが、心を満たすように働きかけて来て、苦しい程だ。

「それにしても洋くんは博識だね。あんな風に急に歌を返せるなんて」
「あ……さっきのですか。あれは源氏物語の有名な一説だったのでつい」
「ふぅん、古典に詳しいんだね」
「翻訳の仕事でもありましたし、それに興味があって、最近じっくり読んだばかりだったので」

 洋月とのことがあって平安文化に興味が出て、源氏物語を読んだので返歌を覚えていた。ただ……今、翠さんに洋月やヨウのことまで話したら、ややっこしくなるので、黙っておくことにした。

「そう、君は本当にすごいよ、なんだか僕は心強くもあるよ。洋くんと京都に来ることが出来て良かった」
「翠さんにそんな風にいってもらえるなんて……嬉しいです」

 憧れの翠さんに少しは認められ、翠さんの役に立っていると思うと心が熱くなる。

「さぁお待たせしました。母なら何かを知っているかと思って」

 先ほどの女性と一緒に奥から現れたのは、白髪の上品な女性だった。

「私でよければ、その写真を見せてくださる?」

「これです。僕たちはこの中央に写っている男性を探しています。時代は大正時代で、この写真は北鎌倉で撮影したものですが、彼は京友禅に縁がある人物だったようなのですが……彼の消息をどうしても掴みたくて探しています」

 翠さんが真剣に話すと、それを察したようで相手もじっと写真を見つめた。

 それからふと俺の顔と写真を見比べて、はっとした顔を浮かべた。

「この男性……もしかして……あぁ、そうなのね、少し待って」

 慌てた様子で、もう一度奥へ引っ込んでしまった。

 どうやら何かを取りに行ったようだ。

 確かな手ごたえがありそうで、俺と翠さんの間にも緊張が走った。

「洋くん、どうやら何か掴めそうだ」
「ええ、きっと」

 奥からその女性が持って来たのはセピア色の写真。

 俺達が持ってきたような一枚のぺらっとしたものではなかった。

 厚紙に埋め込まれた古い写真で、まるでお見合い写真のようなものだった。

「この男性ではないかしら? そっくりよ」

 目の前に置かれた写真を見て、驚愕した。

「夕凪だ。この人は……」

 写真の中の彼は仕立てのよいスーツを着て微笑んでいた。北鎌倉で撮った写真は人物が小さかったが、この写真は違う。顔の表情が細部にまでよく見える。
 
 写真の彼は柔和な笑みを浮かべ、良家の子息らしく幸福そうだった。

 そして改めて俺に似ていると思った。

 眉の形も目も鼻筋も口元も……なんだ……これは一体。

 とても不思議な感覚だ。こうやってスーツを着て現代風の装いをしていると、持って来た写真よりも更に似ていると思った。

「……やっぱり、かなり似ているね」

 翠さんも感嘆の溜息を漏らした。

「彼は誰です? 教えてください」

「分からないわ。私の母がこの写真を後生大事に持っていたのよ。亡くなる前に私に託したのよ。ずっ持っていてと、いつか必要になるかもしれないとも。あっこれは父とは違う人よ。母はいつの日だったか……私に初恋の昔話をしてくれたことがあったわ」


……

「桃香ちゃんの初恋はいつかしらね」
「まだよ!お母さまの初恋はいつ?」
「ふふっ」

 母は少女のように微笑んだ。

「お父様なの? それとも別の方? 詳しく教えて欲しいわ」
「そうねぇ……お父様と別の方よ。これは桃香ちゃんと私だけの秘密にできるかしら」
「出来るわ!」
「では見せてあげましょう」

 母は大事そうに机の引き出しの奥から何かを取り出した。どうやらお見合い写真のようだった。何度も見開きしたのか、折り目が今にも破れそうになっていた。

「この方よ」
「うわぁーお綺麗な方、男の方でこんなに美しい方を見たことないわ。この方一体どなたなの?」
「この方は宇治の君よ。私の初恋で許嫁の方で……もう少しの所で上手く行かなかったの」

 母の目は遠くを見つめていた。
 名残惜しそうに、少し悔しそうに……

「でも、宇治の君ってどういうこと?」

「えっとね……彼は宇治で幸せに暮らしたことでしょう。私とは一緒になれなかったけれども……だから私の心の中でずっとそう呼んでいたの」

「ふぅん……」

……

「当時の私には、その意味が掴めなかったし、誰にも言うなと言われたので、それ以上聞く事は出来なかったの」

 高齢の女性は懐かしそうに昔を振り返ってくれた。

「宇治の君ですか」
「ええ、確かにそう言っていたわ」
「翠さん、宇治に行ってみてはどうでしょうか」
「そうだね。夕凪は宇治にいたような気がする」
「あの……この風呂敷は?」

 翠さんが写真の下に敷いていた風呂敷に、女性の目が留まったようだ。

「これは、その宇治の君と呼ばれた人物、夕凪が染めたものらしいのです」
「まぁそうなのね。それにしてもこの色合い……どこかで見たような」
「見たことがあるんですか」
「ええっと……どこだったかしら」

 俺はごくりと唾を呑み込んだ。

 一気に開けていく、繋がっていく。

 そんな瞬間を過去に何度も味わって来たが、まさにその時がまたやって来たようだ。

 絶対に見つける。

 夕凪の行方。

 そして翠さんにとって本当に必要な情報を、手に入れる。

しおりを挟む
感想 54

あなたにおすすめの小説

別れの夜に

大島Q太
BL
不義理な恋人を待つことに疲れた青年が、その恋人との別れを決意する。しかし、その別れは思わぬ方向へ。

【完結】義兄に十年片想いしているけれど、もう諦めます

夏ノ宮萄玄
BL
 オレには、親の再婚によってできた義兄がいる。彼に対しオレが長年抱き続けてきた想いとは。  ――どうしてオレは、この不毛な恋心を捨て去ることができないのだろう。  懊悩する義弟の桧理(かいり)に訪れた終わり。  義兄×義弟。美形で穏やかな社会人義兄と、つい先日まで高校生だった少しマイナス思考の義弟の話。短編小説です。

『これで最後だから』と、抱きしめた腕の中で泣いていた

和泉奏
BL
「…俺も、愛しています」と返した従者の表情は、泣きそうなのに綺麗で。 皇太子×従者

帰宅

pAp1Ko
BL
遊んでばかりいた養子の長男と実子の双子の次男たち。 双子を庇い、拐われた長男のその後のおはなし。 書きたいところだけ書いた。作者が読みたいだけです。

悩める文官のひとりごと

きりか
BL
幼い頃から憧れていた騎士団に入りたくても、小柄でひ弱なリュカ・アルマンは、学校を卒業と同時に、文官として騎士団に入団する。方向音痴なリュカは、マルーン副団長の部屋と間違え、イザーク団長の部屋に入り込む。 そこでは、惚れ薬を口にした団長がいて…。 エチシーンが書けなくて、朝チュンとなりました。 ムーンライト様にも掲載しております。 

番?呪いの別名でしょうか?私には不要ですわ

紅子
恋愛
私は充分に幸せだったの。私はあなたの幸せをずっと祈っていたのに、あなたは幸せではなかったというの?もしそうだとしても、あなたと私の縁は、あのとき終わっているのよ。あなたのエゴにいつまで私を縛り付けるつもりですか? 何の因果か私は10歳~のときを何度も何度も繰り返す。いつ終わるとも知れない死に戻りの中で、あなたへの想いは消えてなくなった。あなたとの出会いは最早恐怖でしかない。終わらない生に疲れ果てた私を救ってくれたのは、あの時、私を救ってくれたあの人だった。 12話完結済み。毎日00:00に更新予定です。 R15は、念のため。 自己満足の世界に付き、合わないと感じた方は読むのをお止めください。設定ゆるゆるの思い付き、ご都合主義で書いているため、深い内容ではありません。さらっと読みたい方向けです。矛盾点などあったらごめんなさい(>_<)

「恋みたい」

悠里
BL
親友の二人が、相手の事が好きすぎるまま、父の転勤で離れて。 離れても親友のまま、連絡をとりあって、一年。 恋みたい、と気付くのは……? 桜の雰囲気とともにお楽しみ頂けたら🌸

僕は君になりたかった

15
BL
僕はあの人が好きな君に、なりたかった。 一応完結済み。 根暗な子がもだもだしてるだけです。

処理中です...