重なる月

志生帆 海

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11章

初心をもって 17

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 洋くんと僕は、布団に横になった。

 こんな風に兄弟と布団を並べて眠るのは、幼い頃を思い出す。

 まだ北鎌倉に行く前、都内の団地で過ごした時代があった。

 あれはまだ僕が小学生の頃か。

 狭い団地だったので兄弟それぞれの部屋なんてなかったし、僕たちも小さかったので、六畳の部屋に無理矢理布団を三枚並べていた。

 僕が真ん中で左には流、右には丈が眠っていた。

 文字通り……川の字だった。

 僕がおじい様に説いていただいた仏さまの教えを子守歌代わりに話してやると、弟ったちはあっという間に眠りに落ちて行くのが面白かったな。

「洋くんも僕の話が眠くなったら、いつでも寝ていいからね」
「……はい」
「何から話そうか、丈のこと……」

 それにしても、こんな風に丈のことを中心に過去を振り返るのはいつぶりだろう。とても新鮮な気分だった。

「丈はね、僕より四歳下だから、産まれた日のことも朧げだが、少し覚えているよ」
「丈が産まれた日か。新鮮ですね。どんな赤ちゃんでした?」

 洋くんが愛おしそうに呟く。

「新生児なのに意志の強そうな瞳が印象的だったな。本当に丈はね、末っ子特有の甘ったれたところが全然なくて、小さい時からどこか大人びていたよ。とにかく笑わない子だったな」

「笑わない? 赤ちゃんなのに?」

「うん。しかも笑わなかっただけではなく、泣かなかったな。流石に赤ん坊の時は生理的欲求で泣くことは泣いたが、三歳くらいの一番無邪気な時期にほとんど笑顔を見せなかったんだよ。感情表現が苦手といっても限度があるだろう。両親が心配して病院に連れて行く程だった」

「え……」

 洋くんは意外そうな表情を浮かべた。まさかそこまでだとは思わなかったのだろう。

「僕と流で一番下の弟を笑わすことを画策したが、あまりにも反応がないので、流はさっさと諦め見放すようになってしまってね……僕は根気よく話しかけただが埒が明かなかったな。手強かったよ」

「そんなに丈……頑なだったんだ」

「うん、いつも部屋の隅で本を読んでいて、友達も連れてきたことがなくて……あぁそうだ、夏休みなんて一人でずっと家にいるから、見かねた父親が海外出張に一緒に連れて行った事が何度もあったな」

「あ……その話は丈から聞いたことがあります」

「うん。流なんて妬んで大変だったよ。僕は丈が笑えればいいと願っていたが。でも何回目かの海外旅行先で丈が急な高熱を出して、お医者様がいないところで大変な目にあったことがあってね。結局乗り合わせた医師が応急処置して一命はとりとめたらしいけど、生命が危なかったらしい。帰国した丈を病院に見舞いに行った日のことを想い出すよ」

 まだ丈が小学生の頃だ。


****

「兄さん……来てくれたんだ」
「あぁもちろんだよ。丈、驚いたよ。そんな高熱を出すなんて。間に合って良かった」
「兄さん聞いてもいいですか」
「どうした?」

 いつになく大人びた表情だった。

「兄さんの夢は何ですか」
「ん、まだわからないな。あ……もしかして丈は何か夢ができたのか」
「……医者にならないと」
「ならないと?ってどういう意味」
「そのまんまですよ。夢なんてあやふやなものじゃなく、なります」

 一段と強い意志の籠った瞳だった。

****

「今考えたら不思議な話だよね。小学生の子供がそんなにはっきりと言い切るなんて」
「あ……そうか。丈の運命はその頃にはもう回り出していたのか」
「運命? 洋くんと出会うための?」
「……そうかもしれません」

 洋くんは少し儚げに微笑んだ。

「そうか、だからあんなに頑なだったのかな。すべては君と出会うために」

 それから……医学部への実績が圧倒的な千葉の私立中高一貫の実星学園に入学することになったんだ。両親は反対していた。感情の起伏に乏しい丈が寮生活なんてやっていけるのか、わずか12歳で家を出て行くことを危惧していた。

 でも丈はひるまなかった。まるで何かに追われるように、何かに急かされるように、寺を出て行ってしまった。

 見送った日、交わした言葉を今でも思い出すよ。



「丈、本当に行くんだな。もう帰らないつもりか」

 何故だか決心が固い弟の横顔を案じ、そのような言葉が口から零れ落ちた。

「いつか戻って来ますよ。その時はきっとお役に立てると思います」

「馬鹿! いつだって帰ってこい。お前は大事な弟なんだ。僕の弟は流だけじゃない。丈だって大事だ」

 思わず涙ぐむ情けない兄だった。

 丈は何も答えなかった。

 その黒い瞳は、前へ進むことだけを見ていた。

****

「今考えれば、丈が医師になって、製薬会社に勤めなければ……あのテラスハウスで暮らしていなかったら、君たちは出逢うことすらなかったのかもしれないな」

「翠さん、もっと大きく言うと、翠さんと流さんのことも動かなかったかもしれません。俺と丈があの月影寺に戻って来たのは、何か大きな封印を解く意味があったのかもしれません。俺がそうだったよう……翠さんと流さんの前世からの願いは、もう避けなくてもいいのです。叶わなかった想いを叶えるのが、今の翠さんと流さんに課せられたものです。今の翠さんの話を聞いて、やっぱりそうだと確信しました。翠さんと流さんの弟として丈が産まれた意味。そして俺が丈と結ばれて寺にやってきたこと、すべてには意味があると思うのです」

 力説する洋くんの頬は紅潮していた。

 詳しい話は聞いていないが、丈と洋くんもそういう大きな繋がりのもと結ばれたことは知っていた。


 ……

 もう逃げなくていい。

 時は満ちた。

 迎えに来てくれ。

 お前の懐に戻りたい。

 ……


 押しては返す波のようなメッセージがまた僕に届く。

 京都にやってきてから頻繁だ。

 全ての事柄には、意味がある。

 それを信じて、僕も前へ進むつもりだ。





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