重なる月

志生帆 海

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11章

初心をもって 15

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「今日は何か進展はあったのか」

「いや、今日は空振りだったよ」

「そうか、でも焦るなよ。一度で見つけられなくてもいい。何度でも機会はあるだろう」

「そうだ、うちの蔵に他に手がかりは本当になかったか。夕凪が京都から送ってきた荷物の荷札とか、何か住所が分かるものは残っていなかったか」

「残念ながら荷札が切り取られていた。誰かが持ち出したようだ」

「……そうか」

 いい案だと思ったのに駄目か。

 それにしても夕凪の住所を切り取った人物とは……もしかして。

 やはり夕凪を探すことは、曾祖父の弟だった流水さんの行方を捜すことに繋がっていると確信した。

「そう気を落とすな」

 流の声が静かに響く。

 僕は壁にもたれてゆったりとした気分で、今日一日の行動や進捗状況を報告した。

 流は落ち着いた声で、相槌を打ってくれる。

 僕の何もかもを受け入れてくれるのが、電話越しにもちゃんと伝わって来て、心地良かった。

「それより翠、俺さ、ちょっと困っているんだが」

 急に流が口調を変えた。少し苦しそうなので心配になった。

「えっどうした? 何かあったのか、薙のこと?」

「馬鹿、そうじゃない。翠の声を聞いたらムラムラしてきたってこと。なぁ責任取ってくれよ」

「なっ何言ってるんだ」

 そんな艶めいた声で、耳元で囁かれたら、ぞくりとしてしまう。

 途端にさっきまでの弟の流は影を潜め、僕の想い人の流が顔を見せる。

「洋くんは?」
「……もう寝てる」
「ぐっすり?」
「……だと思う」
「じゃあいいよな」
「流、何を?」
「電話越しってヤツさ、一度やってみたかった」

 何を流が求めているのか分かって、カッとしてしまう。

「おいっ!無理だ。そんなの」
「……そうか」
「そうだよ」

 10代の頃ならともかく、僕たちもう30代後半だぞ。

 そんな見境もなく……と窘めるつもりが、何故か引きずられてしまう。

「……」
「流……?怒ったのか」
「いや……昔こうやってよく一人で抜いたなと虚しく思い出していた」
「なっ」

 そんなこと、今更そんなに寂しそうに言うなんて反則だろう。

「はぁ……分かったよ。どうすればいい?」
「翠いいのか」
「それは僕の台詞だろう」
「立場が逆転したな。俺を待たせた分の罰だ」
「流……」

 本当に、どうして流をこんなにも長い年月待たせてしまったのか。

 離婚して戻ってきてからの八年間、日に日に……あの海を境に僕たちの関係はまるで師弟関係の如く堅苦しくなってしまった。

 今、思い返せば……まるでお互いに修行を積むような……酷く禁欲的な日々だった。

 どうしてだろう。

 ところが突然僕たちを取り巻く流れが大きく変わった。

 丈と洋くんがやってきてからだ。それまでせき止めていたものが決壊するように流れ出したのは。

 でも今はこの流れに身を任せるのが心地よい。丈と洋くんの存在自体に、大きな意味をもらっている。

 僕たちの船の帆を押すのは、丈と洋くんの愛かもしれない。

「じゃあいいよな。静かにやるんだぞ」
「え?」

 ぼんやりしている間に話が進んでいたようで焦ってしまった。

「翠は浴衣の胸元に手を滑り込まして、それから乳首を軽く摘まんでみろ」
「そっそんなのは無理だ。この部屋には洋くんが寝ているし」
「翠に触れたいんだ……頼む」

 全く僕の痛いところをついてくる。

 結局、言われるがままに、胸の……いつも流が触れてくれる所に触れてみた。

 途端に流に弄られた時の感覚をズキンと思い出し、震えた。

 あ……これは流の指先。逞しい指先だ。

 僕のために働いてくれる、あの指先が恋しい。

 一度芽生えた気持ちを、僕は沈める術を知らない。

「流……僕……なんか変だ」
「変じゃない。いいんだ。俺の指を感じるのだろう」
「あぁ……そうだ」

 認めよう。

 離れていても幻のように流は僕の傍にいる。

 いつだって、いつかも。

 あっ……また遠い昔の思い出がやってくる。

 最近僕に訪れる頻度を増した記憶だ。

 これは僕の記憶じゃない。

 曾祖父が持っていたはずの記憶なのに。

 どうして、僕だったのか。

 祖父や父を通り越して……僕だったのか。



 ……

 流水がいない……

 どこを探しても、もう傍にいない。

 なのに、傍にいるような気がするのは何故だ。

 忘れた方が楽になると分かっているのに、まどろみの中で僕を愛撫した、あの指先の気配を忘れられない。

 もういない。

 もう傍にいないのに。

 ……


 曾祖父の情念の炎が灯る。

 僕の胸の内を焦がすように。


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