重なる月

志生帆 海

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11章

初心をもって 8

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「もしもし……」

 深呼吸して電話に出る。

「流」

 短い一言。
 涼やかな甘く優しい声。
 それだけで愛おしさが募る。

「流?」

 俺が押し黙っているので、もう一度怪訝そうに話しかけられた。
 いつまでも聞いていたい……優しい声音だ。
 おっと、ここには薙もいるというのに、しっかりしないと。

「あぁ、なんです?兄さん」
「今日は寺の方はどうだった?」
「特に大きな事もなく、つつがなく過ぎましたよ」
「そうか良かったよ。こちらは特に収穫もなかったよ。着いてから道昭に世話になりっぱなしだよ」

 電話の向こうで翠が苦笑している。

「ふーん、懐かしい名だ」
「あっそうか、流とは面識があったな」
「当たり前ですよ。うちの寺が気に入ったとかで真夏に十日も居候した人でしょう」
「うん、でも僕もその逆をしたから」
「とにかく無理はしないでください。一度で見つけようなんて思わないで。寒くなかったですか」
「うん、夜は流石に冷え込むね」
「マフラーを持たせたでしょう。ちゃんとして下さい」
「うん、そうだね。わかったよ。ありがとう。じゃあまた明日も月影寺と薙のこと頼んだよ」

 そのまま通話が途切れてしまいそうだったので、焦って呼び止めた。

「あっちょっと待って、洋くんは?」

 丈が代わって欲しそうに、さっきからじっとこちらを見ているから、聞いてやった。

 この弟はいつだって自分が本当にして欲しいことを言い出せずに堪えているだけだ。昔はそれが辛気臭くて暗くて鬱陶しかったが、今は違う。

 三十過ぎの弟に掛ける言葉じゃないことは承知しているが、声を大にして言いたい。

『お前、案外、可愛い奴だな』

「あっ待って、洋くん、代わって欲しいって。えっそうなの? あー流、洋くんはあとで直接丈の携帯にかけるって言っているよ」

 なるほど。そう来たか。
 流石に恥ずかしいんだな。

 でもさ、丈がっかりするぜ。
 今一言でも洋くんの声を聴きたいと願っていたはずだから。

 受話器を受け取ろうとした丈の手を止めた。

「丈、あとで洋くんは直接携帯にかけるってさ」
「あっ……」

 おいおい……空を掴む手が寂し気だぜ。

「元気出せよ。離れでゆっくり話せ。ここには薙もいるしな」
「あっ……そうですね」

 そこで薙がやっと伸びをしながらノートから顔をあげた。

「んっ誰と電話? オレ、今すごく集中していた」

「ああ、いや。なんでもない」

そうやってクールな表情に戻っていく、弟がやっぱり可愛いと思った。


****

 京都右京区『風空寺』宿坊にて。

 古めかしい電話機の受話器を置いて、洋くんのことを見つめた。

「洋くん、丈もいたのに出なくてよかったの?」

「あっはい……その向こうは、母屋みたいだったから」

「ふっ、でも一言だけでも話した方が良かったかもしれないよ。丈は自分から何かして欲しいと昔から絶対に言わなかった。でも本当は寂しがり屋なんだよ。ずっと……一人だった」

「あっすみません、俺また、自分のことしか考えていなかった。いつもの悪い癖ですよね」

 ハッと顔をあげ恥ずかしそうに頬を染める洋くんは、自分がしたことを悔やんでいるようだ。

「いや、いいんだ。洋くんを責めるつもりじゃなくて……僕がずっと昔から丈にしてきたことを後悔していただけ」

「どういう意味ですか。良かったら少し……丈の小さな頃の思い出話をしてくれませんか」

 矛先がいきなりこちらに向かってきたので驚いてしまった。

 だがちょうどいい機会かもしれない。

 僕も末の弟の丈のことを振り返りたかったのだから。

 誰かにしゃべりたかった。

 僕の後悔を……

 彼を支える洋くんに伝えたい。

 そう思うから。







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