重なる月

志生帆 海

文字の大きさ
上 下
817 / 1,657
11章

初心をもって 6

しおりを挟む
 鎌倉・月影寺

 灯りがついていない離れへ帰るのは、引っ越してから初めてだ。いつも洋が私より早く帰って、色を灯してくれていたから。

 時計を見るともう20時前。
 
 金曜日の朝から京都の学会へ行くため、やるべきことが沢山あって残業になった。

 今頃洋は、翠兄さんと京都で夕食でも食べている頃か。

 いつものように私は置いてけぼりだ。

 前はそれが不甲斐なく、人命を預かる仕事のため抜けられない自分が腹立たしく、洋を一番に助けてるのが自分でなかったことが悔しかった。

 どうして、私でないのか。
 そう心の中で醜く叫んだこともある。

 特にあの韓国のホテルで重役の懐に、おとりとして飛び込むという危険を冒した洋。すぐ傍にいてやれず、すぐに助けられなかったことは本当に辛かった。

 もっと早く駆けつけたかった。
 最初から傍にいてやりたかった。
 洋に危険を冒させたくなかった。

 私が仕事を切り上げ駆けつけた時には、結局寸でのところで安志くんとKaiに助けられた洋は、裸のまま毛布に包まって意識を朦朧とさせていた。

 あの日のあの光景は、暫く私を自責の念で苦しめることになった。

 だが今は違う。

 こうやって一人で洋のいない家に帰るのは確かに寂しいが、前のような焦燥感はない。

 先日つい木枯らしにあてられて、洋に「温めて欲しい」と弱音が漏れてしまった。

 その言葉に打たれたように、私たちは深く熱く抱きあった。

 洋が私を抱いてくれた。優しくその腕で包み込んで……

 洋は最近特に穏やかで幸せな笑顔を浮かべることが多くなった。

 出会った頃の、君の寂し気な横顔を思い出す。何かに耐えるような悲壮な表情が見え隠れしていた。

 その笑顔を引き出しているのは、私だという自負もある。

 そして洋は日に日に、前向きに明るくなってきている。そんな土壌を私は洋に作ってあげることが出来たとも自負している。

 離れていても、こんなにも通じ合っていると思えるのは、お互い辛い思いをした年月のおかげだ。

 すべての物事には意味があったというわけだ。

「だが……やっぱり試練の連続だったぞ……洋」

 誰もいない部屋に向かって、私はぼそっと呟いた。


****

京都祇園

「クシュンっ──」
「あはは、可愛いくしゃみだね。洋くん」

 木枯らし吹き受ける祇園を道昭さんと翠さんの3人で歩いていたら、急にくしゃみが出てしまった。夕食に京都らしい懐石料理をご馳走になった帰り道だ。

「洋くん、寒いんじゃないか。ほら僕のマフラーを使うといいよ」
「え?いいですよ」
「洋くんは風邪をひきやすいから、気を付けた方がいいよ。金曜日から仕事だし、初めての学会ライターなんだから」
「あっはい」

 そう言われると気が引き締まる。

 これはチャンスだ。

 日本に戻ってからはほとんど月影寺に籠って、翻訳の下請けのような仕事をこなしてきたが、外に出たい。社会にもう一度出て働きたいと思いが強まっていくのは、二十代男子の健全な心なのか。

 特に丈の働く病院へ行き、働いている姿を目の当たりにしてからその思いは強くなった。

 初めての依頼だ。医学系のライターとしてやっていけるかかかっている。

 失敗は出来ない。まして今回の学会には丈も来る。丈にもしっかりと見せたいよ。俺の働いている姿。

 素直にマフラーを借りると、首元が一気に温かくなった。

「しかし翠さん準備がいいですね。まだ十一月なのにマフラーなんて」
「あっうん、流が持って行けって、しつこいから」

 そう言いながら視線を外す翠さんの目元はうっすら赤くなっていて、可愛かった。こういうところ十歳も年上とは思えないな。いつもは凛として隙がないのに、どうやらお酒を飲むと緩むようだ。

「でも、今日は何も収穫がなかったですね」

 道昭さんの紹介で法衣専門店からいくつかの老舗呉服屋を紹介してもらい、今日は祇園界隈に絞って、写真を見せながら何軒も周ってみたが、手ごたえは皆無だった。

「まぁ……まだ他にもあるし、明日に期待しようぜ」

 道昭さんは変な自信を持っているようで、でもそれが温かく頼もしい人だった。少しだけ流さんのことを思い出す。翠さんの周りには、こういうおおらかなタイプの人が集まるのかもしれない。

「そうだよ、洋くん。大丈夫。京都に来ただけで胸が騒いでいるよ。きっと近くに手がかりがあるということだろう」

 翠さんも明日への希望を失っていなかった。

 そう言われれば、俺の心もトクントクンと反応している。

 あの日邂逅した夕凪。

 君が産まれ生きた土地にやってきたからだ。



しおりを挟む
感想 54

あなたにおすすめの小説

物語のその後

キサラギムツキ
BL
勇者パーティーの賢者が、たった1つ望んだものは……… 1話受け視点。2話攻め視点。 2日に分けて投稿予約済み ほぼバッドエンドよりのメリバ

【完結】双子の伯爵令嬢とその許婚たちの物語

ひかり芽衣
恋愛
伯爵令嬢のリリカとキャサリンは二卵性双生児。生まれつき病弱でどんどん母似の美女へ成長するキャサリンを母は溺愛し、そんな母に父は何も言えない……。そんな家庭で育った父似のリリカは、とにかく自分に自信がない。幼い頃からの許婚である伯爵家長男ウィリアムが心の支えだ。しかしある日、ウィリアムに許婚の話をなかったことにして欲しいと言われ…… リリカとキャサリン、ウィリアム、キャサリンの許婚である公爵家次男のスターリン……彼らの物語を一緒に見守って下さると嬉しいです。 ⭐︎2023.4.24完結⭐︎ ※2024.2.8~追加・修正作業のため、2話以降を一旦非公開にしていました。  →2024.3.4再投稿。大幅に追加&修正をしたので、もしよければ読んでみて下さい(^^)

偽物の僕は本物にはなれない。

15
BL
「僕は君を好きだけど、君は僕じゃない人が好きなんだね」 ネガティブ主人公。最後は分岐ルート有りのハピエン。

そんなの真実じゃない

イヌノカニ
BL
引きこもって四年、生きていてもしょうがないと感じた主人公は身の周りの整理し始める。自分の部屋に溢れる幼馴染との思い出を見て、どんなパソコンやスマホよりも自分の事を知っているのは幼馴染だと気付く。どうにかして彼から自分に関する記憶を消したいと思った主人公は偶然見た広告の人を意のままに操れるというお香を手に幼馴染に会いに行くが———? 彼は本当に俺の知っている彼なのだろうか。 ============== 人の証言と記憶の曖昧さをテーマに書いたので、ハッキリとせずに終わります。

代わりでいいから

氷魚彰人
BL
親に裏切られ、一人で生きていこうと決めた青年『護』の隣に引っ越してきたのは強面のおっさん『岩間』だった。 不定期に岩間に晩御飯を誘われるようになり、何時からかそれが護の楽しみとなっていくが……。 ハピエンですがちょっと暗い内容ですので、苦手な方、コメディ系の明るいお話しをお求めの方はお気を付け下さいませ。 他サイトに投稿した「隣のお節介」をタイトルを変え、手直ししたものになります。

六日の菖蒲

あこ
BL
突然一方的に別れを告げられた紫はその後、理由を目の当たりにする。 落ち込んで行く紫を見ていた萌葱は、図らずも自分と向き合う事になった。 ▷ 王道?全寮制学園ものっぽい学園が舞台です。 ▷ 同室の紫と萌葱を中心にその脇でアンチ王道な展開ですが、アンチの影は薄め(のはず) ▷ 身代わりにされてた受けが幸せになるまで、が目標。 ▷ 見た目不良な萌葱は不良ではありません。見た目だけ。そして世話焼き(紫限定)です。 ▷ 紫はのほほん健気な普通顔です。でも雰囲気補正でちょっと可愛く見えます。 ▷ 章や作品タイトルの頭に『★』があるものは、個人サイトでリクエストしていただいたものです。こちらではいただいたリクエスト内容やお礼などの後書きを省略させていただいています。

消えない思い

樹木緑
BL
オメガバース:僕には忘れられない夏がある。彼が好きだった。ただ、ただ、彼が好きだった。 高校3年生 矢野浩二 α 高校3年生 佐々木裕也 α 高校1年生 赤城要 Ω 赤城要は運命の番である両親に憧れ、両親が出会った高校に入学します。 自分も両親の様に運命の番が欲しいと思っています。 そして高校の入学式で出会った矢野浩二に、淡い感情を抱き始めるようになります。 でもあるきっかけを基に、佐々木裕也と出会います。 彼こそが要の探し続けた運命の番だったのです。 そして3人の運命が絡み合って、それぞれが、それぞれの選択をしていくと言うお話です。

愛する貴方の心から消えた私は…

矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。 周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。  …彼は絶対に生きている。 そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。 だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。 「すまない、君を愛せない」 そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。 *設定はゆるいです。

処理中です...