794 / 1,657
第2部 10章
ただいまとお帰り 6
しおりを挟む
「ご馳走様」
「どうだ?美味しかったか」
流さんが自慢げに聞いて来るので、素直に答える。
「うん、美味かった」
「そうだろう。これは兄さんの好物だから、薙も気に入ると思ったよ」
またか……
流さんの口からひっきりなしに漏れる話題は、本当に父さんのことが多い。オレには兄弟がいないから、少し父さんのことが羨ましくなった。これは自分でもよくわからない感情だ。
「薙、お風呂も沸いているし、後は自由に過ごすといいよ」
「……はい」
父さんに促されて席を立った。どうにも父さんと話す会話が思いつかない。普通の親子ってどういう感じなのか、それを知らないからなのか。
オレは本当に家族の距離感というものが掴めていない。ただいまとお帰りを言い合える場所に来たが、まだなにも手に入れていないような気がした。
「明日も学校だし風呂入って寝るよ。今日は疲れた」
「そうするといい。あ……父さんは毎朝お堂で写経をしているから、お前も気が向いたらおいで」
「……」
やっぱり……オレの父さんはお坊さんなんだなぁとウンザリする。
朝から写経なんて、かったるいこと、するはずないだろう。
朝は一分一秒でも長く寝ていたいのにさ!
そのまま片付けもせずに、部屋に戻ろうとしたら流さんに窘められた。
「おいおい薙。片付けは手伝え」
「えっーメンドクサっ」
「いいから、ほら下げてきて」
「分かったよ」
それでも流さんとの距離感は好きだ。オレの懐に飛び込んで、ぐいっと引きあげてくれるから。
****
薙は風呂に入ったようだ。それを確かめてから翠の部屋をノックした。
翠は寝間着に着替えようとしている最中だった。脱ぎかけの下着姿が色っぽくて、思いっきりあてられた。
「手伝うよ」
「流……ありがとう」
翠は俺の言うままに大人しくしてくれる。
思えばこんな風に翠の着替えを、手取り足取り手伝うようになったのは、翠が離婚してこの寺に戻ってきてからだ。
翠の上半身の肌着を脱がしてやる。
露わになっていく肌色の……心臓の下の火傷の痕が目についた。
くそっ!これを見るたびに胸が痛くなる。
この傷は翠が俺を守るために犠牲になった証。そしてこの傷を刻まれた後……俺のために翠はこの寺を去って行った。
何があったのか、どんなに問いつめても口を割らなかった翠。
「ここ……消えなかったな。翠の綺麗な躰にこんな痕を残すなんて」
「流、どうした? 今更なことを」
「翠、もう絶対に無理すんなよ。この先は俺を庇うことなんてしなくていい」
「流……僕は……」
「薙のことも無理すんな。親子だからって絶対気が合うとも限らない。とにかく翠が無理するのだけはやめてくれ。今までだって散々一人で我慢してきたのだから」
優しく火傷の傷痕に触れて、そこに口づけを落とす。
「あっ……」
控えめな小さな声。堪えるように俺の髪に指を絡ませ、撫でて来る。
「流……流……離して……ここじゃ……そうするから……もうそうするから……」
「あぁ茶室の改装を楽しみにしていろ。俺も丈のように翠のための部屋を早く作ってやりたいよ」
****
「洋……眠ってしまったのか」
もう恋人は夢の中だ。
今日の洋は一段と可愛く乱れ官能的だったので、何度でも抱けると思ったが、今日はやめておいた。胸に大切な恋人を抱き、その背中を何処にも行かないように抱きしめるだけでも幸せだった。
この寺でかつて家族で暮らした日々を思い出していた。
居場所がなかった私の、どこかつっぱって寂しい日々のことだ。関心がないふりをしながらも、本当は仲が良すぎる兄たちに混じりたかった捻くれた幼い心。
気を遣われるのも癪で、逃げるように中学から寮生活を選んだのは自分だ。家族にも経済的にも恵まれていたのに、どこか心が寂しかった。かといって、それを訴えることもせずに、その場から去ることばかり選んできた人生。
人に関心を持たない方が楽だと悟った二十代。
研修医やインターンの時期も、私はどこか冷めた人間だった。言い寄って来る女を好き勝手に抱いてしまった時期もあった。それは認めよう……
だが今は違う。
洋といるだけで、洋の言動に一喜一憂し、感情というものが七変化していく。
まったく洋はすごいよ。この歳でこんなにも様々な感情を私に抱かせるなんて……
洋の髪の毛を優しく撫でながら、額にキスして私も眠りにつく。
人肌が心地良くて、堪らない切ない気持ちが込み上げて来る。
幸せというものは、どこか切なくもあるものだ。
そんなこと知らなかった。
人を想う気持ち。
それがこんなにも胸を焦がすことも知らなかった。
「どうだ?美味しかったか」
流さんが自慢げに聞いて来るので、素直に答える。
「うん、美味かった」
「そうだろう。これは兄さんの好物だから、薙も気に入ると思ったよ」
またか……
流さんの口からひっきりなしに漏れる話題は、本当に父さんのことが多い。オレには兄弟がいないから、少し父さんのことが羨ましくなった。これは自分でもよくわからない感情だ。
「薙、お風呂も沸いているし、後は自由に過ごすといいよ」
「……はい」
父さんに促されて席を立った。どうにも父さんと話す会話が思いつかない。普通の親子ってどういう感じなのか、それを知らないからなのか。
オレは本当に家族の距離感というものが掴めていない。ただいまとお帰りを言い合える場所に来たが、まだなにも手に入れていないような気がした。
「明日も学校だし風呂入って寝るよ。今日は疲れた」
「そうするといい。あ……父さんは毎朝お堂で写経をしているから、お前も気が向いたらおいで」
「……」
やっぱり……オレの父さんはお坊さんなんだなぁとウンザリする。
朝から写経なんて、かったるいこと、するはずないだろう。
朝は一分一秒でも長く寝ていたいのにさ!
そのまま片付けもせずに、部屋に戻ろうとしたら流さんに窘められた。
「おいおい薙。片付けは手伝え」
「えっーメンドクサっ」
「いいから、ほら下げてきて」
「分かったよ」
それでも流さんとの距離感は好きだ。オレの懐に飛び込んで、ぐいっと引きあげてくれるから。
****
薙は風呂に入ったようだ。それを確かめてから翠の部屋をノックした。
翠は寝間着に着替えようとしている最中だった。脱ぎかけの下着姿が色っぽくて、思いっきりあてられた。
「手伝うよ」
「流……ありがとう」
翠は俺の言うままに大人しくしてくれる。
思えばこんな風に翠の着替えを、手取り足取り手伝うようになったのは、翠が離婚してこの寺に戻ってきてからだ。
翠の上半身の肌着を脱がしてやる。
露わになっていく肌色の……心臓の下の火傷の痕が目についた。
くそっ!これを見るたびに胸が痛くなる。
この傷は翠が俺を守るために犠牲になった証。そしてこの傷を刻まれた後……俺のために翠はこの寺を去って行った。
何があったのか、どんなに問いつめても口を割らなかった翠。
「ここ……消えなかったな。翠の綺麗な躰にこんな痕を残すなんて」
「流、どうした? 今更なことを」
「翠、もう絶対に無理すんなよ。この先は俺を庇うことなんてしなくていい」
「流……僕は……」
「薙のことも無理すんな。親子だからって絶対気が合うとも限らない。とにかく翠が無理するのだけはやめてくれ。今までだって散々一人で我慢してきたのだから」
優しく火傷の傷痕に触れて、そこに口づけを落とす。
「あっ……」
控えめな小さな声。堪えるように俺の髪に指を絡ませ、撫でて来る。
「流……流……離して……ここじゃ……そうするから……もうそうするから……」
「あぁ茶室の改装を楽しみにしていろ。俺も丈のように翠のための部屋を早く作ってやりたいよ」
****
「洋……眠ってしまったのか」
もう恋人は夢の中だ。
今日の洋は一段と可愛く乱れ官能的だったので、何度でも抱けると思ったが、今日はやめておいた。胸に大切な恋人を抱き、その背中を何処にも行かないように抱きしめるだけでも幸せだった。
この寺でかつて家族で暮らした日々を思い出していた。
居場所がなかった私の、どこかつっぱって寂しい日々のことだ。関心がないふりをしながらも、本当は仲が良すぎる兄たちに混じりたかった捻くれた幼い心。
気を遣われるのも癪で、逃げるように中学から寮生活を選んだのは自分だ。家族にも経済的にも恵まれていたのに、どこか心が寂しかった。かといって、それを訴えることもせずに、その場から去ることばかり選んできた人生。
人に関心を持たない方が楽だと悟った二十代。
研修医やインターンの時期も、私はどこか冷めた人間だった。言い寄って来る女を好き勝手に抱いてしまった時期もあった。それは認めよう……
だが今は違う。
洋といるだけで、洋の言動に一喜一憂し、感情というものが七変化していく。
まったく洋はすごいよ。この歳でこんなにも様々な感情を私に抱かせるなんて……
洋の髪の毛を優しく撫でながら、額にキスして私も眠りにつく。
人肌が心地良くて、堪らない切ない気持ちが込み上げて来る。
幸せというものは、どこか切なくもあるものだ。
そんなこと知らなかった。
人を想う気持ち。
それがこんなにも胸を焦がすことも知らなかった。
10
お気に入りに追加
445
あなたにおすすめの小説
すずらん通り商店街の日常 〜悠介と柊一郎〜
ドラマチカ
BL
恋愛に疲れ果てた自称社畜でイケメンの犬飼柊一郎が、ある時ふと見つけた「すずらん通り商店街」の一角にある犬山古書店。そこに住む綺麗で賢い黒猫と、その家族である一見すると儚げ美形店主、犬山悠介。
恋に臆病な犬山悠介と、初めて恋をした犬飼柊一郎の物語。
※猫と話せる店主等、特殊設定あり
【完結】双子の伯爵令嬢とその許婚たちの物語
ひかり芽衣
恋愛
伯爵令嬢のリリカとキャサリンは二卵性双生児。生まれつき病弱でどんどん母似の美女へ成長するキャサリンを母は溺愛し、そんな母に父は何も言えない……。そんな家庭で育った父似のリリカは、とにかく自分に自信がない。幼い頃からの許婚である伯爵家長男ウィリアムが心の支えだ。しかしある日、ウィリアムに許婚の話をなかったことにして欲しいと言われ……
リリカとキャサリン、ウィリアム、キャサリンの許婚である公爵家次男のスターリン……彼らの物語を一緒に見守って下さると嬉しいです。
⭐︎2023.4.24完結⭐︎
※2024.2.8~追加・修正作業のため、2話以降を一旦非公開にしていました。
→2024.3.4再投稿。大幅に追加&修正をしたので、もしよければ読んでみて下さい(^^)
手紙
ドラマチカ
BL
忘れらない思い出。高校で知り合って親友になった益子と郡山。一年、二年と共に過ごし、いつの間にか郡山に恋心を抱いていた益子。カッコよく、優しい郡山と一緒にいればいるほど好きになっていく。きっと郡山も同じ気持ちなのだろうと感じながらも、告白をする勇気もなく日々が過ぎていく。
そうこうしているうちに三年になり、高校生活も終わりが見えてきた。ずっと一緒にいたいと思いながら気持ちを伝えることができない益子。そして、誰よりも益子を大切に想っている郡山。二人の想いは思い出とともに記憶の中に残り続けている……。


そんなの真実じゃない
イヌノカニ
BL
引きこもって四年、生きていてもしょうがないと感じた主人公は身の周りの整理し始める。自分の部屋に溢れる幼馴染との思い出を見て、どんなパソコンやスマホよりも自分の事を知っているのは幼馴染だと気付く。どうにかして彼から自分に関する記憶を消したいと思った主人公は偶然見た広告の人を意のままに操れるというお香を手に幼馴染に会いに行くが———?
彼は本当に俺の知っている彼なのだろうか。
==============
人の証言と記憶の曖昧さをテーマに書いたので、ハッキリとせずに終わります。

代わりでいいから
氷魚彰人
BL
親に裏切られ、一人で生きていこうと決めた青年『護』の隣に引っ越してきたのは強面のおっさん『岩間』だった。
不定期に岩間に晩御飯を誘われるようになり、何時からかそれが護の楽しみとなっていくが……。
ハピエンですがちょっと暗い内容ですので、苦手な方、コメディ系の明るいお話しをお求めの方はお気を付け下さいませ。
他サイトに投稿した「隣のお節介」をタイトルを変え、手直ししたものになります。
六日の菖蒲
あこ
BL
突然一方的に別れを告げられた紫はその後、理由を目の当たりにする。
落ち込んで行く紫を見ていた萌葱は、図らずも自分と向き合う事になった。
▷ 王道?全寮制学園ものっぽい学園が舞台です。
▷ 同室の紫と萌葱を中心にその脇でアンチ王道な展開ですが、アンチの影は薄め(のはず)
▷ 身代わりにされてた受けが幸せになるまで、が目標。
▷ 見た目不良な萌葱は不良ではありません。見た目だけ。そして世話焼き(紫限定)です。
▷ 紫はのほほん健気な普通顔です。でも雰囲気補正でちょっと可愛く見えます。
▷ 章や作品タイトルの頭に『★』があるものは、個人サイトでリクエストしていただいたものです。こちらではいただいたリクエスト内容やお礼などの後書きを省略させていただいています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる