重なる月

志生帆 海

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第2部 10章

振り向けばそこに… 8

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「丈先生、次のカルテを置いておきます」
「了解、午前の外来はここまで?」
「あと五名です」
「分かった、次、通して」

 今日はオペは入っていなかったので、午前中は外来の診察。午後は入院患者の巡回というスケジュールだった。

「もう11時半か……あっという間だな」

 時計をちらりと見て、少しだけ残念な気持ちが込み上げてしまった。とっくに新居の内覧会は終わってしまったな。本当は洋と一緒に見たかった。それが素直な気持ちだ。

 だが私の仕事は人の命を預かるものだ。気ままに休めるような仕事ではない事は、一番自分が分かっている。だから今は余計なことは考えるまい。

 その代り今日は早く帰宅しよう。

 朝のキスの続きは、新居で存分に。

 少しだけ名残り惜しそうな表情で私を見送った洋を思い出せば、今すぐにでも会いたくなってしまう。


****

 駅から見える距離に、丈が外科医として勤める病院はあった。見上げるほど大きな白亜の建物だ。

 ここなのか……想像よりもずっと立派な総合病院だ。救急指定でもあるようで、ひっきりなしに救急車のサイレンの音がする。

「忙しそうだな、皆……」

 少しだけ不安な気持ちが込み上げてしまう。今日はオペは入ってないので、診察だけだと言っていたよな。でも……連絡もせずにここまで来てしまったが、ちゃんと会えるだろうか。

 午前の診察が終わったら、一時間ほど休憩があるといつも言っていた。その時間に会えたらいい。だから診察の邪魔をしたくないので、連絡をするのはやめておいた。

「さてと……」

 とりあえず俺はこの病院の仕組みが全く分かっていないので、受付で聞いてみることにした。

「すいません、外科の張矢先生会いたいのですが」
「失礼ですが、ご予約はされていますか」
「いえ」

 受付の女性に胡散臭そうな眼で見られてしまい、なんだかきまりが悪く恥ずかしい。

「当日の診察はお受けできませんが」
「あっ俺は患者ではなくて」
「……じゃあ製薬会社の方ですか」
「いえ……」

 こういう時の答えを持ち合わせていなくて、言葉に詰まってしまった。すると受付嬢は機転をきかせてくれたようで助かった。

「特別ですよ。診察室は6階になります。そこに受付がまたありますので、そちらで名前を告げれば、診察の最後に会えるように手配しました」
「あっはい、ありがとうございます」

 とりあえず場所が分かったので、エレベーターで上がってみる。だが今度は受付は通さずに、長い廊下を歩きながらゆっくりと『医師・張矢 丈』の名札を探した。

「ここだ」

 まだ午前の診察は終わっていないようで、診察室の前はごった返していたので、そっと一番端のベンチに腰掛けて待つことにした。

「一番の診察室に、齋藤さんどうぞ」

 突然マイク越しに丈の声が聴こえて来たので、ドキッとした。

 俺と話す時とはまた別の余所行きの声だ。低く落ち着いてクールな声も素敵だ。初めてテラスハウスで会った頃の丈を思い出してしまうよ。

 丈……俺達、ずいぶん長いこと一緒にいるな。まさかあの出会いが、こんな日をもたらすなんて思いもしなかったよ。

 ひとりふたりと診察が終わった人が去っていく。もうあと一人で丈の診察は終わりそうなので、あと少しだ。

 ところがそこからが長かった。

 何かあったのか。急患とか?

 幸い俺は今日の午後はフリーだからいいが。

 しいて言えば腹が空いてしまった。

 あわよくば一緒に食事をなんて悠長なことを考えていたのが、恥ずかしくなる。丈はいつも昼飯なんて食べる暇がない程のスケジュールをこなしているというのに。

 もう一時間待ちぼうけだ。

 丈……早く会いたいよ。

 せめて顔だけでも見せてくれ。

 勢いよく寺を飛び出して来た時の気持ちが、どんどん萎えてしまう。

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