重なる月

志生帆 海

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第2部 10章

引き継ぐということ 10

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「それじゃ元気でね。薙……あなたのこと愛しているのよ、でもね」

 言い訳はいらないよ。

 母さんは、俺の母さんに向いていなかった?
 そんなことないよ。幼い頃はちゃんと一緒にいてくれたもんな。
 ただ俺が……少し早く大人にさせられただけ。

「大丈夫だよ。上手くやる」
「あなたは要領はいいけれども、そこが心配。あ、そんな風にしちゃったのは私か」
「とにかく元気でね。母さんも」

 別れ際くらいきちんと出来るさ。
 俺はもう駄々をこねるような子供じゃない。

「それにしても結局、間に合わなかったわね」

 どこか遠くを見つめる母さんの目。
 誰かを待っているのか。もしかして……

「父さん?」
「えっあの人は来ないわよ。私が来なくていいって言ったら、それを律儀に守る人だもの」
「ふーん」

 そうか。父さんに本当は来て欲しかったのか。天邪鬼だな。それならそうとちゃんと言えばいいのに。

 朝の太陽のように曲がっても伝わることもあるが、伝わらないことの方が多いのに。

 母さんはスマホを取り出して、メールを確認した。

「あら困ったわ。高速が事故で渋滞しているみたい」
「大丈夫だよ。流さんの顔は覚えているし、ここでとにかく待てばいいんだろ? さぁもう母さんは行って、時間だよ」
「そう?本当に大丈夫?」
「今日に限って過保護だな。いってらっしゃい」
「いい子でね、薙」
「子供みたいに言うなよ。次会う時は、もう大人になってるさ」

 手荷物を預け出国ゲートへ消えていく母のことを、一人で見送った。母は何度も何度も振り返って、名残り惜しそうに手を振っていた。

 はぁ、まったく一応ちゃんと母親らしいことをするから困るよな。

 俺が道を踏み外せなかった理由がこれさ。

 空港の大きな時計を見ると、もう夜の21時。
 空港に俺を迎えに来るのは、父の弟の流さんだ。

 流さんのことは、よく覚えている。

 父さんより背も高くて活発な叔父、いや叔父というよりも年の離れた兄のような若々しい人だったのをちゃんと覚えている。

 俺さ、結構懐いてたんだよ。
 北鎌倉に行って遊んでくれるのは、主に流さんだったしな。

 そんなことを思い出していると、二年ぶりに会うのが楽しみになってきた。


****

 抱きしめていた翠の躰を離すのが、名残り惜しかった。

 スンと最後に翠の肩口に顔を埋めれば、新緑の森のような清々しい香りが鼻腔を掠める。そのままそっと身を離し見つめると、翠も俺と同じ表情をしていたので、気持ちが繋がっていることに安心した。

 廊下に出ると丈が柱にもたれていて、俺の顔を見るなり、無言で車のキーを差し出してきた。そのまま肩を並べて歩くと、隣で小さな溜息をつかれた。

「なんだよ?」
「まったく、遅刻しますよ」
「そうだな。つい話こんでいた。お前の車借りて悪いな」

「いいですよ。もう今日は使いませんから。しかし私は薙に会うのがほぼ初対面のようなもので、その……洋とのことを何と話すつもりですか」

「あ……そっか、悪いな。気を遣わせて。実はまだあんまり考えてなくて、なにしろ俺が薙に会うのも久しぶりなんだよ。小学生の頃会ったきりだからさ」

「そうですか」

 隣に立つ丈の表情が、一気に暗くなった。
 あーこいつでもこんな顔すんだと思うとやっぱり微笑ましい。

「そんなに心配するなって、洋くんのこと嫌いになる奴なんていないよ。あんないい子いないだろ」

「まぁ……それはそうですが。洋が気にしていたので」

「薙も多感な時期だし、注意して話すタイミングを見つけるよ」

「お願いします」

 全く……洋くんのためになら素直に頭を下げるんだよな。
 こいつ、本当に洋くんと出逢って人が変わった。

「じゃっ行ってくる」

 羽田空港に向かって車を走らせた。
 夜の道を運転するのは久しぶりだ。

 また、今日から何か一つ歯車が回転するような、新しい何かが始まる予感に満ちていた。

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