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第2部 10章
引き継ぐということ 9
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とうとうこの日が来た。
今日は母が出国する日で、オレが母と過ごしたマンションを出て行く日。
リビングからバルコニーに出て、朝の空気を深く吸い込んでから都会の朝をぐるっと見渡した。
遠くのオフィスの高層ビル群のミラーガラスに朝日が反射して、その光が曲がってこの部屋に届いている。
相変わらず面白い光景だよな。
真っすぐに届かない。それでも届くものがあるんだと、このワンクッション挟んだ朝日を浴びながら毎朝思うよ。
俺はまだ中学生で何も出来ない子供だけど、いつかまたここに戻って来るから。真っすぐに戻って来られないかも……それでもいつかきっと。
そんなことを誓った。
「薙、朝ごはん出来たわよ」
トーストにかぶりつくオレの顔を、母が何故かじっと見つめている。
「さっきからなんだよ。気持ち悪い」
「んっ、今日でお別れだと思って。流石に見納めかなって」
いつもはクールな母が珍しいこと言うもんだな。
「いつ帰って来る気?」
「んー行ってみないと分からないの。薙……きっともう大人になっちゃうね」
「ふーん」
「薙、やっぱりあの人に似てるわね。どんどん似て来るものね。親子って不思議」
「父さんに?」
「鏡見てご覧なさい。本当に似て来た。あと5年もしたらそっくりになるわよ」
言われなくても、それさ、毎朝歯磨きしながら思ってるよ。そして性格が全然似てないともね。
「そう? オレはあんまり父さんの顔に似たくなかったよ」
「なんで? 綺麗な顔じゃない。モテルでしょ?」
「別にっ」
本当は何人の女子から告白されたか覚えてないほど、モテる。とは言いたくなかった。
「なーんだ、つまらないの。日本で元気に過ごしてね。ねぇ……あなたを置いて行くことを恨んでいない?」
「それはない」
本心だった。
フランスなんかに行って、これ以上母の気まぐれな愛情に振りまわされるのは、ごめんだ。
「それより夕方まで出かけて来るから」
「そう? 最後の日位、母さんとずっと過ごせばいいのに」
「んな歳じゃないだろ」
母と別れることが寂しいかって……確かに心の底にはいくらかあるけど、もうそんなに期待してないんだよね。悪いけど。
もっと小さい頃は母だけが頼りだったから、学校から帰って来た時いてくれたら嬉しかったし病気の時は心強かった。いつもは会社に行っている母がずっと傍にいてくれるのが嬉しかった。でも一人で留守番できるような学年になると、それは全くなくなった。
いつだって鍵を渡され、机の上にお金が置いてあるような生活。
腐らない方がおかしいだろ。これでもまだまともに成長した方だよ。
今日は別に誰と約束していたわけじゃない。でも明日から鎌倉なんて田舎に引っ込むんだから、この都会の風景を目に焼き付けておこうと思っただけ。
ぶらぶらと一人で渋谷まで歩いた。
ただ雑踏の中にいたかっただけ。
人混みに揺られるのが気持ちいいから。
どうしてなんだろう?
どうしてそんな風に思うのだろう。
まだ自分自身のこともよく分かっていない、それが今のオレだ。
****
「それじゃ、兄さん、これから羽田空港に迎えに行って来ますよ」
日曜日の昼下がり、流が僕の部屋にやって来てそう告げた。
いよいよだ。とうとう薙がやってくる。
僕と流の部屋の間に、薙のための子供部屋を用意した。ベッドと勉強机は洋くんに頼んで、横浜のデパートから配送してもらい、もう設置されている。昨夜は流が新しいベッドカバーやシーツを整えてくれていた。
薙の荷物は遅れて届くようだが、すぐにここで暮らせる手筈は整っている。
もう準備は万端なのに……
ちゃんと父親として接していけるだろうか。
そんな一抹の不安がなかなか拭えず、僕は俯いて唇をきゅっと噛みしめてしまった。
「おいっ翠、ここは噛むな。悪い癖だぞ」
そう言いながら流が指先で唇を解き、そこに優しい体温を届けてくれた。
「あっ」
口づけひとつで、一瞬で恋に落ちる。
何度も何度も落ちていく。
そんな甘いキスを流が運んでくれる。
僕たちはしばらく抱き合ってキスをした。
駄目だって分かっているのに、僕は抵抗出来ない。何故ならそれは、僕が欲しいものだから。
自分から薄く唇を開き、流の舌を迎え入れて舌先同士を絡めてしまう。そのまま息苦しいまで舌先を弄ばれ、唾液が顎に垂れて来るころにやっと離される。
少し息があがり胸を上下させると、その胸に流が手を当てて来て、小さな突起を探そうと意志を持って動き出す。
もう……これ以上は駄目だ。
「翠……もどかしいな。大丈夫だよ。心配するな」
「だが、ここじゃ」
もどかしいのは僕の方だよ。結局宮崎から戻ってから、こんなキス程度しか出来ていない。キスで高まる熱を抑え込むのは、本当に大変なんだ。
流は少し赤くなったであろう僕の顔をじっと眺め、男らしい艶めいた笑みを浮かべる。どこか余裕がありそうに見えるのが、憎いよ。
「本当にこんなに可愛らしい人が、父親だなんてな」
そんな風に甘い言葉を言われると、甘やかされたくなる自分がどんどん大きくなっていく。
「流、薙が来たら、もうこの部屋でキスするな。どこで誰に見られるか分からない」
その言葉に、流が困ったような顔をした。
「翠……じゃあどこですればいい? 場所を作ってくれないか。そろそろ限界だ。もう一度いやもっともっと抱きたいって思うのは、自然なことだよな」
流が僕をもう一度抱きしめ、肩口に額を押し付けながら懇願するような声を出す。
ん……僕はこの流の甘えた仕草に弱いんだ。
自然かそうじゃないかと言われたら、自然ではない。兄と弟で身体を重ねるのは自然じゃないから。それでもお前のこと欲しがっているのは、僕の方だよ。
「考えておく、ちゃんと……」
その時、急に部屋がノックされて、僕たちは慌てて抱きしめ合っていた躰を離した。
「流兄さん何してるんですか。そろそろ出かけないと間に合わなくなりますよ」
「おっおう!」
丈の声だったので少し安堵したものの、流石の流も焦った表情になった。
今日は母が出国する日で、オレが母と過ごしたマンションを出て行く日。
リビングからバルコニーに出て、朝の空気を深く吸い込んでから都会の朝をぐるっと見渡した。
遠くのオフィスの高層ビル群のミラーガラスに朝日が反射して、その光が曲がってこの部屋に届いている。
相変わらず面白い光景だよな。
真っすぐに届かない。それでも届くものがあるんだと、このワンクッション挟んだ朝日を浴びながら毎朝思うよ。
俺はまだ中学生で何も出来ない子供だけど、いつかまたここに戻って来るから。真っすぐに戻って来られないかも……それでもいつかきっと。
そんなことを誓った。
「薙、朝ごはん出来たわよ」
トーストにかぶりつくオレの顔を、母が何故かじっと見つめている。
「さっきからなんだよ。気持ち悪い」
「んっ、今日でお別れだと思って。流石に見納めかなって」
いつもはクールな母が珍しいこと言うもんだな。
「いつ帰って来る気?」
「んー行ってみないと分からないの。薙……きっともう大人になっちゃうね」
「ふーん」
「薙、やっぱりあの人に似てるわね。どんどん似て来るものね。親子って不思議」
「父さんに?」
「鏡見てご覧なさい。本当に似て来た。あと5年もしたらそっくりになるわよ」
言われなくても、それさ、毎朝歯磨きしながら思ってるよ。そして性格が全然似てないともね。
「そう? オレはあんまり父さんの顔に似たくなかったよ」
「なんで? 綺麗な顔じゃない。モテルでしょ?」
「別にっ」
本当は何人の女子から告白されたか覚えてないほど、モテる。とは言いたくなかった。
「なーんだ、つまらないの。日本で元気に過ごしてね。ねぇ……あなたを置いて行くことを恨んでいない?」
「それはない」
本心だった。
フランスなんかに行って、これ以上母の気まぐれな愛情に振りまわされるのは、ごめんだ。
「それより夕方まで出かけて来るから」
「そう? 最後の日位、母さんとずっと過ごせばいいのに」
「んな歳じゃないだろ」
母と別れることが寂しいかって……確かに心の底にはいくらかあるけど、もうそんなに期待してないんだよね。悪いけど。
もっと小さい頃は母だけが頼りだったから、学校から帰って来た時いてくれたら嬉しかったし病気の時は心強かった。いつもは会社に行っている母がずっと傍にいてくれるのが嬉しかった。でも一人で留守番できるような学年になると、それは全くなくなった。
いつだって鍵を渡され、机の上にお金が置いてあるような生活。
腐らない方がおかしいだろ。これでもまだまともに成長した方だよ。
今日は別に誰と約束していたわけじゃない。でも明日から鎌倉なんて田舎に引っ込むんだから、この都会の風景を目に焼き付けておこうと思っただけ。
ぶらぶらと一人で渋谷まで歩いた。
ただ雑踏の中にいたかっただけ。
人混みに揺られるのが気持ちいいから。
どうしてなんだろう?
どうしてそんな風に思うのだろう。
まだ自分自身のこともよく分かっていない、それが今のオレだ。
****
「それじゃ、兄さん、これから羽田空港に迎えに行って来ますよ」
日曜日の昼下がり、流が僕の部屋にやって来てそう告げた。
いよいよだ。とうとう薙がやってくる。
僕と流の部屋の間に、薙のための子供部屋を用意した。ベッドと勉強机は洋くんに頼んで、横浜のデパートから配送してもらい、もう設置されている。昨夜は流が新しいベッドカバーやシーツを整えてくれていた。
薙の荷物は遅れて届くようだが、すぐにここで暮らせる手筈は整っている。
もう準備は万端なのに……
ちゃんと父親として接していけるだろうか。
そんな一抹の不安がなかなか拭えず、僕は俯いて唇をきゅっと噛みしめてしまった。
「おいっ翠、ここは噛むな。悪い癖だぞ」
そう言いながら流が指先で唇を解き、そこに優しい体温を届けてくれた。
「あっ」
口づけひとつで、一瞬で恋に落ちる。
何度も何度も落ちていく。
そんな甘いキスを流が運んでくれる。
僕たちはしばらく抱き合ってキスをした。
駄目だって分かっているのに、僕は抵抗出来ない。何故ならそれは、僕が欲しいものだから。
自分から薄く唇を開き、流の舌を迎え入れて舌先同士を絡めてしまう。そのまま息苦しいまで舌先を弄ばれ、唾液が顎に垂れて来るころにやっと離される。
少し息があがり胸を上下させると、その胸に流が手を当てて来て、小さな突起を探そうと意志を持って動き出す。
もう……これ以上は駄目だ。
「翠……もどかしいな。大丈夫だよ。心配するな」
「だが、ここじゃ」
もどかしいのは僕の方だよ。結局宮崎から戻ってから、こんなキス程度しか出来ていない。キスで高まる熱を抑え込むのは、本当に大変なんだ。
流は少し赤くなったであろう僕の顔をじっと眺め、男らしい艶めいた笑みを浮かべる。どこか余裕がありそうに見えるのが、憎いよ。
「本当にこんなに可愛らしい人が、父親だなんてな」
そんな風に甘い言葉を言われると、甘やかされたくなる自分がどんどん大きくなっていく。
「流、薙が来たら、もうこの部屋でキスするな。どこで誰に見られるか分からない」
その言葉に、流が困ったような顔をした。
「翠……じゃあどこですればいい? 場所を作ってくれないか。そろそろ限界だ。もう一度いやもっともっと抱きたいって思うのは、自然なことだよな」
流が僕をもう一度抱きしめ、肩口に額を押し付けながら懇願するような声を出す。
ん……僕はこの流の甘えた仕草に弱いんだ。
自然かそうじゃないかと言われたら、自然ではない。兄と弟で身体を重ねるのは自然じゃないから。それでもお前のこと欲しがっているのは、僕の方だよ。
「考えておく、ちゃんと……」
その時、急に部屋がノックされて、僕たちは慌てて抱きしめ合っていた躰を離した。
「流兄さん何してるんですか。そろそろ出かけないと間に合わなくなりますよ」
「おっおう!」
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