重なる月

志生帆 海

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第2部 10章

引き継ぐということ 2

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「折り入って、お前達に話しておくことがあってな」
「……はい」

 お堂の中の静寂に、気が引き締まる。
 僕と流、丈、洋くんと四人の男が正座した。

 父の厳かな声が響く。

「翠、お前にこの寺の全てを任せたい」
「えっ」

 あぁやはりそうか……

 驚くことはなかった。少し前から予期していたことだ。

 母が珍しく僕に旅行に行くことを勧めてくれたり、少しずつ父が母の仕事場に行く回数が増え、寺を任されることが多くなってきていた。

 すべてはこの日のためだった。なんとなく漠然とこの日が近いことが頭の中では理解していた。

「私もいい歳だし、母さんとゆっくり老後は過ごしたくてな。実は熱海にリゾートマンションを購入したので、そこに隠居することにした。翠や……お前は昔から立派に僧侶となることに励み、最近は住職代理として住職の仕事も板について来た。もう十分だろう。任せる時が来たのだ」

「……ですが」

「聞けば、薙を引き取ることにしたそうだね」

 薙の名前が父の口から漏れると、居たたまれない気持ちになる。期待を裏切って離婚して、子供を向こうに置いて来たのだから。薙はこの寺にとっても、妻の実家の寺にとっても、跡取りとなる大切な男の子なのだ。

「あっはい。秋からこの寺で育てます。その節は父さん達にも多大な迷惑をかけてしまい申し訳ありませんでした」

「うむ。まぁもう済んだことだ。それより薙を引き取ることで、一層父親としても気を引き締めなさい、身辺を汚さぬように気を付けるのなぞ」

「……はい」

 平静を装うが、動揺していた。心臓がドクドク音を立てている。

 すみません。父さん……僕は禁忌を犯したのです。

 そう心の中で、深く詫びた。

「どうした? 大丈夫か」

 いけない。こんなことで動揺してはならない。
 流と約束したじゃないか。この恋は守り通すと。

 懸命に心を静め、冷静に答えた。

「あっはい」
「ではいいな。寺を引き継いでくれるな」
「分かりました。お受けいたします」

 断る理由はなかった。父の言う通り、薙がやってくるというのが、僕にとっても新たな転機になると思えた。

 薙……僕の血を分けた大切な息子。もうここ二年近く会ってもらえていない。中学二年生……随分大きくなっただろう。

 会いたいよ……僕もいつだって薙に会いたかった。

 父は続いて視線を流へと向けた。

「流や」
「はい」

「分かっているな。これまで通り翠を全面的にサポートしてやってくれ。それからもう一度聞くが、お前はもう36歳だ。お前の器量ならと、縁談の話が今でも山ほどあるのに、本当にいいのだな。一生独身でいくと?」

「えぇ俺は結婚には向いていません。このまま翠兄さんのサポートに徹します」

「うむ一時期は翠を森家へ養子に出して、この寺を流に任せようと思った時期もあったのに、お前は本当にいいのだな」

「もちろんです。これが俺の望む道です」

「分かった。まぁ確かにお前の奔放な部分は、住職の柄ではないしな。結婚をしない分、趣味の陶芸や着物の絵付けを楽しんでいるし……まぁそういう部分は母さんに似たのか」

「はは、そうかもしれませんね。顔は父さん似って言われるのに。でも、ありがとうございます。こんな生き方許してくれて」

 流はどこかほっとしているようだった。

 そうだ。本来ならば僕が月影寺から、この北鎌倉から逃げ出した時、流がこの寺を引き継ぐとまで言ってくれたのだ。

 僕は本当に不甲斐ない兄だった。

「それから丈と洋くん」
「はい」

「君たちの離れのリフォームも完成間近だな。私は熱海に行くので、この寺に戻ることはあまりないだろう。ここは君たちの家でもあるのだから、のびのびと過ごしなさい」

「ありがとうございます」

 父は確かに年老いたのかもしれない。サラリーマンを途中でやめて、住職となった道は険しかったのだろう。もともとは養子の立場だったし。自由に途中まで生きた分、やはりまた自由になりたがっているようだった。

「皆、ありがとう。私達の我が儘を聞いてくれて。この寺のことは任せたからな。熱海にも遊びに来なさい」

 これは僕が望んだ道だ。

 この寺の住職をいずれ父親から引き継ぐことを念頭に、ずっと修行に励んで来た。夢が叶ったと喜ぶべきシーンなのに、何故か心の奥底が冷たくなっていた。

 住職として一層の責任を負うことは、重い足枷となっていくのだろう。

 流……昨日まで自由に触れてくれた君のことが遠くに感じる。

 いや、しっかりしろ。まだ始まったばかりだ。この先まだ何が起こるか分からない。流が生きて近くにいてくれるだけでも幸せだというのに。

 自分自身の弱い心を、心の中で必死に励ました。

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