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完結後の甘い話の章
完結後の甘い物語 『雨の悪戯 12』
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「流?寝てしまったのか」
もう一度尋ねられたので、俺はムクリと起き上がった。
「はぁ、兄さんの布団をこっちに持ってこようと思っていたのに、丈達に気前よく貸してしまったようですね」
「えっ駄目だったか」
意外なことを言われたかのように、翠兄さんは驚いていた。
「駄目じゃないです。でも俺の部屋にだって、布団は一組しかないですよ」
「……知っているよ。駄目か」
またこれだ。この人は俺が断れないことを知っていて、いつもこう聞いて来る。
「はぁ駄目じゃないが……さぁそんな所に立っていては風邪をひくから」
俺は布団の中で横向きになって、半分空いた空間に兄を呼んだ。
「ありがとう。流」
兄さんは迷いなくそのスペースに横たわった。背中あわせに肌が触れそうで触れない距離に、ゾクリとする。そして兄の躰からふわりと控えめな香の匂いが立ち込めた。
これは※翠風の香だな。俺が京都で以前兄への土産として買い求めたものだ。いつも使ってくれているのだなと思うと嬉しくなる。
※翠風の香……沈香の持つ辛味のなかに奥深い甘味が漂い、数種類の漢薬香料を調合したスパイシーで重みのある香り。まるでお寺の本堂に居るようなイメージで調合された香。
「流の部屋、久しぶりだな。なんか……凄いな」
兄さんは暗闇の中、俺の部屋をぐるりと見渡してうっとりとした溜息を漏らしていた。
「別にすごくなんかありませんよ」
「なぁもう少し僕の部屋に荷物を置いたら?よく考えたら僕の衣類など、全て流の部屋に置きっぱなしだ」
「どうせあなたは一人じゃ選べないでしょう」
「あーあ、いつからこうなってしまったのだか。僕は自分のことが不安になるよ」
「何故?」
「だって流があんまり熱心に僕の世話を焼くから、僕も当たり前になってしまっている。もう一人で着る服すら選べないよ」
「ははっ、それでいいじゃないか」
「昔は僕が全部流の服を選んで着せてあげていたのにな……覚えているかい?」
「昔のことだ」
「ふぅん、あんなに世話してあげたのにな。あ……流、狭くないか。布団……悪かったな」
そう言いながら兄が布団からずれて行こうとするので、肩を引き留めた。
「狭くなんかないですよ。兄さんは喉が弱いんだから、ほら肌掛けはしっかり被ってくださいよ」
「……流、お前は」
「なんです?」
暗闇で兄と目が合った。濡れたように潤んだ黒目がちな目が、いつも可愛いと思っていた。
だがそんなことを思っているのを決して悟られないように、すっと目を反らした。兄の方も、困ったようなあやふやな笑みを浮かべていた。
「いや、なんでもない。僕のこと子供みたいに扱うんだな……あれからずっと」
「心配なだけです。それに明日のお経に差支えがあったら困るからですよ」
「んっ分かった。僕も流にこうされるのが好きだよ。流がいれば安心できるよ」
兄さんの口から洩れた「好き」という言葉。俺の想う「好き」とは違う種類だってこと位知っているのに、胸が大きくざわめく。
こんなに近くにいるのに、己の劣情のままには決して扱えない高貴で大切な兄なんだ。
もう長い間、その肌に直接触れたことはない。易々と触れてはいけないと、常に自分を戒め続けている。暫くお互いにじっと黙っていると、やがて兄さんの瞼はゆっくりと閉じていき、すやすやと規則正しい寝息が聞こえて来た。
「ふっ……もう寝たのか」
返事がないことを確かめてから、俺は躰を翠の方へと反転させた。じっと目を凝らして兄さんの美しい横顔を見つめた。
今宵はこんな至近距離で見せてくれるのか。長い睫毛は昔と少しも変わらないな。目元にバサッと影をつくるほどの長い睫毛が、はじめて綺麗だと最初に思ったのはいつだったか。
もう俺達……いい歳になったよな。
でも俺の気持ちはあの頃と少しも変わっていない。そして兄さんの外見も、俺から見たら何も変わっていない。
兄さんの方はどうだい?俺とのこんな暮らしをどう思っている?結婚だってしたし息子だっている身なのに、今は俺とこうやって眠っている無防備な兄さん……
俺が実の兄に恋心を抱いているのは、永遠の秘密だ。
絶対に気づかれないようにしていくから……兄さんを貶めるようなことは絶対にしないから、安心してくれ。
こうやっていつも俺のことを受け入れてくれる兄の真意を知りたくても、聞く勇気がない。
それにしても今日はとても兄との距離が近い。
それだけで心が満ちていくほどの幸せを感じている。
ぐっすり眠ってしまった兄の躰に肌掛けをかけてやり、そっと体を撫でてやる。だがそれだけでは溜まらず、そっと少しだけ抱きしめてみる。力を籠めすぎないように慎重に優しくだ。
ひと時の雨がもたらしてくれたこの抱擁は、『雨の悪戯』とでもいうのだろうか。未だ屋根を打ち続ける激しい雨音に、感謝の気持ちさえ込み上げてくる。この世界にまるで兄と俺しかいないような遮断された空間で、兄の細い躰をそっと抱きしめている。
決して眠りから覚めぬように、優しく静かに……
共に
まどろみ
落ちていく
『雨の悪戯』 了
もう一度尋ねられたので、俺はムクリと起き上がった。
「はぁ、兄さんの布団をこっちに持ってこようと思っていたのに、丈達に気前よく貸してしまったようですね」
「えっ駄目だったか」
意外なことを言われたかのように、翠兄さんは驚いていた。
「駄目じゃないです。でも俺の部屋にだって、布団は一組しかないですよ」
「……知っているよ。駄目か」
またこれだ。この人は俺が断れないことを知っていて、いつもこう聞いて来る。
「はぁ駄目じゃないが……さぁそんな所に立っていては風邪をひくから」
俺は布団の中で横向きになって、半分空いた空間に兄を呼んだ。
「ありがとう。流」
兄さんは迷いなくそのスペースに横たわった。背中あわせに肌が触れそうで触れない距離に、ゾクリとする。そして兄の躰からふわりと控えめな香の匂いが立ち込めた。
これは※翠風の香だな。俺が京都で以前兄への土産として買い求めたものだ。いつも使ってくれているのだなと思うと嬉しくなる。
※翠風の香……沈香の持つ辛味のなかに奥深い甘味が漂い、数種類の漢薬香料を調合したスパイシーで重みのある香り。まるでお寺の本堂に居るようなイメージで調合された香。
「流の部屋、久しぶりだな。なんか……凄いな」
兄さんは暗闇の中、俺の部屋をぐるりと見渡してうっとりとした溜息を漏らしていた。
「別にすごくなんかありませんよ」
「なぁもう少し僕の部屋に荷物を置いたら?よく考えたら僕の衣類など、全て流の部屋に置きっぱなしだ」
「どうせあなたは一人じゃ選べないでしょう」
「あーあ、いつからこうなってしまったのだか。僕は自分のことが不安になるよ」
「何故?」
「だって流があんまり熱心に僕の世話を焼くから、僕も当たり前になってしまっている。もう一人で着る服すら選べないよ」
「ははっ、それでいいじゃないか」
「昔は僕が全部流の服を選んで着せてあげていたのにな……覚えているかい?」
「昔のことだ」
「ふぅん、あんなに世話してあげたのにな。あ……流、狭くないか。布団……悪かったな」
そう言いながら兄が布団からずれて行こうとするので、肩を引き留めた。
「狭くなんかないですよ。兄さんは喉が弱いんだから、ほら肌掛けはしっかり被ってくださいよ」
「……流、お前は」
「なんです?」
暗闇で兄と目が合った。濡れたように潤んだ黒目がちな目が、いつも可愛いと思っていた。
だがそんなことを思っているのを決して悟られないように、すっと目を反らした。兄の方も、困ったようなあやふやな笑みを浮かべていた。
「いや、なんでもない。僕のこと子供みたいに扱うんだな……あれからずっと」
「心配なだけです。それに明日のお経に差支えがあったら困るからですよ」
「んっ分かった。僕も流にこうされるのが好きだよ。流がいれば安心できるよ」
兄さんの口から洩れた「好き」という言葉。俺の想う「好き」とは違う種類だってこと位知っているのに、胸が大きくざわめく。
こんなに近くにいるのに、己の劣情のままには決して扱えない高貴で大切な兄なんだ。
もう長い間、その肌に直接触れたことはない。易々と触れてはいけないと、常に自分を戒め続けている。暫くお互いにじっと黙っていると、やがて兄さんの瞼はゆっくりと閉じていき、すやすやと規則正しい寝息が聞こえて来た。
「ふっ……もう寝たのか」
返事がないことを確かめてから、俺は躰を翠の方へと反転させた。じっと目を凝らして兄さんの美しい横顔を見つめた。
今宵はこんな至近距離で見せてくれるのか。長い睫毛は昔と少しも変わらないな。目元にバサッと影をつくるほどの長い睫毛が、はじめて綺麗だと最初に思ったのはいつだったか。
もう俺達……いい歳になったよな。
でも俺の気持ちはあの頃と少しも変わっていない。そして兄さんの外見も、俺から見たら何も変わっていない。
兄さんの方はどうだい?俺とのこんな暮らしをどう思っている?結婚だってしたし息子だっている身なのに、今は俺とこうやって眠っている無防備な兄さん……
俺が実の兄に恋心を抱いているのは、永遠の秘密だ。
絶対に気づかれないようにしていくから……兄さんを貶めるようなことは絶対にしないから、安心してくれ。
こうやっていつも俺のことを受け入れてくれる兄の真意を知りたくても、聞く勇気がない。
それにしても今日はとても兄との距離が近い。
それだけで心が満ちていくほどの幸せを感じている。
ぐっすり眠ってしまった兄の躰に肌掛けをかけてやり、そっと体を撫でてやる。だがそれだけでは溜まらず、そっと少しだけ抱きしめてみる。力を籠めすぎないように慎重に優しくだ。
ひと時の雨がもたらしてくれたこの抱擁は、『雨の悪戯』とでもいうのだろうか。未だ屋根を打ち続ける激しい雨音に、感謝の気持ちさえ込み上げてくる。この世界にまるで兄と俺しかいないような遮断された空間で、兄の細い躰をそっと抱きしめている。
決して眠りから覚めぬように、優しく静かに……
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落ちていく
『雨の悪戯』 了
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